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リヴァイアサン
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リヴァイアサンの作品紹介

リヴァイアサンのあらすじ

かつて世界の捕鯨の中心地であり、現在でも毎月500 隻以上が出航する漁港、ニューベッドフォ ード。本作はその沖合で撮影された。ハーマン・メルヴィルの「白鯨」をインスパイアしたあの神 話的な港町から、我々は巨大な底引網漁船アテーナ号とともに大海原へむかう。 船は黒く濁った海を航く。危険と隣り合わせの過酷な漁は何週間にもわたる。しかし『リヴァイア サン』は「伝統」に抗い、漁師たちの仕事をロマンチックに描いたり、善良な漁民といったイメー ジに置き換えたりはしない。かわりに、これまで誰も試みたことのないやり方で、人間、海、機械 装置、海洋生物といった現代商業漁業に関わるすべてを生々しく、鮮烈に、まるで万華鏡のように 活写していく。そこでは、美と恐怖、生と死とが不気味に溶解しあう。 本作を監督したルーシァン・キャステーヌ=テイラーとヴェレナ・パラヴェルの二人は映像作家で あり、ハーバード大学感覚民族誌学研究所に所属する人類学者でもある。カメラは網の中でもがく 魚たちや、上空を飛び交うカモメの目線となり、虚空を舞い、海中へとダイブする。泡立つ波音、 クレーンの軋み、波に揉まれた船体があげるうめき。圧倒的な映像と音響の奔流。『リヴァイアサ ン』は、そのただなかに我々を放りこむ。もはやそれは黙示録の体験である。

原題
Leviathan
製作年
2012年
製作国
アメリカフランスイギリス
上映時間
87分

『リヴァイアサン』に投稿された感想・評価

5.0
「リヴァイアサン」

〜最初に一言、超・超絶傑作。2010年から19年の間の10年間で劇場公開された作品の中で、私が選び抜いた傑作10本(ベストテン)の中の1本の傑作ドキュメンタリーで、魚の血で海が赤く染まり、舳先で波が砕けるその圧倒的ダイナミズムの映像と大音響による人類学者の目線で撮られた海洋映画の傑作である。本作は完璧なシアター設備のもと見ることを前提に作られたと言っても過言ではないほど圧倒的な美しさ、グロテスクな描写、海中撮影、空撮、人間中心主義、過酷な自然界を生き抜く野蛮な人類の進化をえぐった歴史的スペクタクル超大作である。あらゆる意味でセンセーショナルかつ、真新しいドキュメンタリー論をぶつけ、危険な領域に誘い続ける生命と創造による五感体験。このサウンドと荒ぶる海の前には自然界の掟があり、そこに神は存在しない。ただあるのは弱肉強食の世界。"リヴァイアサン"とはよー付けたもんじゃ。私はこの作品を魚類の臭気が脳裏に漂う映画として唯一無二の存在である事をここ証明したい〜

冒頭、荒れ海から鎖を上げる漁師。波音、風音、金属がぶつかり合う音…朝方の特有な紺碧の空、海。海中から船へ動くカメラ。微生物とゴミ浮く海中撮影、鷗の大群、グロテスクな魚、打ち上げられる軟骨魚綱の鰩…‬本作はルシアン・キャスティン=テイラーとヴェレナ・パラヴェルが2012年に米、仏、英合作のドキュメンタリー映画で、ロカルノ国際映画祭に出品され話題になって、日本でも劇場公開され、当時イメージフォーラムで見ようと思ったが、タイミングが合わず、紀伊国屋から発売されたBDを購入して初鑑賞したのは今から数年前。あまりにも好きすぎて、今回3度目の鑑賞したがやはり傑作である。私が2010年から2019年までの10年間に公開された作品の中でもベストテンの中に入れた1本である。監督は、製作、脚本、編集も務めたド肝を抜く美しさダイナミックな映像と音で体験する海洋ドキュ‬メンタリーの傑作で、監督は人類学者らしく彼らの目線言わばアマチュア立ち位置から撮られた作品だが、観た人なら誰もが思うあの尋常じゃないカメラワークだ。

