レオス・カラックスの『ホーリーモーターズ』のように、映画世界と観客の世界を繋げ、演技と生きることを接続させる映画なのかと思っていたが、違った。あるいは、ベルイマンの『ペルソナ』のように映画を製作する者>>続きを読む
死んだ爺さんの家は、新幹線の駅がある町だが、小高い山から見ると田園がずーっと広がる田舎で、田んぼに流れこむ小川はこの上なく澄んでいて、惑星ソラリスの冒頭の揺らぐ水草よりも、はっきりとザリガニやら石やら>>続きを読む
おじいちゃんの言いつけ通りに風呂に入って出てくると、髪が緑色になっていた戦災孤児の物語。オープニングクレジットの後の海辺は、明け方dawnなのか、夕暮れduskなのか。大変な苦労のなかで作り上げた『ド>>続きを読む
ポーランドにいたジプシーたちの物語。
クロード・ランズマンの『SHOAH』はポーランドに点在した絶滅収容所にいたユダヤ人と付近のポーランド人にインタビューしてまわる映画なので何度も画面に映るのだが、>>続きを読む
ソクーロフ③
分厚い魚眼レンズ越しに見ているような、アナモルフォーズ(歪像)の世界の中で、ソクーロフは死に瀕した母とそれを看取る、あるいは、母の死に際して彷徨する息子を描く。白黒フィルムではなく>>続きを読む
放置していたが、これからも上映される機会があるようなので、今さらながら、蔵出ししてみる。岩波ホールで日本初公開された時、あまりにも素晴らしいので2回観に行った。同じ映画を劇場で2回観るなんてことはあま>>続きを読む
「ベルイマン映画の中に迷い込んだ気分だったね。初日に撮影したのは冒頭の宿屋のシーン。奥で結婚祝いのパーティーをやっている一団がいる。彼らは一日中リハーサルをしていたよ。でも、実際に彼らが映るのはせ>>続きを読む
全曲収録ではない。マーティン・スコセッシ編集。40万人を集めた、アメリカのカウンターカルチャー(若者、ロック、反戦平和運動、公民権運動、フラワームーブメント、ヒッピー等の保守的な価値に対するアンチ)の>>続きを読む
戦火の出逢い
第一次世界大戦後、ムッソリーニのファシズムが幅をきかせ、イタリアは国際連盟を脱退し、ドイツ、そして日本に接近し、枢軸国を形成しようとしていた。ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大>>続きを読む
何がと言われると難しいが、面白い。そう言うのが憚れる内容が含まれるのだが、面白い。監督はルイ・マル。どこらへんがルイ・マルなのか?と聞かれると困るが、そうなのである。ドキュメンタリーだが、少なからずや>>続きを読む
なんか、ロブグリエって、ぱっと思いついたことを誇張か吹聴してるようにしか思えないような、作り込みの粗雑さが目についてしょうがない。一つ一つシーンを大事にしてないから、表面の奇抜さだけが残る。で、そ>>続きを読む
何かを見るよりも先に、まず、私は誰かに見られている。誰かの声を聞くよりも先に、まず、誰かが私を聞いている。そんなことを教えてくれる素敵な映画だった。
認識論的な要素が入ってくるので、メタレベルの話に>>続きを読む
イエジー②
マクガフィン、の映画ですね。マクガフィンのためのマクガフィンによるマクガフィン映画です。染み、は純粋マクガフィンですね。マクガフィンは何でもない仮象ですから、手の上に乗せて直視してみれ>>続きを読む
児童性愛それ自体は構わんが、強要して、他人を傷つけてはならず、また、やったことをやってないと嘘をついてはならない。犯罪が確定したら、再考しなければならない。作品と作者の関係について。
2019/1>>続きを読む
「ルノワールはおそらくすべての映画作家のなかで、もっとも完全な芸術家だ。つまり、フォルムが知的テーゼや美学的体系によって決定されることが、もっとも少ない作家だということだ。」
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役者は演技に何をかけるべきなのか、ピーター・ブルックが役者たちに指導してます。撮影は息子のサイモン・ブルック。重要なのは「リアルであること」となるんでしょうか。意識を集中し、精神が身体の動きに表れるよ>>続きを読む
エモエモの心優しき草食系ビートジェネレーションっていう印象を受けるかもしれないが、biographyを見るとなかなかハッスルする人のよう。ジュネ、って『エイリアン4』のほうじゃなくて、『泥棒日記』書い>>続きを読む
お弁当を作るのも、草葉の陰に隠れるのも、走って転ぶのも、恋を生むのか・・・恋を生む映画、いいね、きのこ。
女は知らんだろうが、女は恋の花が開くまさにその瞬間に、瞳が大きくなるのか、緩むのか、二つ>>続きを読む
オープニングクレジットから、もはや鑑賞不可能なくらいに突っ走る。たぶんモーツァルトのピアノ協奏曲のメロディーを崩しながら、奇怪な心拍音に変質させた頃には、字幕を追っていて、ドイツの政治家のテロリズムに>>続きを読む
アウトサイダーアートというのをご存知ですか?フランス語だとアールブリュットという言い方をしますが、脚色のない生のままの芸術、という意味です。広義には、アカデミックな指導を受けたことのない素人による作品>>続きを読む
問題 : 勇気とかエネルギーとかを与えてくれる映画を一本挙げてください。
うーむ。こういう質問は難しいのだが、この『幕末太陽傳』でしたら、いかがでありんすか?
