
14歳のカントは、アイヌ民芸品店を営む母親のエミと北海道阿寒湖畔のアイヌコタンで暮らしていた。アイヌ文化に触れながら育ってきたカントだったが、一年前の父親の死をきっかけにアイヌの活動に参加…
>>続きを読む2021年3月、スリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさん(33)が名古屋入管で死亡した。彼女の死は長年ベールに包まれてきた入管の闇を明らかにするとともに、公権力による外国人差別の歴史を象…
>>続きを読む宮古島に伝わる「古謡」と「神歌」。これらの歌は厳しい暮らしや神への信仰などから生まれ、ひっそりと歌い継がれてきた。特に「神歌」は“御嶽”と呼ばれる神事で歌われ、古来から口伝されてきた。本作…
>>続きを読む2014年に香港で起きた「雨傘運動」。警官隊の催涙弾に対抗して雨傘を持った若者たちが街を占拠したこの運動に、一人のスーパースターの姿があった。彼女の名前はデニス・ホー。同性愛を公表する香港…
>>続きを読む非西欧圏で初めてノーベル文学賞を受賞したラビンドラナート・タゴール。イ ギリス植民地時代のインドを生きたこの大詩人は、詩だけでなく歌も作ってお り、その数は二千曲以上にものぼります。「タゴ…
>>続きを読む枯葉剤の後遺症で亡くなった祖父は自らを「参戦勇士」だと称したが、戦争については何も語らな かった。韓国はベトナム戦争の特需で豊かさを手にした。 私は沈黙の世界を知るために旅をし、思考し、そ…
>>続きを読むノーベル平和賞候補になり、朝日賞や埼玉県民栄誉賞などを受賞した水墨画で風景画家の丸木位里(1901‐1995)と人間画家の丸木俊(1912‐2000)夫妻は、「日本人側から見た記憶を残して…
>>続きを読む戦後75年目の残留。生き別れた者が伝える、日本という国の今。「私を日本人と認めてほしい!」-フィリピン残留日本人 。「私は日本人。でも言葉がわからないの!」-中国残留孤児。太平洋戦争以前、…
>>続きを読む(C)大宮映像製作所