海中撮、空撮、映像と音響で伝達する人間中心主義、過酷な自然界を生き抜く野蛮な人類の進化、歴史がたったこの一作で伝わる傑作中の傑作だ。これほどまでに大音響で細胞一つ一つに音が染み込むような音と視覚を満たす映像は滅多にない。これは巨大なスクリーンで音響設備が最高な映画館で見たらたまらないだろう。運良く、私のシアタールームの設備は結構お金を使っているため、大音響大画面で迫力あるダイナミズムな映像で見たことが幸いして、自宅でも大いに楽しめた。この映画を見るにあたって、とりあえず音響設備は必須であり、アンプ、巨大なスピーカーなどを用意してみることをお勧めする。間違っても小さな画面、虫の音程度のスピーカーなどで見聞きしないで欲しい。ところでこの映画面白いことに、人間が魚を洗っていて、人間自体がシャワー室で自分の体を洗っていると言うこの二つの行為がうつされるところが全くもって滑稽なところであった。

ニューベッドフォードはかつて世界の浦鯨の中心であり、文豪ハーマン・メルビルの"白鯨"をインスパイヤしたあの港町から、我々は巨大な底引網漁船?アテーナ号とともに絶海へ向かう。危険で過酷な旅は数週間にわたり、船は漆黒の海を航く。そこでは昼と夜、美と恐怖、生と死が不気味に溶け合い、やがて我々の時空の感覚を狂わせていく。この映画は怪物なのか、自然と人間の関わりの深淵へ…狂っているのは世界なんだろうか、それとも人類なのか。圧倒的な映像と音響の奔流。もはや黙示録の体験であると大絶賛されている。監督のルーシァンとヴェレナは映像作家であり、ハーバード大学(感覚民族誌学研究所)の人類学者でもうあるそうで、2人はこれまで誰も心見たことのないやり方で人間、海、機械装置、海洋生物といった現代商業漁業に関わる全てを鮮烈に、生々しく活写していく。カメラは網の中でもがく魚たちや、上空を飛び交うかもめの目線となり、虚空を舞い、海中へとダイブする。泡立つ波音、クレーンの軋み、波に揉まれた船体があげるうめき。圧倒的な映像と音響で、「リヴァイアサン」は、そのただ中に我々を放り込む。

どうやらハーバード大学の感覚民族誌学研究所と言うところは、美学と民族誌との革新的な連携を推進する実験的なラブらしく、本作の監督がディレクターを務め、アナログとデジタル両方のメディアを使った創造的な探求の成果として、2009年にはベルリン国際映画祭、2010年にはロカルノ国際映画祭、2013年には同じくロカルノ国際映画祭といった刺激的な映像作品を生み出し映画祭で絶賛されてるようだ。またマサチューセッツ州ニューベッドフォードは、ボストンから南へ車で1時間ほどの都市らしく、東には1620年にメイフラワー号が到着したケープコッドがある。捕鯨は18世紀中頃に始まり、19世紀に最盛期を迎える。主に灯火燃料や工業油にする鯨油を取るためだったそうで、港は世界最大の捕鯨基地としてにぎわった。1843年、アメリカの捕鯨船に救出されたジョン万次郎が初めてアメリカの土を踏んだのもこの地だったそうだ。捕鯨が終焉を迎えた現在でも毎月500艘以上が出港する全米有数の漁港であり続けているようだ。

いゃ〜、今回も久々に見返したけど、この映画だけでシネマと言う意味を変えたと言っても過言ではないとジャーナリスト兼映画評論家のジャン=ミシェル・フロドンが言っているように、確かにアメリカ沖合の大型漁船上で撮影されただけの映画にもかかわらず、ここまで見る者の知覚と常識を転覆し、豊かな映像と音の詩を創り得ている事に、もしくは成功している事に驚きを隠せない。まるで別の宇宙を見ているかのような、まさしく中島みゆきの"宙船"が頭の中を駆け巡ったかのような感覚でさえある。ここで中島みゆきの"宙船"の歌詞の一部を引用してみたいと思う。"おまえが消えて喜ぶ者におまえのオールをまかせるな"と言う部分である。この映画の荒れ狂う海の中の漁師の姿を見ると彼女のその歌詞の情景が浮かんでしまったのだ。まさにこの極限的な体験は、反響を重ねる兒玉がいつまでも続くような強烈な感覚が細胞ひとつひとつに伝達するかのような振動を感じ取れる。

