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『最後通告』に投稿された感想・評価

Jeffrey

Jeffreyの感想・評価

3.8
「最後通告」

〜最初に一言、「山の焚火」のムーラー監督のVHSに残された異質な秀作サスペンス・ファンタジーである。あの傑作から13年、文学から決して映画を作ることをしない監督の自分の経験に基づいたシナリオで描いたアイデンティティーを探す1本である。正に8ミリによる「マルセル」から始まり、フィクションとノン・フィクションに関わらず、実験精神に貫かれた映画を撮る、こうした視聴覚のテーマは、ジャンルに関係なくさらに多様な次元へと広がりを見せた決定的な作品である〜

本作はフレディ・ムーラーが1998年にスイスで監督した失踪した子供を捜索する周辺の大人たちを描いた異色のファンタジー映画で、この度、VHSをなんとか見つけて購入して初鑑賞したが素晴らしい。今月12月の暮れ頃にはやっと紀伊國屋からムーラーの大傑作(数十年前に山の焚火のみVHSで鑑賞)マウンテン・トリロジー(「山の焚火」「われら山人たち われわれ山国の人間が山間に住むのは、われわれのせいではない」「緑の山」)がBDでボックス発売されるので、ソフト化されていないこの作品を見ようと思い購入した。ま、「灰色の領域 」もくっそ観たいがメディア化すらされて無いからなす術ない…本作は98年モントリオール映画祭にてグランプリを受賞しており、確かうろ覚えだがベルギーの作品と同受賞していたと思う。

これも数十年前ぐらいにDVDを購入して見たのだが「僕のピアノコンチェルト」も中々良かった記憶がある。「最後通知」は現代社会をレントゲン写真のように透視する作品で、満月の翌朝、10歳の少年が忽然と失踪するのだ。それが誘拐なのか、性犯罪なのか、事故か、家出なのか…?と同じ日にスイス各地で10歳の子供が次々と失踪してしまうミステリーを描いている。男女6人ずつ、スイスの4つの言語圏から均等に、この奇妙な事件は、警察の懸命な捜査もメディアの過剰な取材も何一つ手がかりを掴めぬまま、さらに奇怪で説明不可能な事へと発展していくストーリーである。極めて寓話的で詩的な作風で、見事な映像と音楽の交響が静かな感銘を与えた前作「山の焚火」とはまた違う味が出ている。


スイス山岳地方の美しく静かな自然を背景に耳の聞こえない少年と知的な姉との近親相姦と両親の死と言うショッキングな出来事を淡々と描いた監督の「山の焚火」。そして今回もスイスを舞台にしており、一見平穏だがそこに複雑な矛盾と不安を抱え込んでる現代文明社会の目に見えない、諸問題をレントゲン写真のように透視し、あぶり出そうとしていて、理性や論理を超えた不可能な現像の中に、地球の未来や希望を捜し求めようとした作品である。スイスの社会的現実についてだけではなく、今後考えさせられる非常に多くのテーマを持つ映画で、子供、夫婦、家庭、差別、オールドメディア、テクノロジーと自然、そして夢と神秘が子供たちの反乱の中に見受けられる。既に中身を言ってしまっているため前置きはこの辺にして物語を説明していきたいと思う。


さて、物語は湖畔の家の1階にある仕事場で、イレーネ・エッシャーは、熱心にパソコンに向かっている。6歳の娘エミが足音を忍ばせてながら部屋に入ってきて"トニーはどこ?"と小声で尋ねる。彼女は仕事に夢中で娘の相手をできず、しつこく質問を続ける娘を無理矢理追い払ってしまう。エミは母親に相手にされないもどかしさから、母親の興味を引くようにイレーネのたくさんの靴を湖に捨てては愛犬のアルゴに拾わせると言うゲームをしている。しかし、しばらくして息子が帰るべき時間が過ぎても学校から戻っていないことを心配したイレーネは、息子の友人からトニーはその日、学校に全く姿を現さなかったと言うことを知らされる。トニーがいなくなった。彼女はすぐに警察に連絡を取ると2人の刑事がやってきて、家とその周辺の捜索が始まった。

