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砂時計サナトリウム

砂時計サナトリウムの作品紹介

砂時計サナトリウムのあらすじ

青年ヨゼフは、忘れられた支線を走る幽霊のような列車に揺られ、死の床にある父を見舞おうと遠く離れたガリシア地方にあるサナトリウムを訪れる。到着したサナトリウムは、既に活気を失い、怪しげな医師ゴッタルダによって仕切られていた。彼はヨゼフにこう告げる。「あなたの国から見ればお父様は亡くなったが、ここではまだ死んでいません。ここでは、一定の間隔で常に時間が遅れているのです。その間隔の長さは定義できません」。やがてヨゼフは、そのサナトリウムが現実と夢の狭間に漂う世界であることに気づき、そこでは時間も出来事も、目に見える形をとって存在することができないと知る。

原題
Sanatorium Under the Sign of the Hourglass
製作年
2024年
製作国・地域
イギリスポーランドドイツ
上映時間
76分
ジャンル
アニメ
配給会社
グッチーズ・フリースクール

『砂時計サナトリウム』に投稿された感想・評価

4.0
青年ヨゼフは、忘れられた支線を走る幽霊のような列車にゆられ、死の床にある父を見舞おうと遠く離れたガリシア地方にあるサナトリウムを訪ねる。到着したサナトリウムは、既に活気を失い、怪しげな医師ゴッタルダによって仕切られていた。彼はヨゼフにこう告げる。「あなたの国から見ればお父様は亡くなったが、ここではまだ死んでいません。ここでは、一定の間隔で常に時間が遅れているのです。その間隔の長さは定義できません」。やがてヨゼフは、そのサナトリウムが現実と夢の狭間に漂う世界であることに気づき、そこでは時間も出来事も、目に見える形をとって存在することができないと知る。
(シアター・イメージフォーラムより)

独特すぎる世界観に言葉を失った。アニメと実写の融合。冒頭の「Christopher Nolan presents」の文字でテンション上がってしまった。ノーラン監督はブラザーズ・クエイを崇拝しているようで、彼らのドキュメンタリー映画を撮っている。

とても暗い世界だけど、凄く美しい。彼らが作り出す映像は神秘的で究極のアートを体感した気分になった。

確かにクリストファー・ノーラン監督が崇拝するのは分かる。インセプションとかTENETは彼らの過去の作品からインスパイアされた作品なのかな。本作は現実と夢の間に漂う世界線で、過去に何度もその題材は撮っているのかな?過去の作品を漁りたいなー。
RIO
4.5
洞窟のなかに響く深みのある音を重ねたエンディングの音楽が耳から取れない

生まれようとして生まれることのかなった命もこの世界に起こった現象は決して消えないというアプローチ
人間の網膜では捉えられない永遠に続く旅
忘れられた支線を辿るヨゼフは次元を超えていく
とてもカッコ良くて夢があった

記憶・意識
見たことなどないから存在しないではなく
見ていないだけで ずっとそこにあった世界

ガリシア地方にあるサナトリウムは羅針盤を兼ねてるみたいだった
仕掛けたプロットの意味をいちいち覚えられなくてグイッと意味合いが繋がっていかなかったけれど映像と死んだような空間はグイグイ 浮かぶ砂時計が素敵

誰からも足を踏み入れられることのない埃だらけの空間はクエイ兄弟の創りあげた世界 誰も知らなくても絶対的に存在する場所
この世界を支えている1部を静かに優しく見せてくる

私の記憶ではヨゼフは生きたままの父親には会ってなかった 彼の潜在意識で亡くなったとしているから
ここではまだ死んでいませんと言われていても埃を被った亡骸としか体面できない

クエイ兄弟の世界はそんな世界があるんだね🪄という視点を与えてくる
まさに──そこなんです
クエイ兄弟の作品に触れる度にそんな世界がずっとあったのかもしれないという不思議な確信を得られる
見ようとしなければ決して見えないし光ではなく影によって存在を示す世界

クエイ兄弟が与えてくれる最大のギフトは存在の定義そのものをゆるがす視点
忘れ去られた空間はそれでもなお世界の一部なのか
時間が流れ去るように見えて実はすべてが記録されて消えることはない
ヨゼフの帽子が示す時間経過と存在の所在 彷徨う魂かもしれない

観た後の今も静かに深い気配として心がサナトリウムから出ることはない
またふと何処かの裂け目からその空気が立ち上ってきてクエイ兄弟の世界は誰かが思い出すたびに再び存在する空間なんだな
RW
4.0
 死者の瞳が最期に映した像を覗くキネトスコープ、そこに見えるのはこの世の理を外れた場所。虚ろな列車に運ばれた先、夢の中の夢が続き、複数の時間が並列で存在するかのような…

