
イラク戦争終結宣言から1年後の、2004年4月。シーア派の拠点カルバラに、平和維持軍として配備されたポーランド 部隊。だが平和とは名ばかりで、現地では反米ゲリラとの泥沼の戦闘が続いていた。カリツキ大尉率いる40名は、カルバラ市庁 舎をイラク軍新兵と共に守る任務に就く。しかし折から過激派民兵組織の反発が高まり、イラク兵たちは次々と逃亡。道路は寸断 され、取り残された部隊はたちまち数倍の民兵に包囲され、激しい銃撃にさらされる。三日三晩不眠不休の戦闘が続き、そして弾 薬も尽きかけた四日目の朝、敵は大規模な攻撃を仕掛けてきた......。
生きて帰す――。2018年、イエメン南部に駐在しているUAE軍のアリ、ビラル、ヒンダシの3人は帰国が迫るなか通常の任務に就いていた。彼らが乗った装甲車は戦闘地帯の住民へ支援物資を運びながら…
>>続きを読むISに殺された兄弟の足跡を追って、トルコ・ディヤルバクルに帰ってきたジラン。町ではクルド人の自治を求める運動が激しさを増し、軍と警察が武力で抑えつけていた。家族や隣人が激しく迫害されるのを…
>>続きを読む戦況下のアフガニスタン奥地。ふたりの負傷兵を救出しようとするスペイン軍レスキュー部隊が乗った救助ヘリが事故に遭い、タリバン系武装ゲリラ支配地域のど真ん中で立ち往生。バレラ大尉らは新たな救助…
>>続きを読むバルカン半島、ユーゴスラビア。セルビア人とアルバニア人による内戦は、ロシア、アメリカ、NATO各国を巻きこんだ紛争に発展。1999年、NATO軍はセルビア空爆を開始。ロシアとアメリカの対立…
>>続きを読む1940年から始まったソ連による弾圧は、多くのエストニア人がナチス・ドイツに身を寄せるきっかけとなり、カールもその1人だった。一方、同じエストニア人のヨギはソ連赤軍の上級軍曹であった。そん…
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