トニーの担任教師やクラスメイトもトニーの捜索にあたる。イレーネは別居中の夫マックスの仕事場に連絡するも彼はペテルスブルクに出張中で夜に戻るらしい。自宅の留守番電話へのメッセージは、マックスの若い愛人であるベラが聞いていた。同じ頃、警察にはトニーと同じ年齢のマーヤと言う少女も同じ時間に行方不明になったとの報告が入った。トニーのクラスメートの少年が森の中でトニーの自転車と手提げカバンを森の中で見つけると、警察は警察犬を駆出し、湖畔の森の隅から隅までくまなく探し始めてダイバーは湖の底をさらう。刑事はエミにトニーに何か変わったことがなかったか聞き出そうとするが、彼女は秘密めいたことを言うばかり。トニーとの秘密の約束があるのだと言う。

それでも食い下がる刑事に、彼女はトニーの部屋に貼ってあるポスターの船に乗る少年を指差し、この男の子と船に乗って行ったの。目を閉じると見えるのと片目を手のひらで目を隠すのだった。彼女は船に乗るその黒い肌の子をオムと呼んでいた。次の朝、捜査を再開した警察は湖畔の森に住む老人に話を聞く。昨日もいつも通りの時間に湖畔を歩いていると、砂浜にボートが漂着して小さな人が降り立ち、2人の小さな人たちがボートに乗り込んで、湖へと戻っていったと言う。そしてそれは美しい光景だったと。しかしその老人が生まれながらの全盲だと知ると、警察はもうその老人を相手にしなくなった。一方、原発でウラン調達の最高責任者であるマックスは、同じ日に行方不明になったマーヤ・ノルの父親が、社会論理学者で、かつては原発反対を指揮していたハネス・ルノだと知ると冷静さを失う。

警察もノルを犯人扱いし、すでに軟禁状態で詰問攻めにしていた。しかし彼は反発し続けてついには警察署内で万年筆を使って手首を切ると言う自殺未遂を起こし、重体となる。原発の幹部はマックスに護衛用のピストルを渡し、誘拐は反核主義者による仕業だと言うことにし、世論を味方につけることを提案する。裕福なイレーネの実家では、彼女の両親が身代金を準備して娘を待っていた。お金が全て解決すると言わんばかりの両親に彼女は絶望する。ノルの自殺未遂と言う展開を受けて、警察はヴァッサー警部を休暇から呼び戻した。警部は、コンピューターの行方不明者データから、ある整合性を発見する。トニーとマーヤが下校途中に消えたのと同じ金曜日の朝に、全国(スイスの4言語地区すべて)で、同じ10歳の10人の少年少女が跡形もなく姿を消していたのだ。

警部は組織犯罪を示す印に出くわしたのだと確信する。彼はこの事件の心臓部にたどり着いたと1人興奮する。翌日から早速、ヴァッサー警部はスイス中の失踪した子供たちの親全員に尋問する任務を負って旅に出る。子供たちが姿を消した理由には、何か共通の分母があるはずだ。しかし、彼が出会ったのはどれも全くかけ離れた家族構成、生活環境の家族だった。彼らがすべて湖のそばに住んでいると言うことを除けば、共通の要素は何も見つからなかった。社会的な階層や職種も違い、道徳的信念とも関係なかった。誘拐犯の正体や動機についての親たちが抱く思いにも、全く一貫性は無い。ある昼下がり、エミを含む女の子たちがオムにお願いするの、と言ってコックリさんゲームをしていた。するとコインはヴァッサー(水)と言う言葉を探り当てる。

しかし大人たちは子供の遊びと一向に気に留めない。ほどなく湖畔に住む盲目の老人がエミの家のピアノの調律にやってきた。エミが手を擦り、老人の眼鏡を外して手を当てると、老人は自分の目に浮かんだ情景を彼女に説明する。丸い大きなテーブルをたくさんの子供たちが囲んでいる。周りには紙屑が散らばって…と。一方、ヴァッサー警部が湖畔のカフェで仕事をしていると、目の前に見かけの黒い肌の子供が一生懸命何通もの封書に切手を貼っている。警部に微笑みかけたと思うと、一瞬の間に姿を消してしまった。ある朝、イレーネとマックスそれぞれにトニーの筆跡で手紙が届く。早速警察がやってきて、手紙を押収していく。12人の子供の家にそれぞれの子どもの筆跡で同じ内容の手紙が届いたと言うのだ。しかし内容は空想的で、大人たちは理解に苦しむ。

