霧のごとくを配信している動画配信サービス

『霧のごとく』の
動画配信サービス情報をご紹介!視聴する方法はある?

霧のごとく
動画配信は2026年7月時点の情報です。最新の配信状況は各サイトにてご確認ください。
本ページには動画配信サービスのプロモーションが含まれています。
目次

霧のごとくが配信されているサービス一覧

『霧のごとく』が配信されているサービスは見つかりませんでした。
代わりに『霧のごとく』を上映している映画館が見つかりました。
上映館
 - 3館
U-NEXTに入会して対象映画館のチケットをお得に入手する方法

U-NEXTに入会すると上映作品を映画館でお得に観れます。
TOHOシネマズ、イオンシネマ、109シネマズなど多くの映画館が対象になっています。

  • 無料トライアル登録特典
    31日間無料の初回登録で600ポイントがもらえます。
  • 映画チケット引き換えクーポン
    1枚1,500ポイントで映画チケットを発行できます。無料登録後に900ポイントを追加すれば、実質900円で映画を観ることができます。
  • 月額プラン会員特典
    次月以降は毎月1,200ポイントがもらえ、300ポイント追加で毎月1本映画を観ることができます。

霧のごとくが配信されていないサービス一覧

Prime Video
U-NEXT
DMM TV
FOD
TELASA
Lemino
ABEMA
Hulu
Netflix
WOWOWオンデマンド
アニメタイムズ
Roadstead
J:COM STREAM
TSUTAYA DISCAS
music.jp

霧のごとくの作品紹介

霧のごとくのあらすじ

1950年代、戒厳令下の台湾。 白色テロにより反政府分子として捕らえられた兄が台北で処刑されたと知った少女・阿月(アグエー)は、故郷の嘉義から、なけなしの金と兄の形見の時計を手に、遺体を引き取るため一人台北へ向かう。 しかし遺体を引き取るには高額な手数料が必要で、途方に暮れてしまう。怪しい男に騙され、遊郭に売り飛ばされそうになったその時、彼女を救ったのは人力車の車夫・趙公道(ザオ・ゴンダオ)だった。 中国・広東出身の公道は、国民党軍の元軍人として台湾に渡って以来、故郷へ帰ることもかなわず、その日暮らしの生活を送っている。白色テロで軍の仲間を喪い、人生に行き場を見いだせずにいた彼は、阿月の想いに心を動かされ、手を差し伸べることを決意する。先の見えない時代の激流の中で出会った二人の運命が大きく動き出していく……。

霧のごとくの監督

チェン・ユーシュン

原題
大濛/A Foggy Tale
公式サイト
https://www.afoggytale.com/
製作年
2025年
製作国・地域
台湾
上映時間
134分
ジャンル
歴史
配給会社
JAIHO、Stranger

『霧のごとく』に投稿された感想・評価

背骨
3.8
政治犯として処刑された兄の遺体を引き取りに来た妹の物語として描きつつ、戒厳令下の台湾を生きた者たちへと捧げる鎮魂歌にもなっているスケールの大きな作品

小さな物語の背景に大きな物語が見えてくる構成が絶妙で、時代に翻弄された人々一人ひとりの命の重さを感じさせる
kuu
4.0
『霧のごとく』
※Netflixでは原題『大濛』であります。
原題または英題  大濛 / A Foggy Tale
製作年 2025年。上映時間 134分
映倫区分 G 製作国 台湾

台湾のチェン・ユーシュン監督が、1950年代の台湾で多くの市民が反政府の疑いをかけられ逮捕・処刑された白色テロの時代を背景に描いた希望と再生の物語。

🎼​有路一早少年娘,挑擔出門要入城。半路遇著當兵的,毋是好人歹心行。格將人家推入甘蔗園,借問諸位親堂、代誌要按怎算?♩

朝まだき 若き娘は天秤の荷を肩にして 街へと急ぐ道すがら 不意に出くわす兵の群れよこしまな 黒き下心 引きずられ 鬱蒼たるサトウキビ緑の闇に 惨く踏みにじられぬ一族の そして同郷の皆々よこの非道なる罪をいかに糾すべきか?
※和訳はネトフリの和訳を小生が詩的に愚意訳しましたし誤りがあってもお許しを。

​映画の序盤、台北へと向かう列車のなかで、男がニヤニヤしながら口ずさむこの泥臭い台湾語の語り歌、唸歌は、単なる下世話な車内のからかいなどではない。
これこそ、これから目撃する不条理な時代の、あまりにも残酷なメタファーです。

