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白い町で
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『白い町で』に投稿された感想・評価

Cem
5.0
『マチ幅白く 部屋は白く 孤独も白く 沈黙も白い』

日々の生活に疲れた船乗りの中年男が白い町リスボンに逃げ出し、そのまま町に居つく。中年男の孤独がたまらん🥺孤独なんだけど、孤独を満喫しているのが良い。8mmカメラで撮るリスボンの街並みがノスタルジックで幻想的。健気に夫の帰りを待つ妻との文通交換。まるで詩人のような手紙を書くブルーノ・ガンツが渋い。サッカーを熱く語る中年男とサッカーに興味がないオッサンたちの温度差が面白い。
[ブルーノ・ガンツ、リスボンの町を歩き回る] 80点

傑作。1983年ベルリン映画祭コンペ部門選出作品。アラン・タネール長編八作目。今回はスイス人海洋整備士ポールが、航海中に立ち寄ったリスボンに留まって、何もしないままただリスボンの街を歩き回る映画。このある種の不条理さ、リタ・アゼヴェード・ゴメス『The Sound of the Shaking Earth』を思い出した。どっちもDPがアカシオ・デ・アルメイダだったということを後から知って感動している。不条理さというと、冒頭で秒針が逆向きに進む時計が登場しており、観客の時間が正方向に流れていくのに対して映画内の時間が負方向に流れることで同じ地点に留まっているのかなとも思わせる。それと同時に、リスボンの港町をフラフラする映画ということで、リサンドロ・アロンソ『リヴァプール』とジョアン・セーザル・モンテイロ『ラスト・ダイビング』も少々思い出した。全部本作品の後に製作されているので影響はあるんだろう。ポールは要所要所でフィルムカメラを取り出しては何気ない情景を撮影し、それをスイスにいる妻に送っている(彼が撮ったフィルムも挿入されており、作中で唯一彼の内面が感じられる貴重な瞬間となっている)。一方で、宿下のバーで働くローザとも親しくなり、彼曰く"同時に二人の女性を愛してしまった"状態として、こちらもずるずると時間が過ぎていく。実際に脚本はなく、ブルーノ・ガンツとテレサ・マドゥルガがそれぞれのキャラクターの人生そのものを即興で演じていたらしい。だからこそ、物語性をヌルリと躱して、彼の行動に深遠さすら感じさせるに至っている。

結局のところ、ポールには自分自身しかないのだろう。彼が執着していたローザは去り、リスボンの街も異質なものとなり、妻の待つ故郷は自身の最も愛する海から離れた内陸国なのだ。彼はひたすら歩き回ったが、既に持っていたもの以上のものは見つけられず、手元にも残らなかった。ただ、彼はそれを自分自身の選択として受け入れることができるのだ。ラストの切り返しも忘れがたい。再び、物語が始まる温かな予感。
「何よりもまず、タネールは映画を発見した男なのである」(蓮實重彦「アラン・タネールは映画を発見した」『“アラン・タネール”』)

「タネールが描きたかったのは純白ではない。汚れきった白だ」(黛哲郎「実存主義の甘き香り」『キネマ旬報 1986年2月上旬号』)

船乗りのポールは、工場のように決まりきって閉塞された船を飛び出して、ポルトガルのリスボンへ降り立つ。彼はリスボンでヴァカンスをするわけでもなければ、新たな職を見つけるわけでもない。仕事は放棄し、故郷のスイスにいる妻の元には帰らず、未来のためには「何もしない」。ただ酒を飲み、ビリヤードをして、白い町をふらつく。本作には逆回りに時を刻む壁時計が登場するが、彼はあるべき日常から逆進した時間をリスボンで過ごすことになるのだ。それは死せる時間や空白の時間とも言えるかもしれないが、私たち観客はその奇妙な時間体験を追従することになる。

以下、ネタバレを含みます。

そうはいっても何も起きないわけではない。彼はリスボンの街を、時に自身に8ミリカメラを向けながら―妻へ送るためだ―歩く。ふらふら歩いていると、バーを見つけてビールを頼み、店員のローザと親しくなる。そして気分に乗じて、バーの上のホテルに泊まり、あれよこれよと過ごしていると、いつの間にかローザと性愛関係になってしまう。この展開は男の空想的でご都合主義的なものであることが否めないが、ポールは空白の時間の中で、一抹の親密さを得ることになる。

だが、それは既に常に終わりの予感を漂わせているのかもしれない。空白の時間を漂流するしかできないポールは、リスボンという地に留まれるわけでも、一人の女性を愛し続けられるわけでもない。
ローザにしたって、バーの店員として他者に憩いを与えるだけの存在ではないし―または蓮實重彦にならって、微笑みによる武装解除―、現にポールやリスボンをいつの間にか去ってしまう。

この関係の不定着さは、タネールが厳格なシナリオを書こうとせずに、エモーションがしみ出てくるのにまかせた制作スタイル、即興性に起因すると思われるが、どこか廃れて侘しく感じる。



奇妙な時間体験を与える要素の一つに8ミリカメラで撮られたフィルムがある。あのフィルムは、ポールが撮影したものだろうけれど、所々にそうではないフィクションが存在している。例えば、ホテルの一室でのショット。8ミリフィルムのローザは微笑を浮かべるが、本作で最初に描かれるホテルのシーンではそんなものはない。また中盤でローザがポールのセックスの誘いを断る描写。8ミリフィルムでは、裸体を晒すほどに心を許した関係であったはずなのに、まるではじめて会った時かのようだ。そして最後に電車で対面に座る女性を捉えたショット。ポールは電車賃を得るために8ミリカメラを売ってしまったのだが、女性が8ミリフィルムで映し出されている。

これら物語世界の時間軸やリアリティを放棄した8ミリフィルムは一体何なんだ?物語の整合性がとれず、破綻しかねない危ういものだ。しかしこの8ミリフィルムには、ポールが存在証明のため妻に送る紀行フィルム以上の、空想や心象風景、エモーションが確かに滲みだしている。この滲みに浸るのは心地いいし、何より私の記憶や思い出も惹起される。そうか、これが空白の時間に漂流するということか。

ポールの寄る辺なさは何だか自分と通じるものがあるな…。そんな予感が漂うも、リスボンの汚れた白で掻き消したい。

追記
ポールが財布を盗まれる描写は、物語では劇的な展開としてあるあるだけれど、そういうわけでもなく、犯人を成敗できずに逆にナイフで刺される。死ぬでもなくただ負傷することには、笑ってしまったが、この語りのラインは絶妙だし、アラン・タネールはやっぱり凄いとなる。

『白い町で』に似ている作品

さすらい

上映日:

1977年01月27日

製作国:

上映時間:

176分

ジャンル:

4.0

あらすじ

大型ワゴンに乗って町から町を巡り、映画館のフィルム運びや映写機調整の仕事をしているブルーノ。ある日、彼は空のトランクを片手に旅をしている離婚したばかりの男・ロベルトと出会う。ロベルトはブル…

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