2025年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。2026年アカデミー国際長編映画賞ノルウェー代表。ヨアキム・トリアー長編五作目。舞台女優のノラと歴史家のアグネスは幼い頃、映画監督の父親グスタフに捨てられ、セラピストの母親に育てられた。二人が成長し母親が亡くなったとき、父親は葬儀のために久々に家に戻り、十数年ぶりの新作映画の話をノラに持ち掛ける。それはノラが育った同じ家で育ったグスタフが見た母親の姿を題材にしたもので、既に世界的な名声もあるグスタフですら最高の出来と評する脚本が完成し、その主演をノラに演じてほしいというものだった。ノラは父親と向き合うことを拒絶して出演の話も断る。その後、パリでのレトロスペクティブを観に来た売れっ子アメリカ人女優レイチェルが新作の企画に興味を示し、旧知のプロデューサーの手腕でNetflix製作の英語映画として企画はスタートするが、グスタフもレイチェルも企画が全然腹落ちしていないので方向性を見失ってしまう。一方、断ったノラも父親に捨てられた経験からか、舞台に立つことを最も恐れながら、舞台に立つことしか出来ないという不安定な生活を続けていた。基本的な舞台となるのはオスロの閑静な住宅街にある古びた屋敷であり、物語はグスタフ、ノラ、アグネス、レイチェルを視点人物とした小さな物語の集合体として語られ、それぞれの物語はこの屋敷の中で交錯していく。そこは建ってから150年くらいの歴史のある建物だ(それだけ聞くと同じコンペに入っているマーシャ・シリンスキ『Sound of Falling』にも似ている)。グスタフの母親カリンもこの屋敷で生まれ、持ち主となり、ここで死んだ。カリンは二次大戦中にレジスタンスに協力したとして逮捕され拷問を受けた過去があったが、そのことについては生涯語ることなく、グスタフがまだ小さい頃に自ら命を絶ったらしく、その最後の記憶を脚本にしたのだった。カリンが視点人物になることはないので、彼女のことはグスタフの目を通した印象になるが、どうも彼女とノラを重ね合わせたのは、二人への印象が彼の中で重なるからではないだろうかとも思えてくる。一人で抱え込み、気丈に振舞いながら不安定な生活を続けるという共通点もありつつ、もしかすると屋敷には語られていない他の共通点があるのかもしれないとも思わせる闇深さがある。あれはIKEAのスツールだよwwという台詞は表面上コミカルに受け取られるが、住人や時代が変わることで家具や壁紙やらは更新されるかもしれないが、そこに宿る記憶は決して古びないということを暗に指摘しているのかもしれない。とはいえ、屋敷そのものの存在感はそこまで高くなく、互いに断絶した四つの物語が再び繋がりを戻す象徴としての空間として主に機能しているのがちと残念。というか、既に姉妹はこの屋敷から離れていて、姉妹がこの家についてどう思っていたのかは冒頭の作文でしか描かれていないので、屋敷が中心的なモチーフであるのに注目されないという変な感じになっている気がする。それは、最後の住人だった母親に全く注目が行かないのとも関連しているだろう。