​かごを担いで街に出た若い娘とは、政治や権力とは無縁に、ただ日々を健気に生きていた台湾の市井の民そのもの。
そして、彼女を押し込む兵士ってのは、外からやってきて圧倒的な武力で社会を恐怖に陥れた国家権力に他ならない。
生い茂れば外から中の様子が一切見えなくなるサトウキビ畑は、国家が仕掛けた弾圧と隠蔽の闇を不気味に暗喩していると思う。

お上の目を盗み、下俗な笑いに変えることでしか告発し得なかった民衆のざらついた生命力。
この歌の節回しが耳の奥に残ったまま、あの重苦しい霧の中へと引きずり込まれていく。

国家という巨大な怪物が個人の尊厳を押しつぶした時代を振り返るとき、人は正義や悪という明快な二項対立で物事を捉えがちやけど、近代の政治哲学が法や国家の正当性といった抽象概念で社会を語るように、歴史もまた、マクロな構造論に回収されてしまいます。
しかし、今作品が突きつけるんは、そないな政治的議論の遥か手前にある、人がただ生存するちゅう原初的な営みそのものです。

歴史軽くなぞれば、1950年代の台湾は『白色テロ』ってさらっと四文字で片付けられてしまう。
けどこの映画を観終えた今、心に残っているのは、政治のイデオロギーなどではなく、あの重苦しい霧のなかを必死に生きた、あまりにも不器用で、愛おしい人の体温です。
嘉義から台北へ、処刑された兄ちゃんの遺体を引き取りに行く少女・阿月。
わずかな金と、形見の腕時計だけを握りしめた彼女の旅路は、あまりにも無謀で、理不尽に満ちている。
そして、彼女を騙そうとする世から、間一髪で彼女をすくい上げんのが、孤独な車夫・趙公道。

趙公道が表現して法やモラルの外部での振る舞いは多くの気づきや深い学びを与えてくれます。
トマス・ホッブズが描いた、国家の庇護も法の正義も機能しない無秩序な空間において、人は生きるために手段を選べなくなるもんです。
彼が足を踏み入れる裏社会は、近代国家が標榜する法の支配の欺瞞を裏返しにした、剥き出しの生存競争の場。

正直、物語の中盤、公道が裏社会の血生臭い依頼へと足を染めていく展開は、どうも急にサスペンス調なっとるなと戸惑いを覚えた部分もある。
プロットの美しさちゅう点では、少し歪に見えるた。
ただ、その歪さこそ、あの時代を生きるってののリアルやったんじゃないか、と今、小生は思う。 
誰もが清廉潔白なんてバカ正直に生きれへん。
生き延びるには、ほんの少しのズルを働き、モラルを捨てなければならなかった。

ケイトリン・ファンが演じる阿月の芯のある純朴さと、ウィル・オーが演じる公道の粗暴さの裏にある情が、その人間臭いグレーゾーンを泥臭く、けれど圧倒的なリアリティで描き出しています。
また、このグレーゾーンこそ、白黒をはっきりと色分けたがる政治権力に対する、市井の名もなき民のささやかな抵抗の形に違いない。
国家が個人の生殺与奪の権を握る極限状態において、映画がその残酷さをどこまで忠実に再現すべきかっえいう問題は、常に議論の的となるが、それはきっと美化やエンタメ化は、過去の犠牲者への不誠実さと隣り合わせだからなんやろな。

小生の知っている歴史を思えば、当時の現実がこれほど甘いものではなかったことは痛いほど分かってはいるが、実際の弾圧や拷問、国家の横暴は、もっと冷酷で、もっと凄惨で、救いようのないものやったはず。
作中、差し込まれるエンタメ要素やファンタジー、美化された人間模様を観て、歴史の本当の残酷さが薄まってしまっているのではないか?なんて思いが頭をよぎらなかったと云えば嘘になる。

例えば、リウ・グァンティンが演じた高金鐘ちゅう男の存在がそうで、お上の厳重な監視の目をひらひらと潜り抜け、何度も脱獄を繰り返した実在したの大泥棒。
一見すると、この重苦しい物語に滑り込ませた単なるコミカルな狂言回しのように見えるかもしれない。
しかし、一挙手一投足を国家に管理されていたあの窒息しそうな監視社会において、権力の鼻を明かし続ける彼の不敵な存在感は、市井の民にとって、国家の絶対的な統制に対する、最大の皮肉であり、一種の英雄でもあったはず。
誰もが清廉潔白ではいられない時代だからこそ、法を笑い飛ばす泥棒の足跡に、民衆は映画的なロマンとささやかな解放感を見出す。