イレーネの実家の両親はなぜ犯人は身代金を要求しないのと憤慨し、マックスはこれは理想論者の仕業に決まっていると怒りをあらわにする。ただ1人手紙の内容を理解している人者がいた。あの盲目の老人は手紙を見なくても、その一字一句をイレーネの前で暗唱する。僕たちは地球の幸せを望む。大人たちがそれを望まなければ、地球は僕らなしに回り続けるでしょう。期限は次の満月まで…と。警察もこの手紙には困惑していた。12通の手紙の内容も、紙質も、インクも同じ。ただ筆跡やそれぞれの子供のものだった。そして鑑定の結果、切手に残る唾から切手は同一人物によって貼られたと言う事だけがわかった。原理主義者のグループの仕業だと確信を深めた警察は、群の管轄の枠を超え、国を挙げて全力で謎の誘拐犯探しに乗りだした。

一方、トニーの祖父はテレビに出て犯人に呼びかけると言う荒業に出てしまう。身代金は準備しているのだとテレビのモニターでメッセージを送った。しかしその日から大変な混乱が始まるのだった。ヴァッサー警部が厳しい報道規制をしていたにもかかわらず、メディアは事件を大々的に報道し、事件はセンセーションの的になった。ライブテレビがイレーネの家に土足で上がり込み、プライベートを暴露する。一般市民に知らせる義務があると言う主張のもと、節操のないやり方で誘拐の情報を面白おかしく加工して流し始める。週末、テレビ局の取材攻勢に疲れるイレーネをヴァッサー警部は人里離れた山岳のホテルで過ごしてはどうかと提案する。自身も鱒釣りをするためそのホテルで過ごしていたのだ。2人はいつしか互いに惹かれ合っていた。

早速エミを連れてでかけた彼女は、その夜13人の子供たちの夢を見る。誘拐されたのは12人なのに、そこに13番目の黒い肌の子供がいると言うのだ。夢だからと冗談めかして話す彼女だったが、ヴァッサーはその夢が気になって仕方がない。トニー以外全く面識のない彼女に子供たちの特徴を聞き出すと、それは誘拐された子供たちそのものだった。しかし子供たちの夢を見たのは、彼女だけではなかった。他の親たちも同じような夢を見たと言う。そして全員の夢にあの黒い肌の子供が出てきた。一方、恋人にも逃げられ憔悴しきったマックスも、心を癒すために人気のない山のホテルに滞在する。気も虚な彼はその夜、トニーの声を聞いた気がしてその声に誘われて山頂へと導かれていく。するとそこから子供たちの歌声が聞こえてくるのだった。

しかし月の光が雲に隠れると同時にその声が聞こえなくなった。次の日の朝、彼を探しに来たスタッフに子供たち12人が焚き火する姿を見たんだと主張して周りを困惑させる。事実、山には焚き火に使われたかのような板の切れ端が残っていた。6人の少年と6人の少女は形なく姿を消し続けたままだった。地球が彼らを飲み込んでしまったかのように。警察はすべての情報を追いかけた。しかし、彼らはこの事件の犯人にも動機にも行き当たらなかった。誘拐犯の手がかりも全くなかった。ライブテレビは、事件に関係している家族の実態を知らせる番組をスタートさせる。国中がショックを受け、失踪した子供たちとその親たちのその後の運命に対する関心が加熱していく。親たちが同じような子供の夢を見たと聞いてみんなで集まる必要があると感じたイレーネは、失踪した子供の親全員を集めて集会を開いた。