これが本来のスピーカーの役目か、これがサウンドの凄さか…と体験できたイメージや音の集積を源泉とする映画だなと思った。それに、冒頭のヨブ記の引用があるのだが、それは天地創造を意味しているのだろうか、色々と考えてしまう。この作品を見るととりわけ波の音と風の音がすごいのだが、海と風の力がここまであるとは思いもしなかった。そこに肉体労働が挟まれ、大量に動いている魚たちの残骸だったり、海鳥の群れ、野生生物、それに濃厚な色彩が不意に暗闇から解き放たれる時の圧倒的な動物たちの存在感は、まさに海のファンタジーである。イメージがものすごいのである。カオスと言う言葉が当てはまるのか、もしくはアジャンス(組み合わさり)なのか…。無数の生命の記録を複雑に、過激にモンタージュしており、宇宙を一元的世界と捉えるより、近年哲学者が造語した表現にならって言うなら多元的世界として描いていると先程言ったフロドン氏が説明していたことを思い出す。船長室はレーダー、ソナー、モニターが24時間が成り立っている巨大なコントロールルームで、人間の科学的、技術的偉業を表すこの機械の集積は、頑固で盲目的な過剰消費を持続するために活用されているんだなと思う。



ところで、この激しい映像の中に、ふとインターミッションとも思える、漁師らが休憩所みたいなところでテレビをひたすら見てるのを永遠に長回しするシーンがあるのだが、あまりの長さに頭の中で、これ後どのぐらい続くんだろうと思ってしまった。あの眠りに落ちるまでのワンシーンを取り入れたのが非常に良かったと思う。それまでが、強烈な荒れ狂うシーンだらけだったし、そのシーンが入ったことにより多面的に感受できるかを実践している。ドキュメンタリー映画と言うのは基本的にセリフが入ることが多いが、この作品にはそれが排除されている。といっても、セリフがないドキュメンタリー映画は過去にも何本かある。しかしながらこの作品がいかにして特異性な立場に持ってこられたか、それを考えると人間以外の視点、その着眼点の違いさがこの映画の偉大な実験であり見所の1つなんだと思う。それに通常使われるカメラではなく、音声を含めて、ゴープロと呼ばれる防水機能付きの超小型カメラを11台使用してこの映画を撮ったと言うところもやはり話題を掻っ攫った。

というのもドキュメンタリー作家が伝統的に使用してきた普通のカメラと言うものを無いものにしてとっているからだ。しかも人間につけるだけではなく、ありとあらゆるものにつけてしまうのだ。そうすればどれほどの臨場感あふれるダイナミズムな作風が撮れるか、おのずと誰もが気づくが、このような映画の結果は予想だにしただろうか…。だって、単なる商業漁船で展開される人間の営みを撮っているだけで、そこに網で捕らえられた魚や死んだ魚、カモメが空を飛ぶ場面などをただ撮っているだけで、こうも固定概念をぶっ壊す映画ができてしまうとは、要はきっかけと閃き1つで、古いドキュメンタリー映画を上書きできるんだなと思った。しかもグロテスクな魚目線で我々人間が写し出されるのだから、魚の気持ちにもなってしまうのだよ。そこがまた何とも言えなかった。

「リヴァイアサン」では船、海、空、風、そして魚のショット以外に、中年男性のショットが写し出される。さらに、その漁師たちの作業する現場、超クローズアップにした目元の寄りだったり、毛穴まで見えてしまう腕に寄ったショットがすごく印象的である。基本的にバストショットだらけの映画がこの世の中に存在する中、この映画はそれを8割排除している。今思い返せば、アート・シアター・ギルドで活躍していた吉田喜重や実相寺昭雄の作風もそういったスライド撮影だったり、顔半分だけが映ったり、足元だけが映ったりとアバンギャルドな映画を多くとっていたことを思い出す。ともあれ、この作品はとりあえず人間中心主義の映画が大嫌いな人間にとってはすこぶる傑作に感じる映画なんだろうなと思う。人間のイデオロギーにうんざりした人間にお勧めしたい。

