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『アートなんかいらない! Session1 惰性の王国』に投稿された感想・評価

4.5
【自由であること】

アートなんかいらない...というより、”アートって何か”みたいな議論が不毛だという話のような気もする。


前に、横尾忠則さんが、Twitterでこんなことを呟いていた。

「だけど、今は何んでもコンセプトにしたがるアーティストがいる。コンセプトの枠の中で自由になれる? 確かに枠内では自由だろうが、枠の外には無限の自由がある。これじゃ広過ぎるので自己限定が必要なのかな? 限定はすでに自由を放棄したようなものだ。」

だからと云うわけではないが、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」は、実は、コンセプトの外にはみ出たような自由さがあって、面白いのではないかと考えていた。

ただ、始まってみたら様相は違っていた。

この作品でも取り上げられるデュシャンの「噴水/泉」は、アートとしての価値は、あまり無いと言う人がいるものの、そう云う人でさえも、アートとは何か?理論も含めて考え直すきっかけになったと作品だと認めているように思う。

アートとは、横尾忠則さんが言っているように、現代では、自由が前提じゃないかと思う。
しかし、長い時代の中で、その前提自体も変遷している。

映画「第三の男」の中で、オーソン・ウェルズ演じるハリーがホリーに対し、ウィーンの観覧車の乗降口のところで話したセリフが芸術と時代や政治との関係を考えるきっかけにもなって印象的だ。そして、これは、あまりにも有名なオーソン・ウェルズのアドリブだ。

「(ちょっと端折って訳してます)イタリアは、ボルジア家の血塗られた圧政の下、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、そう、ルネサンスを生んだ。しかし、スイスはどうだ?500年に及ぶ平和と民主主義は何を生んだ?鳩時計だろ」

これは最高の皮肉であると同時に、芸術を生み出す前提が時代によって異なること、宗教や専制主義が主導し、コンセプトを限定することで加速したこともあることを分かりやすく説明している。
ただ、話の腰を折るわけではないけれども、今ではスイスの精緻な手作業の高級時計作りは、アートと呼べるような代物でもあるように思う。

しかし、アーティストは、それにただ従属していたわけではないようにも思う。
人間と神の世界の矛盾をアートとして表現することは、写実性や神の物語を超えて僕たちに訴えるものが多くある。
ピエタでは、死んだ人間(キリスト)の肉体が今にも動き出しそうだし、遠目には悲嘆にくれるマリアを近くで見ると、死んでいても我が子(キリスト)が手元に帰ってきて安心しているようにさえ見える。これは、サンピエトロのミケランジェロのピエタだ。ミケランジェロは、ミラノにもロンダニーニのピエタという遺作を残しており、それは、現代美術のような荒々しい彫刻だが、正面から見ると、死んだキリストをマリアが必死に抱き起そうとしているように、そして、背後から見ると、キリストが年老いたマリアをおぶっているように見える。
息子が死んだら母は悲嘆にくれ、生き返ってくれと願い、年老いた母を息子はやさしくおぶってあげようとする。

フラ・アンジェリーコの受胎告知は、ヴァージンのマリアが神の子を身ごもったことを天使に伝えられる場面だが、この2つの矛盾した側面の他に、一見、マリアはフィアンセがいるのに妊娠なんて!?と迷惑そうな表情にも見える。
ルネッサンスは人間復興とも言われるが、これは人間そのものの表現のように感じると同時に、アートは、常に何かと闘い、微に入り細に入り新しい価値観も取り入れながら、既存の価値観と闘ってきたのではないかと思うのだ。

もし、デュシャンの「噴水/泉」が、レディメイドで機能美なるものも含んでいて、芸術理論を再構築する上で、重要なのだとしたら、現代のほとんどの人が座り心地の良いと感じてしまう日本のメーカーが作ったトイレ🚽もアーティスティックと言っても良いんじゃないかと僕は思う。

ずいぶん昔になるが、アメリカで開催された現代美術展で、トイレに尿の代わりに透明な黄色の水を入れ、そこに磔にされたキリスト像を入れた作品が出展された。
意図は正確には分からないが、物議をかもすと同時に、これはアートとして理解されていた。
考え方はいろいろあると思うが、信仰に絶望し、信仰をトイレに流してしまいたい人は共感するのかもしれない。また、安倍晋三が深くかかわった旧統一教会とのことを考えると、同様な気持ちの人は多いかもしれない。それに、実際に安倍晋三を殺めてしまうより、アートとして表現する方が、かなり平和的な気もする。

”あいトレ”では、特に、2つの作品が物議を醸した。少女像と昭和天皇の写真を踏みつけ燃やすというCG作品がそれだ。

少女像については、つるの剛士氏が、売春婦がモチーフの作品なんてアートとは呼べないし、自分の子供には見せられないと言っていたように覚えているが、世界中には、売春婦がモチーフの文学や芸術作品は沢山あって、それ自体がアートであることを否定するようなものではないように思う。つるの剛士氏は、慰安婦は売春婦だと主張したいのだと思うが、売春婦を人間として卑下するような考え方自体が人権を考えた時におかしげなことだと分かっていないのだと感じる。いずれにしても、声高な主張の割に、無知をさらけ出して、何が面白いのかと思う。