誰もが夢の中で板のオブジェを見て、島にいる子供たちの姿を見て、13番目の黒い肌の少年を見ていた。夢の中で少年は君たちは手で見る能力を持っている。その能力を大人になるまで持続すればわかる。木と人間は同じだということが…と子供たちにかたりかけていたと言うのだった。それを聞いたヴァッサーは警察はもうあてにせず、子供たちからの手紙の内容だけを守ろうと提案し、出席していた他の警官の怒りを買い、主任捜査官を辞任すべきだと非難される。手紙が示唆する満月の夜の期限まであと6日に迫っていた。そしてヴァッサーは上司に期限なしの休暇届を提出する。一方、原発がある丘の上には数多くの板の切れ端が置かれており、保守課長が怒りをあらわにしていた。そして湖のどこかの島に息子がいると信じた親の1人は、ライブテレビに中継させながら湖を泳ぎ息子のいる島を探すが、途中心臓発作で死んでしまう。

放送許可問題にまで発展したライブテレビに対してイレーネはある提案をテレビ局にする。子供たちが手紙で提示してきた期限の満月の日の夜8時に、子供たちにかたりかけていたので自分たちのために放送枠を空けてほしいと言うのだ。渡りに船のテレビ局は条件を飲む。いよいよ放送の当日。次々に両親たちが集まってきた。そして想い出に子供たちに語りかける。イレーネとマックスの番がやってきた。マックスは悲観的にカメラに向かって話し始めるが、彼女はピアノを弾くだけ。呆れ返るディレクターの思惑とは別に、美しい音楽が会場を満たす。するとスタジオに黒い肌の少年が入ってきた。子供たちの部屋に貼ってあった写真の少年であることを証明するように、耳に大きなイヤリングをつけて。そして彼が突然手を擦り片方の手で目を覆うとテレビのモニターに子供たちが手を振っているのが映し出された。

それがどこから送られた映像なのか、誰も判断できない。静かに12人の子供たちの両親たちはその少年を取り囲む。ヴァッサーは少年と同じように目を片方の手で隠す。すると数字が羅列された巨大な岩に初めは12人が、やがてその周りには数え切れないほどの子供たちが岩を取り囲んでいた。数字は失踪した子供の数、これから疾走するであろう子供の、恐ろしいほどに膨れ上がった数だった。イレーネの家てばエミが湖畔に映る満月を眺めていた…とめちゃくちゃがっつり話すとこんな感じで、正直この映画はかなりの前情報を知ったストーリーを頭に叩き込んでから見ないと結構わからないと思う。とにもかくにも複雑な映画である。



さてここからは印象的だった場面を話していきたいと思う。まず、冒頭海中撮影の描写で始まるのだが、物語の展開が映画開始すぐなので序盤から引き込まれる。それと情報を得るために捜査官たちが町中を聴き入るのだが、盲目の老人に声をかけたところ、色々と説明してくれるが、目が見えないと分かった瞬間、良い1日をと一言言ってその場を去るのは笑えた。全体的には静かな2時間越えの作品で、アトム・エゴヤンの作品を見ているかのような退屈な場面もあるが、ラストの難解な帰結がいゃ〜な余韻を与える。この映画はとりわけ水を使ったメタファーが示唆されている。色々と詰め込みすぎてなかなか難しい解釈を迫られる作品で、一度見ただけでは完璧に理解はできなかった。

とりわけ、グリンピースや、環境破壊と言うテーマが出てくる分、「緑の山」と言う核燃料廃棄物処理場の建設をめぐる問題を取り上げたドキュメンタリー映画の要素が、こちらにも入っており、一種のサスペンス感覚を持った子供たちの失踪事件に+ αとして環境破壊と言うエコロジー観念があり、それが全て大人たちの悪さで今日に至ると言う感じに描いていた。いわば大人は汚れている、子供はピュアと単純に分けているように端から見れば感じるかもしれないが、この映画の内容を深読みすればそんな事はなく、区別が一切されていないところがこの映画のポイントの1つだろう。それにメッセージ性はギリシャ悲喜劇的な感じにも感じ取れて、もともと彼がドキュメンタリーを3本とっている中で、やはりスイスの50年間の歩みとして、放射線のゴミをどう処理していくのかと言う課題があり、スイスには現在、5つの原子力発電所があり、山の麓にも、放射線のゴミを捨てようとする案が可決されそうになったりもしたそうで、監督は現地の農民たちを応援する意味を込めて映画をとっていると思われる。

