戦国時代。甲斐の武田信玄が「我もし死すとも3年は喪を秘せ」との遺言を残してこの世を去った。弟の武田信廉ら重臣たちは、織田信長や徳川家康が放った間者の目を欺き、「信玄死す」との噂を打ち消すた…
>>続きを読む寛永八年、二代目将軍・秀忠は重い病を患っていた。一方、駿府城にある家光の実弟・忠長が不気味な動きを見せる。これを憂慮した老中・阿部豊後守忠秋は、伊賀忍者三ノ組組頭・甚伍左を呼び、秀忠逝去ま…
>>続きを読む北支事変の初期。二百人の精鋭を半数まで失いつつも攻略を終えたばかりの一地点。藤本軍曹は部下四名を率いて敵軍の現状を探る任務に就いた。敵のトーチカを発見した斥候兵たちだったが、既に敵軍に四方…
>>続きを読む維新前夜。京都では見廻組が潜入した勤王の志士たちを取り締まっていた。見廻組を指揮する奥平文之助を同志の敵として狙う長州藩士だが、月形半平太は桂小五郎と共に薩長連合に力を注いでいた。そんなあ…
>>続きを読むイギリスの騎兵偵察隊がメソポタミヤ砂漠を行軍中、どこからともなく飛んできた銃弾で中尉は即死。軍曹が代わって指揮することになるが、使命も目的地も中尉しか知らなかった。偵察隊はオアシスで一夜を…
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