けど、チェン・ユーシュン監督がそこに塗した、クスッと笑えるユーモアとか、現在の台湾の音楽シーンを代表する、世界的な人気を誇る実力派の女性シンガーソングライターの9m88らがもたらすどこかモダンな空気感は、決して歴史の忘却ではないんだと、次第に腑に落ちていった。
どんなに絶望的な暗闇の中であっても、人は笑い、人は誰かを世話し、明日を生きようとする。
それは歴史の残酷さに目を背けることではなく、過酷な時代に抗った人の生への賛歌やと思う。 
兄ちゃんが遺した時計の針を回しながら未来を語る、あの少しセンチメンタルすぎる演出にさえ、冷めるどころか、涙が溢れそうになった。
理不尽な世界に対する、精一杯の奇跡の祈りがそこにあったからです。

どれほど強固な政治体制であっても、人の内面にある感情や他者との関係性までを完全に統制することは不可能。
時計の針を回す行為は、国家に奪われた時間を自分たちの手で再び動かし始めるという、主体的かつ象徴的な意思表示であり、不確かな未来へ一歩を踏み出すための内なる革命に他ならない。

歴史の霧のなかに消えていった名もなき人々。 
その一人ひとりに、守りたい家族がいて、帰りたい故郷があった。
映画を観終えた後も阿月と公道が寄り添いながら歩いたあのぬくもりが、胸の奥で消えずに残り続けてます。

国家や政治ちゅうクソでかい物語がどれほど人々を翻弄しようとも、最後に歴史の暗雲を払い記憶に灯るものは、システムとしての正義ではなく、個と個が手探りで分かち合った確かな体温なんやと、この映画は静かに物語っていました。
ぶみ
4.0
進む。ただ未来へ。

チェン・ユーシュン監督、脚本、ケイトリン・ファン、ウィル・オー主演による台湾製作のドラマ。
戒厳令下の台湾で、処刑された兄の遺体を引き取りに行く主人公の姿を描く。
主人公となる少女の阿月をファン、人力車の車夫である趙公道をオーが演じているほか、9m88、ツェン・ジンホア、リウ・グァンティン等が登場。
物語は、「民国42 1953年」とキャプションが表示、周りを窺いながらサトウキビ畑に入っていく少女・阿月が登場、その先には少女の兄が隠れており、「俺は捕まらない」と言っていたことから、何かに追われている状況が見てとれたところ。
そこで、兄からもらった腕時計を動かしながら未来を語っていると、警察が現れ、兄が逃げるシーンとなり、時代の閉塞感が感じ取れるオープニングとなっている。
次には、そこから一年経ち、父母の墓を参拝する阿月が映し出された後、親戚の家で暮らす阿月の元に兄が処刑された旨の通知が届いたことから、遺体を引き取りに行くため、嘉義から台北へと向かおうと早朝家を出ることに。
以降、なけなしのお金と、兄の形見の腕時計を握りしめ、一人阿月が台北へ向かう様を中心として展開、遺体を引き取るには高額の手数料が必要なので、金策をしなければならない阿月に対し、怪しい男が現れ、彼女を売り飛ばそうとするものの、人力車の車夫である趙公道に助けられたことをキッカケに、その日暮らしをする元軍人の趙公道と、少女の阿月という凸凹コンビが台北へと向かう様は、徒歩と人力車というゆったりとしたスピードながら、珍道中となっていて、ロードムービーの醍醐味を味わえるもの。
何より、本作品の肝は、戦後間もない1950年代、反政府と疑われた市民の多くが逮捕、処刑された「白色テロ」の時代を舞台としていることであり、そんな社会に翻弄される市井の人々を真正面から描いている作風は、台湾の人々のみならず、観る者の心に響くものではないだろうか。
クルマ好きの視点からすると、オーのように人力車が活躍する中、時折、シトロエン・2CVに、ロンドンタクシーとして知られるオースチン・FX4、さらにはシボレーのフリートマスターかスタイルマスターと思しきセダンと、往年のクラシックカーが数多く登場していただけではなく、しっかり走行していたのは見逃せないポイント。
混迷の時代を駆け抜け、兄の遺体を引き取りに行くという、何ともやるせない想いを抱いた主人公のロードムービーに胸が熱くなるとともに、私が観たNetflixでは、タイトルが原題である『大濛』となっているので、せめて統一して欲しかったと思う良作。

誰もが皆、景色の一部だ。

『霧のごとく』に似ている作品

関連記事

【発表】初日満足度ランキング!1位は映画『ひつじ探偵団』