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ナタリー・グランジェ(女の館)
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『ナタリー・グランジェ(女の館)』に投稿された感想・評価

マルグリット・デュラス。
白状するが、未だ本作に就いては捉え切れて居ない為、フォロワーの方々には本稿は読み飛ばして頂きたい。
海外盤の鑑賞で、台詞は全て理解した積もりであったが、慣れ故に何か読み飛ばしたか、誤訳してしまったやも知れぬ。

主演はモノクロの画面に一際ブルネットが映えるルチア・ボゼーと、煙草を吸う仕草が似合うジャンヌ・モロー。
デュラス特有の、開放的で有りながらも鑑賞者へ訴え掛ける、画・音の空虚さ。
切り返しと長回し、鏡や水面の反射を使った画面構成、フレームインフレームのショットの多用は、カメラのギラン・クロケ演出。

二人の女性と子供二人が暮らすその館は、彼女等で完結した内的世界と外界とを隔てはするが、其の実、外からの接触を阻みはしない。
画面外からの不意のピアノの断片(ナタリーの暴力性のモチーフか)、けたたましい電話の音、ピアノ教師、そしてジェラール・ドパルデュー演ずるセールスマンにより、空虚乍らも安定した世界は、勝手に“踏み込まれ”、“崩壊する”。

此の作品では、家の外─外界─は、徹底的に冷淡で、不穏な社会として描かれる。
ラジオ音声は殺人を犯した少年二人が警官隊に追われる様を報じ、セールスマンが資本主義の歯車としてその心身を磨り減らす合理的で無機質な、極めて男性的な社会であり、本作内に於いて“情”と云った物は一切見受けられない。

扨、ここ迄紐解き、且つタイトルも然うだからと云って本作を、「女性(静的な家)への男性(社会)からの侵入・介入」とフェミニスト様に位置付けるのは早計であろう。
デュラス自身は、例の如く何も明示してはおらず、又劇内でもナタリーの暴力性と云った問題も描かれており、一筋縄な理解は為難い。
敷衍すると、「内向きな“(ナタリー=暴力性をも其の人格の一片として含めた)個人”に対する“社会”からの要求・要請」がテーマの様にも見受けられる。
其の場合、本作は「個人の内的世界を、現実世界にまで拡張した劇」となるのであろう。

“何故この館は、家の裡、内向きの中庭には開放的で、外向きには堅牢であるのか”。
─社会内での“個人”又は“女性”の暗喩?

“最後の犬の踵の返しは、何を意味するのか”。
─?

“寄宿舎行きの取り止めの理由は”。
─内的世界の保守=女性性の保守。

矢張り、デュラスは難しい。
頭で理解するのでは無く、情感で理解すべき作品であるのかも知れない。
只、ドパルデューのセールストークと其のオチには、正直笑わせて貰った。
評価は暫定、としておく。
恐らくプリントの状態はあまり芳しくなかろうと想像していてまさにその通りだったので苦笑するしかなかったが(字幕も半ば薄く飛んでいていてえらく読みにくい…)、にも関わらずデュラスは何と魔術的な時空間を現出させるのか…と感嘆するしかない傑作。しかし、ことさら詩的に神秘めかすでもなくある意味で散文的なショットの連鎖からこのような作品が生まれている訳で、この辺り、まさにデュラスの面目躍如。この人の監督作品は他に『インディア・ソング』と『アガタ』のみ観ているが、いずれも素晴らしい。デュラスにしか撮りえない唯一無二の作品。

本作では何か大ごとが起こるでもない、と言うよりも何も起きない。断続的かつ不定期に間を空けて打ち鳴らされる緩慢かつたどたどしい単音のピアノの音階からして幻惑的で、時間は緩慢に引き伸ばされる(ところで本作におけるピアノ教師とその生徒という図式は同じデュラス原作の『モデラート・カンタービレ』と同じ。ピーター・ブルックが監督した同作の映画化作品『雨のしのび逢い』は傑作だ。トニー・リチャードソンの『マドモワゼル』も脚本がデュラスで、この2作いずれも主演はジャンヌ・モロー)、ほとんど喋りすらせず終始打ち沈んだ様子のジャンヌ・モローの演技を超えた演技(屋敷に闖入して来たドパルデュー演じるいささか喜劇役者めいた洗濯機のセールスマンの話をソファに座って聞いているルチア・ボゼー、わけてもジャンヌ・モローの無言の仏頂面! このシーンだけでも観る価値がある)、現れる猫に殺人事件を知らせるラジオの音、煙草の煙。屋敷の部屋から窓を介してそれとなく画面に飛び込んで来る道端を行き交う人。画面の奥ー遠くには今しも消えて行こうとする誰とも知れぬ黒い装束を来た人物。何も起きないようで密やかに生起する内⇔外のインタラクティヴな純粋運動。

それにしてもデュラス監督作品は全て観たいものだ。特に『破壊しに、と彼女は言う』。昔はまとめてたまにやっていたが最近はないねえ。
sonozy
4.0
『愛人/ラマン』の原作者程度の知識しかないマルグリット・デュラスさん、映画監督もやってたんですね。
(アテネ・フランセ文化センターで7/25〜特集上映のようです)
という事で、ネットで探して見てみましたが、何とも不思議な魅力の作品。

2人の女、ルチア・ボゼーとジャンヌ・モローとその家(館)が主役。
ルチアには2人の娘がいるが、下のナタリー(作品タイトル)が学校で暴力をふるい、手に負えないと先生から退学の通告が。
(ルチアの夫らしき男も冒頭ちらっと出てくるがその後は出てこない)
仕方なくナタリーを寄宿舎に入れることにしたルチアだが。。

部屋がいくつもある館、黒い飼い猫。
庭も小さな森のように広く、池&ボートもある。
ラジオからは殺人犯の少年2人が逃げているというニュースが流れる。

ルチアとジャンヌは部屋をうろついたり、庭で小枝を集めて焚き火したり。
娘2人が練習するピアノ(姉は上手だが、ナタリーは下手)と、時折流れるその音。

突然やってくる洗濯機のセールスマン(ジェラール・ドパルデュー)のおとぼけぶり。
庭でナタリーがベビーカーに猫を乗せるが逃げ、ベビーカーを放置するシーン・・・

2人の女の関係も、ナタリー(見た目は普通に可愛い女の子)の暴力の背景も分からない。
作品のメッセージも読み取りにくい。

でも、なんだろう、この不思議な魅力は。笑
ルチアとジャンヌが一貫してクールなのと、ジェラール・ドパルデューとのやり取り(笑)も好き。

撮影監督を見たら、ロベール・ブレッソンやジャック・ドゥミを支えたギスラン・クロケでした。

(参考)
マルグリット・デュラス特集(7/25〜27)
http://www.athenee.net/culturalcenter/program/du/duras.html

『ナタリー・グランジェ(女の館)』に似ている作品

昼も夜も

製作国:

上映時間:

69分

配給:

  • ギャガ
3.1

あらすじ

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