 時間をつかみ取ろうとしても、ちょうど砂時計の砂と同様に形を成すことはなく指の間から滑り落ちるのみ。このサナトリウム=療養所を訪れた男もそれを覗く者たちも、そして銀幕の「外」で映画を観るわたしたちも、融けて区別なく混ざり合った複数の時間に惑わされる。ここでは物体の破損や死までも可逆的(拡散⇔収束)なのだ。

 この時間・空間表現に触れれば、映画界を代表する時系列いじくり大臣ことクリストファー・ノーランさん監督がご執心になるのも納得といったところ。ときおり場面が巻き戻り台詞・動作が反復される様などまんま『TENET』だし、増殖する夢の階層構造は『インセプション』的、時空を突き抜けた他者との越境的繋がりは『インターステラー』。もちろん映画としての仕立ては大きく異なるわけだけれど、過去→現在→未来といった直線に乗って進む直感的感覚を崩して時間の在り方に迫るマインドは共通しているのだと思う。エントロピーを疑え。

 全編を支配するのはレンズや鍵穴を通した「観る」「覗く」(※1)といったアクション。舞台を観るような場面もある。そして主人公(※2)はたびたび眠りに落ち、その先でまた夢を「みる」。いま目にしているのは夢か現か、夢だとしてどの階層か、どの時系列の誰の視覚なのかは間もなく混沌とし、主人公は父親と記憶を共有する。さらに映画の冒頭を振り返ればキネトスコープの外側の(映画内現実らしき)世界すらも件の死者の瞳が映したような楕円に歪んでいたから、すべてくるまれて「観られて」いるのかもしれなかった。

 多重化のイメージもこの発想を後押しする。合わせ鏡の無限鏡像のように続くシルエットやぞろっと繁殖するシルクハット。滲んだ輪郭と残像(※3)。上述した「巻き戻り」の度にその時間が切り取られ複写されていくような感覚もおぼえる。直線的な時間を否定した場合、あらゆる可能性ごとにマルチバースが殖え続けていくことになるのかも。高速で捲られる本のページとそれに巻き込まれる主人公が描かれるように、このサナトリウムの扉から扉、列車の客室から客室へは無数・無限の時空が織り込まれているのだろう。

 悪夢的・迷宮的な作品であるけれど、これらのことを総合するとピュアに「映画」そのものを表した映画とも考えられるんじゃあないだろうか。そういえばフェリーニの『8 1/2』(※4)に登場した呪文(「アサニシマサ」)も引用されるし、何より《光》が「観る」や「覗く」、更にはよみがえりすら起動するのだ。すなわち再生(リプレイ)である。

 時間芸術と呼ばれ始まりと終わりの枠を持たざるを得ない(※5)映画/映像という形態で、このようなエッセンスを扱うことのジレンマと可能性、愛着。それこそが今作の最後に語られる「本質への回帰」なのかもしれない…などと考えるのはロマンチストが過ぎるかもしれないけれど、少なくとも解釈を終わらせてくれないこの作品をわたしは映画らしく愛らしいと思う。

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※1:鍵穴からの覗き見はエロティックな映像を連れてくる。繰り広げられるBDSM的光景は原作者ブルーノ・シュルツによるドローイングから回収してそう。あれって父親の記憶なんだろうか。だとするともしや要するに親父の秘蔵エロ本見つけたみたいな話なんだろうかこれ。

※2:主人公の名前はヨセフ、ヨセフといえば聖書では「夢解き」で有名な人物。

※3:過去作『ピアノチューナー・オブ・アースクエイク』からリプライズされる要素は多く目につく。膝まわり輪ゴムとか。あれどういうフェチ?

※4:まさに映画作りそのものを映画にした作品の元祖だといえる。

※5:限られた条件下でしか動かない死者の瞳、あるいは父親が持っていた鳥籠のように固定され閉じ込められている?

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あらすじ

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監督

脚本

出演者

アリス

上映日:

1989年07月23日

製作国・地域:

上映時間:

86分

ジャンル:

配給:

  • ヘラルド・エース=日本ヘラルド映画
3.8

あらすじ

ある日、雑然とモノが散らばった部屋の中で少女のアリスが退屈していると、彼女の目の前で人形の白ウサギがふと生気を帯びて動き出し、ガラスケースをハサミで打ち壊して外に飛び出していく。驚きながら…

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