この映画は非人間的な人類がカメラの対象になっている分、かなり本質的かつ原理的なものを示しているような気もする。視覚芸術であると言うことを忘れる位、この映画は怪物級である。昔の海洋パニックムービーで同じく「リヴァイアサン」と言う作品があるが(私はザ・グリードの方が好きなのだが)それは異様な存在感を放つ怪物が描写されていたが、この作品でもそれと同じ位に奇妙で不気味な怪物がいる。それが漁船アテーナ号である。この船の異様な存在感は巨大な物体として画面に君臨し続ける。先端の傷だらけの(錆びついた)ボディを見るたんびに行く旅の怪物、猛獣と戦った痕かと思う位である。まず生物、人類その前に主役の1人であるのは間違いなくこの船である。カメラワークがそれぞれのショットを巧みに編集しているため、ランダムに海と空が映り込み、そこに鳥たちの華麗なる羽ばたきや、網にかかったグロテスクな海洋生物たちが波に打ち寄せられる場面が我々観客を襲う。


冒頭付近からロープの様なワイヤーの塊が引き巻かれる薄暗い夜更け前の船上での人間による作業風景で、そのワイヤーが異世界の生き物かの様な得体の知れない風貌をしていて、一種のモンスター映画を見てるかの様だ。カメラは海中へと潜るし、その音と不穏な空気が正に得体の知れない生物を確認するべく運動していて、それはフレーム全てにおいてその怪物の目線語られてる…。網が海中から引っ張られる際のシーンなど巨大な海蛇にも見えるし波を大きく波動の様にそして静謐にゆっくりとカメラが船から後退して、カモメの鳴き声が強調されるシーンは晩夏の土用波の如く。にしても普段我々が美味しくお寿司屋さん等でいただいている魚介類、魚がこれほどまでグロテスクで美味しそうに見えないのも西洋だからなのか、パステルカラーのいかにも体に入れたくないような気色の悪い魚たちがいるもんだなと思った。それをかなりの寄りに撮影するのだから見てるこっちはショックである。

目は大きく飛び出して、口には得体の知れないものが入っていて、それを解体する手さばきのスピード、血しぶきが垂れ、防護服のようなものを着用した漁師たちがグロテスクな魚たちの腸を掻っ切り、首を落としていくその作業の反復と運動がゴープロと言う画期的な小型カメラが休むことなく捉えるのである。そして血だらけのその魚たちが水で洗われ、ようやく新鮮でおいしそうな魚へと生まれ変わるのだ。余談話だが、もともと監督は通常のカメラで撮影していたのだが、撮影機材が二台海に落ちてしまい、そこからゴープロに切り替えたときに、自分たちが人間以外の視点を獲得したことを自覚して、人間目線の人間中心主義的(ヒューマニズム)なショットを映画から排除し、視線の脱ヒューマニズムを設定したとのことである。これは確か映画作家の想田和弘氏が言っていた。


映画が始まって30分ごろにかもめ(水鳥)が船の中に迷い込み餌を探しているシーンがあるのだが、寄りに撮影に収めているのがすごい動物のドキュメンタリーを見ているかのようでよかった。結構お気に入りの場面である。必死に上に上がろうとするんだけどなかなか上がれない可愛らしさがある。そんで鳥が立ち去ったらカットが変わり、目元のシワをクローズアップした男の描写になり、ロック流れる中、無線通信の音とピンボケの画が徐々に直っていくシーンも印象的である。んで、エイをナタで真っ二つに切り裂く場面は強烈で、「エイリアン」の卵から孵化した場面を思い出す。そんでいよいよこの怪物(漁船)の船首が現れるシーンは何年、何十年も漁師たちを乗せてきたその傷だらけの舳先あるいわ艦首の画に妙な感動を覚える。逆に何が映っているかよくわからない映像でも、そのブラックアウトかと錯覚する画面は画期的だなと思う。フレーミングとか。

