
太平洋戦争が終結する前日の昭和20(1945)年8月14日、旧満州(現中国東北部)から引揚げ避難中の日本人の一団が、ラマ教寺院葛根廟(内モンゴル自治区)付近で旧ソ連軍の戦車隊の襲撃にあい、1,000人以上が死亡した。生存者は百数十人にすぎないとされ、犠牲者の多くは女性と子供だった。この「葛根廟事件」は、終戦の混乱時に満州で日本人が遭遇した惨劇の中でも、最も犠牲者の多いものだったといわれている。 あの日、満州で何があったのか。生存者や関係者の証言をもとに事件の経緯をひもとき、被害者のその後の人生をどう変えたのかを描くドキュメンタリー。
日本で唯一の地上戦が行われた沖縄。その凄惨な戦闘をほとんどの日本人が知ることなく、77年の年月が経とうとしている。本土への疎開のため多くの子供達が乗った対馬丸がアメリカの潜水艦によって撃沈…
>>続きを読む戦後75年目の残留。生き別れた者が伝える、日本という国の今。「私を日本人と認めてほしい!」-フィリピン残留日本人 。「私は日本人。でも言葉がわからないの!」-中国残留孤児。太平洋戦争以前、…
>>続きを読むなぜ、対馬丸は狙われ、そして見捨てられたのか―。 一夜で784人の子どもたちが命を落とした、戦時下史上最大の学童死亡事件「対馬丸事件」。当時、この悲劇は箝口令により徹底的に秘匿とされ、その…
>>続きを読む米軍が上陸し、民間人を含む20万人余りが死亡した沖縄戦。1944年の晩夏、42名の「陸軍中野学校」出身者が沖縄に渡った。北部で展開されたゲリラ戦やスパイ戦などに動員されたのは、まだ10代半…
>>続きを読むすでに日本の敗色濃厚だった1945年1月31日、一人の男が沖縄の地を踏んだ。戦中最後の沖縄県知事となった島田叡(しまだ・あきら)である。 沖縄戦を生き延びた住民とその遺族への取材を通じ、こ…
>>続きを読む昭和12年に火蓋が切られた日中戦争は、泥沼の様相になっていた。五代家の行為に疑問を抱く次男・俊介、彼の親友で五代家の次女・順子と結婚した反戦運動家・耕平も徴兵され戦地へ送られる。そこで彼ら…
>>続きを読む1945年8月6日、第二次世界大戦中の広島は、普段と変わらない朝だった。父の福一と共に建物疎開の準備をしていた19歳の美甘(みかも)進示は、自宅の屋根に上って瓦を剥がしていた。その時、目を…
>>続きを読む今までマスコミなどで被爆体験を話したことがない被爆者の方々の新たな証言※1をドキュメンタリー映画化。今までも多くのアーカイブが残され、もう語ることができる体験者はいないだろうと言われて久し…
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