ところでモーツァルトが10歳の時に作った曲が流れているのだが、この映画の失踪する子供たちの年齢も10歳と言う数字は何か意味がありそうな感じがする。余談だが、「最後通告」の制作中の仮名は「真実の2側面:1つの出来事の2つの映画」だったそうだ。当初のアイディアは、2つの世界、リアリズムの原則だけで動いている現実の世界(大人の世界)と理想を信じるユートピア的な空想の世界(子供の世界)を相容れない別々の世界として同じ出来事"子供たちの失踪"をめぐる2本の映画を作り、それを映画館で同時に公開すると言うものだったそうだ。映画のスタイルも1本は伝統的手法でリアルに撮り、もう一方は完全にスタジオ内の人工的なセットで架空の島を作り、子供たちの魔術的思考に支配された世界を夢のようなイメージで撮る計画だったらしい。前者の主人公は夫と別居中のトニーの母イレーネと、離婚歴のあるバッサー、後者の中心人物は13番目の黒い肌の少年オムだった。2本の映画はどちらを先に見ても良くて2本を見ることで観客各自の頭の中に両者が合成された想像上の第3の映画が出来上がると言う予定だったとのことだ。

なんでも、同じ出来事について2本の映画を作ると言う奇抜なその着想のそのもののきっかけは、10年以上前に監督が自分の娘ソフィアと交わした会話だったらしくて、まだ子供だった彼女はチェルノブイリ(原発事故は86年4月)と言う奇怪の単語につき動かされるように、父親に早く危険な大人たちについての映画を作るように迫ったみたいだ。彼女の意見は過激で容赦のないものだったそうで、躊躇すると大人の返事に対してだったら同じ問題について2つの映画をとれば良い。1つは子供の私の目から、もう一つは大人のお父さんの目からと彼女が提案したそうだ。それが現実とファンタジーが交差し侵食しあう映画、2本の映画から1本の映画へとつながっていくわけだ。やがて12人の子供の失踪と言う同じ出来事をめぐる2つのシナリオが書き始められたのだ。

この会話から10年近くが経つうちに多くのことが変化し、世界中で次々と問題が沸き起こった。国が増え、テレビのチャンネル数や視聴者が増え、環境問題は小学校から政党公約に至るまで基本問題の1つとなり、環境サミットも開かれた。しかし、かつての娘のソフィアが投げかけた問いの解決には程遠いのが現状で、今でもこの映画は作られる価値がある。そう考えて95年から本格的な資金集めと製作が開始されたようだ。2本の映画を同時に作ると言う事実上の困難から、最終的には今見るような形で1本の映画(第3の映画)にまとめられ、その結果、映画の中で2つの世界が同居し交差していくと言う、やはりほとんど前例のない大胆な構成となったのだ。そして、映画の後半になると失踪した子供たちから手紙が届き、木材が関係者の家々に張られ、謎の少年オム(彼だけは誰からも失踪届が出ていない)が登場し、次第に子供の世界のファンタジーやユートピアが現実の中に侵食してくるのだ。

2つの世界をつないでいるのは音楽(ピアノ、チェロ、古い音楽のような子供たちの合唱)と盲目(盲人の調律師、手で隠す行為)のようだが、この映画のベースとして水と月も見落とすことができない。タイトルバックで水中カメラが進んでいくと湖底に捨てられたたくさんのモニターをとらえる。水は明らかにこの映画のキーワードで、子供が失踪した家族の家は全て水辺にあり、主任捜査官の刑事の名ヴァッサーもドイツ語で水を意味している。子供たちはオムが乗った船(その写真が何人かの子供の家に貼ってある)でどこかの島に渡ったとトニーの妹のエミは語る。映画の中心人物になり2人のうちトニーの母イレーネの仕事は水中考古学であり、ヴァッサーの趣味は人里離れた渓流でのフィッシングである。ここから先は一応ネタバレになる(読んでもほぼ意味はわからないと思う)。