それにしても映画が作られてから、白黒、カラー映画、サイレントからトーキーへ…古典期のスタジオ撮影からいよいよ個人撮影の時代に入ってきて、安価な値段で手に入る撮影機器でここまで画期的な作品が撮れてしまうのだから驚きである。斬新的な移行はこれからも続くのだろう。そういえば冒頭に話した、"リヴァイアサン"とはよく言ったものじゃ…とは、世界と同じだけ古い名称であり、題名であるその"リヴァイアサン"とは聖書のイザヤ書、ヨブ記に出てくる海の怪物で、その姿かたちをはっきりとされていないのだ。カタクリズム(地殻の激変)の隠喩として、中世には地獄の門、魂を飲み込む大きく開いた表象された近年にあたっては、"リヴァイアサン"は政治的なニュアンスを帯びる。トーマス・ホップスがその大部分の政治論文のタイトルとしたそうだ。

そうそう、漁師たちが好んで見ていたテレビ番組は死に至る水揚げと言う、アラスカの鱈場蟹漁についてのリアリティーショーで、ジャーナリズムと自称するお約束の陳腐な手法の数々を使って、海に生きる事とその危険性を過剰にドラマチックに描いた代物だそうだ。そういえば1世紀もの間、当時新しく取り入れられた漁業操業のあり方が水産資源の未来を脅かすと考え、政府に規制を要請した話があったな。国家や世論はその声を無視したことにより、現在になって環境保護リベラルたちが、大規模漁業の歴史的文脈を顧みず、盲目的に水産資源を強奪してきた私たちの罪を現代の漁師に押し付けているのは実に悪趣味と監督も言っていた。そうなると1世紀もの間と言う事は、およそ1850年から1950年までの間なのだから、100年以上もの間、技術発明によって新しい漁法が次々導入されるたびに、漁師たちは政府と新ダーウィン主義の海洋生物学者に対して、法規制を懇願していたはずである。実現していたら未来の人類のために魚の資源を守れたのではないかと考えることもできる。政府、海洋学者、環境保護活動家が成功したのは、唯一、魚と漁師の両方を絶滅寸前に追い込むことだけだったんだろうな…と。

長々とレビューしたが、まだこの作品を見てない方はぜひとも見て欲しい。とんでもない87分のドキュメンタリー映画である。
4.8
漁業の様子をGoProで捉えたドキュメンタリー映画

大傑作!!
人間の主観視点と魚の視点、そして漁船そのものの視点など様々な視点に移り変わりながら漁業そのもののイメージをダイナミックに描き出すドキュメンタリー映画なのだが、あまりにも残酷でありながらも尚且つ自然と機械の美しさを捉えた大胆な映像がとにかく素晴らしい!まさに強烈な映像体験と言うしかない。

網に捕らえられた魚が船に上げられ、捌かれる様子。ヒラメを切る様子。貝を集める様子など、映されるのはただの漁業の様子なのだが、自由自在に動き回るカメラワークのおかげで一気にダイナミックな映像に仕上がっているのが凄い。捌かれた魚の死骸が集められた箱の中にカメラを入れたりヒラメの残骸が海に落とされる様子をヒラメの視点で眺めたりなど、普段は絶対に見られない視点から見られるのが面白い。
そしてなんと言っても本作の凄い部分は、奇跡的なショットの数々にある。
貝を集める手を映していると、ポイ捨てされた結果網に絡め取られて船に上げられた空き缶が画面内に映り込む。ヒラメの残骸を捨てている奥で白鳥が空を飛んでいる。天と地が反転した世界の中で白鳥の群れが自分自身が白鳥となって映される。
決してセリフで場面を描かず、映像だけで構成された映画であるからこその映像の迫力であり、これこそ1つの究極の映像体験と表すに相応しい。

同監督コンビの最新作『De humani corporis fabrica』では人体の内部や抉られた腹の中にカメラを通していたりなどしていたため、映像にかなり手が込んだ独特なドキュメンタリー作家だよな〜と思っていたのだが、本作はその数倍ぶっ飛んでいてビックリした。大好きです...

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