昭和天皇の写真についても同様だ。
立川志らく氏は、こんな作品を作るなんて親の教育の問題だと言っていたが、普段は、師匠だった立川談志氏の、”正義を振りかざすことが一番危険な暴力だ”と説いているのに、そのまんまのことをしていると気が付かないのかと、やれやれと思ってしまう。
更に、近年見つかった、昭和天皇の侍従長だった百武氏の日記は、昭和天皇は一矢を報いて戦争を終わらせる「一撃講和」に執着していたことを示していた。
その為に、終戦が遅れたのだ。
民間人を含めた日本人の死者は310万人で、その90%は、終戦までの最後の一年間に亡くなっている。
僕は、あくまでも、安倍晋三の祖父・岸信介を含む大本営の戦争責任だと思うが、遺族や友人が、昭和天皇にも戦争責任はあると感じたとしても否定は出来ないし、それを実際にするのではなく、CGとして表現したからと云って、映画のエンドロールで、道徳云々とウヨ公が叫んでいても、逆に人の気持ちを理解できない無知で低能のバカとしか思えない。
安倍晋三の事件をきっかけに、韓国発の霊感商法教会との関係が明らかになって、今頃、ウヨ公は自分たちのバカさ加減を思い知っているのではないか。もし、自覚もしていないとしたら、相当ヤバい。

まあ、あいトレの「表現の不自由展」についてのあれやこれやを考えると、バカバカしさがいっぱいだけれども、アートの前提は、やっぱり自由であることだと思う。

縄文は、映画「掘る女」にもあったように、矢じりの材料となる黒曜石を通じて各地と交流があったが、土器や土偶を見ると、地域によってデザインは独特で、とても自由だったことが伺える。

僕たちは、その独特なデザインから、火炎土器をありがたがって日本人の感受性の豊かさの証左として語る人(ウヨに多い)を見かけるが、縄文人と現代の日本人は個人差はあっても、全くイコールの遺伝子ではない。どちらかというと、弥生人なのだ。
そんなことより、重要なのは、やはり、自由であることで、縄文人は、デザインによる”優位性”など微塵も考えていなかっただろうと想像もする。
山岡信貴監督が縄文文化にハマる中、アートに接しても何も感じない「アート不感症」になってしまう。世界的なパンデミックの状況下で、不要不急が叫ばれ、美術館などの閉鎖、中止などが相次ぎ、アートの存在意義を考えるうちに、関係者への取材を通して、アートを再定義するドキュメンタリー映画です。

映画は「Session1 惰性の王国」「Session2 46億年の孤独」が別プログラムとして同時公開され、時間の都合で日を分けて両作品を観ました。

両作品観終わった後の感想としては、
人間が作り出した不確かなものがアートであり、文化や潮流、言語の流れで形を可変させながら息づいていくものだと思いますが、そのものの不文律や価値観が変わったとしても、それはアートと呼ばれ続けるものなのだと感じ、それが風化したりするものではない揺るぎない存在であると思いました。

「Session1 惰性の王国」
では、「あいちトリエンナーレ2019」での騒動や三鷹天命反転住宅から、ラブドール開発まで、アートの境界線や社会の中での機能、アートとしての虚実を繰り返すこと自体が人間の歴史であるところまで到達します。

「Session2 46億年の孤独」
では、玉川上水の46キロを地球誕生から46億年に見立てて歩くという活動に同行する部分を軸に、アートにカテゴライズできないものや壁画、人工知能による芸術創作の考察など、アートという認識の外側にあるものから、アートを見つめ直すというプロセスのようでした。

必ずしも2作品観る必要はないし、観る観ないは自由だと思いますが、長時間作品になったとしても1つに映画として観られたほうが、両作品との関連や行き来するテーマの反復もあるので、そうしてほしかったのが正直なところでした。

突き詰めると見えにくくなってしまうものもあるので、今作のようなアートの外側にあるものから内側にある何かを見つめるという機会は、自身の考え方を再構築するよい方向性だと思いました。

個人的には、先日観た「HYODO」に続き、ラブドールが題材に使われていた偶然に驚きがありましたし、作品で多く語られている荒川修作氏の作品で、以前から気になっていた「三鷹天命反転住宅」や岐阜にある「養老天命反転地」は行ってみたいと思っていたので、その気持ちは強まりました。
 終映後のトークは「表現の不自由展」の検閲と妨害の妨害についてが殆どだったが、作品はアートとは何かという本質に迫る。
 15000年前から5000年前まで、1万年も続いた縄文文化にハマった経験からすると、天皇の歴史はたかだか2000年程度、随分最近のことだと、山岡信貴監督は言う。だから天皇の写真が入ったコラージュを燃やしたからといって、全然大したことではない。こんなことで騒ぎ立てるのはどうかしているという感覚だそうだ。
 その感覚は理解できる気がする。古事記や日本書紀といった神話にしか根拠がない天皇の系図など、怪しすぎるものを簡単に信じてその権威を畏れるという精神性は、子供じみていると言わざるをえない。イエス・キリストの奇跡を信じるのと五十歩百歩だ。

 権威の反対側には必ず差別がある。権威主義者はおしなべて差別主義者だ。権威の前で人権を軽んじるから、差別主義者になる。必然である。
 もっと人間は自由なはずだ。権威からはもとより、言葉や概念からも感覚を解き放つことができる。縄文時代はそうだった。ただの鍋や皿に複雑な文様を施す。多分そうすることが楽しかったからに違いない。
 アートとして身構えるから息苦しくなる。商業主義が絡めばなおさらだ。縄文人は何のしがらみもなく、嬉々として造作をしていたのだろう。羨ましい気がする。

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