ずっと待っちょいますから―――。敗戦の色濃い1945年春の鹿児島で、美しく純朴な娘に芽生えた淡い恋の行方。黒木監督の遺作。
昭和18年。沖縄ではまだ戦争の影は薄く、沖縄師範女子部の和子らは運動会を楽しんでいた。しかし、昭和19年になると戦局は悪化。やがて米軍グラマン機による空襲が那覇を連日襲い、和子ら女子学生は…
>>続きを読む戦争末期に召集された100人の中年兵たち。クジ引きで各自の赴く戦地の振り分けがなされた晩、フィリピン行きが決まった森川定造は、妻の友子から送られてきた一枚のハガキを松山啓太に託し、自分はど…
>>続きを読む昭和19年(1944年)12月、奄美 カゲロウ島(加計呂麻島がモデル)。 国民学校教員として働く大平トエは、新しく駐屯してきた海軍特攻艇の隊長 朔中尉と出会う。朔が兵隊の教育用に本を借りた…
>>続きを読む1942年、アメリカ軍は日本軍の駐留するガダルカナル島を、太平洋戦争の重要な拠点と見なしてその占拠を計画。ウィット二等兵やウェルシュ曹長をはじめとするアメリカ陸軍C中隊の面々も作戦に参加。…
>>続きを読む昭和20年3月。窮地に立たされた日本軍は、勤労奉仕と称して沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の若い女性たちを戦争の最前線へ送る。日本軍のため、必死に働くひめゆり部隊。しかし、米軍の…
>>続きを読む北支事変の初期。二百人の精鋭を半数まで失いつつも攻略を終えたばかりの一地点。藤本軍曹は部下四名を率いて敵軍の現状を探る任務に就いた。敵のトーチカを発見した斥候兵たちだったが、既に敵軍に四方…
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