大量虐殺の次に起きたのは歴史の抹殺だ 1941年6月、独ソ不可侵条約を破棄してソ連に侵攻したナチス・ドイツ軍。占領下のウクライナ各地に傀儡政権をつくりながら支配地域を拡大し、9月19日につ…
>>続きを読む1961年、元ナチス親衛隊(SS)将校アドルフ・アイヒマンの裁判が開廷された。ナチス戦犯を前に生存者たちが語る証言は、ホロコーストの実態を明らかにする又とない機会だった。“ナチスが、ユダヤ…
>>続きを読む1944年4月、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。遺体の記録係をしているスロバキア人のアルフレートとヴァルターは、日々多くの人々が殺される過酷な収容所の実態を外部に伝えるため脱走を実行し…
>>続きを読む空は青く、誰もが笑顔で、子供たちの楽しげな声が聴こえてくる。そして、窓から見える壁の向こうでは大きな建物から黒い煙があがっている。時は 1945 年、アウシュビッツ収容所の所長ルドルフ・ヘ…
>>続きを読む1958年、フランクフルト。戦後十数年が経ち、ドイツは経済復興の波にのり、人々は戦争の記憶を忘れつつあった―。大きな野心を持つ若き検事ヨハン・ラドマン(アレクサンダー・フェーリング)だが、…
>>続きを読む1961年4月11日イェルサレムで始まった裁判は、イスラエル政府の意向で裁判の一部始終が撮影・録音され、その内容は全世界37カ国で放映されたと言われている。イェルサレムに保管された、アメリ…
>>続きを読むある夏のベルリン郊外。群衆が門に吸い寄せられていく。辺り構わずスマートフォンで記念撮影をする人々。ここは第二次世界大戦中にホロコーストで多くのユダヤ人が虐殺された元強制収容所だ̶̶ ドイツ…
>>続きを読む長田新の『原爆の子』を八木保太郎が脚色し映画化。8万人を超す広島市民がエキストラとして参加し、原爆投下直後の広島を再現した。ベルリン国際映画祭で長編劇映画賞受賞。