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芸術と手術
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『芸術と手術』に投稿された感想・評価

3.9
接ぎ木による侵略

『カリガリ博士』のロベルトヴィーネ監督によるサイレント期ホラーの傑作!天才ピアニストのオルラックが列車衝突事故で両手を失う→手術で移植されたのは殺人鬼の手だった。そのせいでピアノが弾けないどころか、手から逆流するかのように殺人鬼の思考に侵されていく…。

調べたら腕の移植って稀ながら行われているらしい。映画とは違って、体が腕に影響を及ぼして腕を変化させていくこともあるみたいで、そういう記事が出て来た。そう考えると何ともコメントしづらい主題…😅あくまでも映画の話です!

原作では奥様ロジーヌ視点で物語が進み、幽霊的存在であるSpectrophélèsに悩まされながらも稼げなくなった夫を影ながら支えることに苦心する奥様の強さを描いており、“移植された殺人鬼の手”はクライマックス付近に明かされるもの。外在化する心的投影を絡めたミステリーといった趣きの原作に対して、オルラック視点によるアイデンティティの揺らぎを拡張させ、そこに恐怖を見出した本作はホラーへと明確に舵を切っているように見える。原作も高純度なホラーではあるのだけど😂

そしてそれは凋落への不安と自身の内面に潜む悪意という二面の恐怖であって、オチは安堵を齎すものでは決してなく、列車事故に見立てた戦後不安に起因したオルラックのあり得べき可能性を担わせているのでしょう。個では絶対に制御できないクリティカルな外的事象が心に作用し、そこから抑えようもなく湧き上がってくる悪意という心的な二段構え。だからこそオルラックが怯えているのは自己の内面そのものであって、心的投影の外在化は映画でもしっかりと機能している。

その主題を象徴するアイテムとして、自身の意思とは関わりなく外部から植え付けられた“手”を接ぎ木の発想の元に利用しているに過ぎない。それは思想であって、エーベルスが『アルラウネ』によって描いた主題と非常に近い。それ故に原作からこのような改変を行ったのではないかと思った。本作は被投と企投の分析であって、原作オルラックは企投という点で非常に真っ当であったのに対し、映画オルラックは非常に頽落的に映る。それは描かれた場所と時代故の差異であろうし、ホラーに向けた意思表明なのでしょう。

そして触覚として他人の手を伝ってくるものは本当に自分の知覚なのか…といった感覚器官の相違ゆえの外界-自己との断絶的な発想も感じた。異様なまでに触れることを拒むのは殺人鬼の手であるからだけでなく、他者の感覚器官によって外界そして愛する人と接触することの違和感も多いにある気がする。相手方視点に立った場合にそこにいるのは自己か他者か。そういった自己の混濁を起こしつつも外部から認識される指紋による同一性に絶望感と恐怖が極大になっている気がする。

列車衝突の大惨事を背景に、強烈な闇の中を朧げな光により闇を切り裂いて進む主観投影の美しさ。現地に重くのしかかる闇と希望的に投入される救助隊?を含めた光の到来とそれを阻む濃い煙…プロローグ時点でカッコ良すぎるんだけど、ペンを置く等のちょっとの仕草に事実と感情が乗り、とこどころで見られる自己解体のような演技や、自己領域を意識した手の位置取り、妻・ピアノとの位置関係と動線、ロングショット→超ロングショットへの変遷等最後までずっとカッコいい。個人的に好きなのはガス灯の灯り。明度を変えずに主従を移動させるのすんごいグッと来た。
[私の手は誰の手だ?否、私は誰だ?] 80点

何度も言葉にして口の中で転がしたい絶妙なセンスの邦題をしているが、原題"オルラックの手"の方が内容は理解しやすい。開始5分で『鉄路の白薔薇』レベルの列車衝突事故が起こり、世界的なピアニストのオルラックは両手を失う。名医によって別人の両手を移植するが、オルラックはそれが殺人鬼ヴァスールの手であることを知り、次第に彼に乗っ取られていくような感覚に陥る…ってどこかで観たなこの展開。少しばかり頭を捻って、それがガイ・マディン『Cowards Bend the Knee』であることを思い出す。しかし、おなじみ一連の奇天烈な設定の一つだった同作に比べると、100分近くに渡って"元の自分に戻れない"→"自分が別人である=ヴァスールである"と信じるに至り、犯してもいない犯罪について苦しみ続ける恐怖は何物にも代えがたい。このすり替えは彼を操る犯人によって誘発されるもの(つまり不自然なもの)もあれば、結婚指輪が入らない、筆跡が全く異なるなどオルラック本人から発されるものもあり、その巧妙さと追い詰める手数の多さに唸ってしまう。

『カリガリ博士』のロベルト・ヴィーネ&コンラート・ファイトのコンビなのだが、同作のごちゃついたセットとは異なり、だだっ広い空間に数少ない家具というセットが素晴らしく、荒涼とした心の砂漠を現実世界に具現化したかのような錯覚に陥るほどだ。オルラックがヴァスールを語る男を相見えるシーンの照明も良い。地下室の電灯がそれぞれの顔を照らし、他の空間を闇に投げ込むが、ヴァスール(を語る男)の帽子に遮られた光は彼の目に影を作る。こういった心的空間を具現化していくのはドイツ表現主義的だが、やはり『カリガリ博士』のときとは異なって写実主義も取り込んでいるらしい。

この時代のホラー映画って催眠術使いがち。
4.0
【元祖・身体乗っ取られ譚】
両手を失い手術したものの、その手が殺人鬼の手で段々身体が乗っ取られていく話。サイレント映画とパントマイム的仕草は相性抜群。タメのある仕草に満足した。

リメイクしてもおかしくない秀作。

『芸術と手術』に似ている作品

フランケンシュタインの逆襲

製作国:

上映時間:

83分

配給:

  • ワーナー・ブラザース映画
3.4

あらすじ

19世紀末、スイスの寒村で処刑の時を待つフランケンシュタイン男爵。男爵は牢獄の看守たちに、罪は秘密の研究室で造り上げた生物の仕業だと訴える。その生物とは、罪人の死体に天才彫刻家の手や優秀な…

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