☆どんな元気をくれるか?>>続きを読む
ロッセリーリ①
この映画は1944年の8月、つまり連合国によるイタリアの開放から、わずか2ヶ月後に、男たちがこの映画の制作に乗り出した。撮影は1945の1月に始まり、公開は1945年の9月のこ>>続きを読む
マーティン・スコセッシが2年以上の歳月をかけてリマスターしたものを、Blu-rayで見た。青と緑と赤からなるオリジナルネガを一つずつリストアするために、通常の作業の単純に3倍の時間がかかったとのこと。>>続きを読む
☆ロッセリーリかパゾリーニか?
イタリア人監督で認めるのはロッセリーリとパゾリーニだけだ、とベルトルッチは言ったらしい。この無邪気であまり報われない発言はまずもって、周知のようにゴダールとヌーベルバ>>続きを読む
永遠について考えてみる。
永遠というのは永遠なのだから、全てを含んでいるはずである。永遠について今私は考えているのだが、この私の今の思考は、私の考えた永遠に含まれていたのだろうか?私が今について考え>>続きを読む
「感性の血の色はブルーだ。僕はそれを完璧に表現するための探求に全身全霊を捧げている。」
◎遺作
デレク・ジャーマンはこの映画の製作から間もなく、1年と経たずに、死ぬ。死因はAIDS。白血球>>続きを読む
tofuなんとかのエフェクターのかかった感じは、朝ちゃんのテーマソングにぴったりだと思う。
朝ちゃんは寄る辺なき存在で、小さな小さな女の子であるが、あるいは、だからこそ人を振り回すだけ振り回してくる>>続きを読む
パンフレットの寄稿者が、これはブラックコメディなのだ、と思わせるようなことを書いているが、それは間違いである。そういう視点で見るとこの映画を取り逃がすことになると思われる。その理由は下に書くとして、と>>続きを読む
フェリーニの『甘い生活』(1960)と、シルヴァーノ・アゴスティ『天の高みへ』(1976)のあいだに置いてみると、この『奇跡の丘』(1964)はかのパゾリーニの手になるものだが、品行方正にすら思えてし>>続きを読む
冒頭、ジェームズ・アイボリーばりの英国庭園の高い垣根の影と日陽の織りなすグリーンの中を、不気味な小間使いがうろついている。横移動ショット。女王がでてきて、司祭に天使を呼ぶように頼む。わりとあっさり召喚>>続きを読む
クロード・ルルーシュはずっと昔に『男と女』と『愛と哀しみのボレロ』を観て以来、後者を見返す程度だったので、久しぶりに新作。といっても1998年の作なのだが。ルルーシュはこの時、60才くらい。奥さんは2>>続きを読む
確かに、山好きにはたまらない。
「山は地球のシンフォニーだ。隆起と侵食を繰り返す、岩の波。」
テレンス・マリックのように、マグマが蠢き、固まり、山をなし、雪が降り、歩く歩道の上を歩くように、たわ>>続きを読む
こんな風に世界を感じたかった!
こんな風に僕らの《外部》を表現したかった!
外部だよ。でも、それは僕らの外部だ。僕らが自分のために作り出し、僕らが安心して普通の僕らでいられるように、囲い込み、自>>続きを読む
3万2千年前の壁画がフランスの峡谷で発見されたらしい。探検家たちが峡谷の岩壁にへばりついて探索し、岩石で入口が覆われて洞窟内部が完全に覆われているのを、たしか、わずかに漏れでる空気を察知して?見つけた>>続きを読む
かなり強烈だった。監督のロバート・アルトマンがベルイマンの『ペルソナ』に影響を受けたということで、この映画であっているのか知らないが、見てみた。おそらく『イメージズ』もチェックすべきなのだろう。
シ>>続きを読む
ゴビ砂漠に近いところ、右派であると共産党に断定された人々が集められることになった強制収容所が舞台で、おそらく1960年くらいの話し。ソクーロフの『日陽はしづかに発酵し』で描かれたトルクメニスタンの砂塵>>続きを読む