そして月。この映画は満月から次の満月までの29日間を描いていて、子供たちの手紙にある期限も次の満月までとなっている。その間に月は欠けて行き、再び満ちていく。月との関係で地球の海水も干満を繰り返している。映画のラストシーンは揺らぐ湖の水面に映った満月だ。そしてこの満月の夜に、12 × 12人の子供たちが跡形もなく消えたと字幕が入って映画は終わる。子供たちが大きな岩の上に書いた数字通り、12の次は12 × 12 = 144人、その次の満月には12 × 12 × 12 = 1728人、その次は12 × 12 × 12 × 12 = 2万7036人と29日ごとに子供たちが消えていき、1日24万8832人、298万5984人、3583万1808人と膨大な数の子供が満月の夜ごとに失踪することが暗示されている。なお本作のドイツ語現代は満月の意味だが、日本公開はその前に予定されていた「最後通告」を題名としている。

長々と書いてきたが、彼の作った短編から中編の作品はほとんどモノクロ映画で彼が監督している作品が日本にないのは残念である。ポランスキーやドライヤーのように短編映画を収録したDVDもしくはブルーレイで発売してくれることを望む。彼のアバンギャルドな作品たちを1度でもいいから見てみたい。
4423

4423の感想・評価

4.0
満月の夜、12人の子供たちが忽然と姿を消した。彼らの共通点は共に10歳の少年少女であること、家が水辺にあること、ただそれのみだ。

本作は『灰色の領域』、『山の焚火』、『緑の山』などを手掛けてきたフレディ・ムーラーによるサスペンスファンタジーである。要するに神隠しの映画であるが、ムーラーの込めた強いメッセージ性だけが常に空回りし、ストーリーそのものの解釈は鑑賞者にお任せします、といったスタイルなので正直なところ消化不良感は否めない。この子供失踪事件のピリオドは好き嫌いが分かれるだろう。

ムーラーの目線は至って淡々としているが、時として鋭さをも垣間見せる。

子供たちだけの世界は手をすりあわせ、その手で目を覆えばいつだって覗けることが最初から示唆されているのだが、大人たちは「何をバカなことをしているの!」と一蹴する。子供に興味がない親。マスコミに踊らされ、金に釣られる大人たち。テレビの前で「(こんな事態になるなら)子供を作らなきゃ良かったんだ」と平然と言ってしまう恐ろしさ。こういった何気ない描写が積み重ねられ、大きなガラス片となりグサグサと突き刺さる。

「僕たちは地球の幸せを望みます。ママたちがそれを望まないのなら、地球は僕らなしに回るでしょう」

私はこの最後通告が恐ろしい。もともとはムーラーが娘から環境汚染問題について「大人は無責任のままでいいの?こんなに地球を汚して」と問われたことからインスピレーションが沸いたというが、これはいずれ大人になる全人類への永劫の最後通告だ。
Naoya

Naoyaの感想・評価

2.8
湖畔で暮らす主婦の息子が突然姿を消した。捜査に乗り出した警部だったが、同じ頃にスイス各地で計12人の少年少女が失踪していた事実を突き止める。サスペンス作。子どもたちはどこへ消えたのか。失踪した子を持つ親たちや他の大人が必死に探す緊張感、そして失踪した謎や不気味さが滲み出てます。独特なサスペンス調がありつつ、場面場面で浮き出るファンタジーさもまた異なる雰囲気を出してます。何気ない伏線も多々用意もされており、物静かに展開されるが、飽きさせない内容。本作での子どもの存在はキーとなっており、子どもと大人の対比と位置付けが良い。緊張感を出しているのが親や他の大人だけなのが秀逸でもあり、社会問題にも通ずるメッセージ性が良い。まさに“最後通告”たる物語。

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緑の山

製作国:

上映時間:

128分
3.4

あらすじ

アルプスの山間で持ち上がった放射性廃棄物処理場の建設計画。土地と自分たちのルーツを守ろうとする反対派と賛成派の住民たちを追ったドキュメンタリー。ムーラーはこの作品を「子どもたちと子どもたち…

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