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目次

『ピカドン』に投稿された感想・評価

【所感】
本作はわずか10分にも満たない短編アニメだが、そのインパクトは凄まじい。

話は原爆投下直前の広島の日常から始まる。
学校や仕事へ向かう人々、工場で働く学生、赤ん坊に乳を与える母親、紙飛行機で遊ぶ子供。
誰もがいつもと変わらない朝を過ごしている。
しかし、その上空へB29が現れ、たった一発の爆弾を落とす。

ふと空を見上げる人々。
次の瞬間、猛烈な閃光がすべてを焼き尽くす。
子供の身体は爆風で吹き飛び、母親と赤ん坊は熱線によって一瞬で肉塊と化す。
建物は崩れ、皮膚を焼かれた人々が水を求めて廃墟をさまよい、次々と倒れていく。

まさに地獄絵図そのものである。

『はだしのゲン』をはじめ原爆を描いた優れたアニメは数多いが、本作も間違いなくその最高峰の一つだ。
特に原爆を単なる「ものすごく強力な爆弾」として描いていないのは興味深い。
熱線、爆風、そしてその中心にいた人間がどうなるのかを、台詞やナレーションを一切使わず、アニメーションだからこそ出来る、限界を超えた表現で、容赦なく描き切っている。

監督をはじめ、この作品を作ったすべてのスタッフに深甚なる敬意を表したい。
5.0
ゆーちゃんのレビューで拝見して鑑賞。
広島への原爆投下の朝の日常を描いた作品。

いまはこういう映像が、「刺激的」とか「グロい」とか言われて規制の対象になるんだとか。
でもこれくらいショッキングでないと、その恐ろしさが後世に伝わっていかないと、私は思います。
これを子供の頃に観ていたら、二度と忘れられないはず。
現に私も、小学5年生の時に図書館で見つけた『はだしのゲン』は、一つ一つのシーンが目に焼き付いて離れません。
でも、それでも触れるべき作品たちです。
被曝者の高齢化が進み、語り部の方たちが喪われていく中、文学や映像などカルチャーの世界でそれを語り継いでいくことは必須。

広島で見た、原爆ドームの横を流れる元安川は本当に美しかった。
夕陽がキラキラと輝いて、どこまでも続いていて。
でもたった75年前は、あそこにどこまでも続く死体の山ができていた。
それは消せない事実で、むしろ語り継ぐべき真実。
その光景を観せることと観せないこと、どちらの方が子供たちにとってかわいそうなのか、いま一度よく考えたくなりました。
⚪概要
短編アニメーション。

⚪感想
原爆投下を描いた作品。

フォローさせていただいている多くの方が鑑賞していたこととYouTubeで視聴可能だったので鑑賞。

1945年8月6日、午前8時15分。

ピカっという光は当時体験した人にとってどう感じたんだろう。直ぐに爆弾だと思ったのだろうか。ちょっとした違和感に過ぎなかったのか。

比べるものが悪い気もするけど最近レバノンの爆発の動画を観て息を飲んだんだけど、原爆はさらに大きな衝撃だったんだろうなと。

『この世界の片隅に』のように何気ない日常にこの出来事が起きるから一層怖さを感じる。それに加え今作はセリフがなく笑い声が聞こえるだけだったからより恐ろしい。

最近はショッキングな映像に分類されるものは規制されてしまいがちだけど事実をこうして描いているものは規制されないで欲しいなと思う。
もちろんここまでの描写を子供の頃に急に見せられたらトラウマになってしまうかもしれないけれど、授業などで戦争について学んだ後に見せてもいいんじゃないかなと思う。

小学生のころ図書館にあった「はだしのゲン」も読んだことがあるんだけど内容はもう忘れているなと。中学、高校では図書館に行くことはほとんどなくなってしまったからあったのかは分からないけどああいう教材になるような作品は大切だと思う。

1年に1度くらいは考える時間を設けてもいいと思うんだ。

⚪意見
「平和とは?」と考えた時に1番に思いつくのはなんだろう。1番はやっぱり「争いがないこと」とか「戦争がないこと」になってしまうんだけど、結局私は戦争を経験したことはないし、紛争にも脅かされていない穏やかな場所で暮らしていて、意見できるような立場ではないなって思ったり、日本は戦争は長くしていないけれどみんながみんな平和だと言えるような環境でもないし。
詳しく言えば、主に沖縄を中心に米軍基地があり多くの問題を抱えているし、領土問題は今もなお続いているし、戦争の時に家族や友人をなくした人の心は傷ついたままなのかもしれないし。

戦争によって長崎・広島に原爆が投下された事実、多くの被害者がでた事実を知っている。こうした中で、日本の被害だけに視点を当てるのは正しいのかたまに戸惑う。原爆だけを取り上げるとすればそれでいいのだけれど戦争を取り上げるとするなら、日本の加害者的側面も必要だと思う。
例えば、南京大虐殺事件や従軍慰安婦など。だけど、主にこの2つの問題は何故か多くの場合「嘘の情報だ」とか「妄想」「そんな事実はなかった」といってかき消されてしまう。自分たちの悲しみには目を向けて、相手の悲しみには気づけないのは凄く悲しい。
現在においても靖国問題は何故か韓国がごちゃちゃ言っていると思われがちだ。『あんにょん・サヨナラ』はそこが分かりやすかった。

「原爆を投下された日本」「悲劇」という事実はあるし、正しい。そして、再び起こるべきではない。しかしそれだけを知り自分たちが被害者だと理解し声を上げるのは違う。
日本は日本で手を加えてきた事実を知らないと。自分たちの都合の悪い事実には目を向けないのは本当に恥ずかしい。

原爆投下の責任はどこにあるのだろうか。原爆投下したアメリカか。それでも負けるとわかっていて戦争を行った日本政府が100%悪くはないとは言えないと思う。

戦争責任。Twitterにあった「君たちに戦争責任はない。でも、それを繰り返さない責任はある」はいい言葉だと思った。戦争責任のあるないにこだわりがちだけどどっちの意見も汲み取るような形。

核の保有。こうした悲劇はあっても核を保有している国はなくならない。逆にその恐ろしさ力の大きさ、残虐さ、効果を知っているからこそ離さない、離せないのかもしれない。
個人的に私は核の保有をゼロにすることは難しいと思っている。ゼロが可能になるときは核を保有している全ての国は核を同時に廃棄する時にのみ可能だと思う。しかし、廃棄したとして本当にもう持ってないのか、隠れて作る可能性はないのかは保証できない。
だから今ある核があることによって相互に作用し抑止力になっている状態は必ずしもダメではないんじゃないか。もちろんそれを行使することは許されない。
核実験を除いて原子爆弾が投下されたのは日本だけ。それゆえ核の恐ろしさを知っているし、非核三原則もある。日本が核を持つべきなのか持たないべきなのか意見が割れると思う。

私は言ったことの批判が怖いからつい中立に逃げてしまうし、他人の言葉を借りてしまう。「戦争はしてはいけない」と漠然と思うけど、その理由がただ悪いからだけじゃなくて根拠や自分の思いをのせてしっかりと話せるようになりたい。

最近好きになった氷室京介さんの『CALLING』という歌を思い出した。

⚪鑑賞
YouTubeで鑑賞。

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