後に本人の口から語られる「言葉の暴力(家族に性自認を非難されたことについて)に対する復讐」のために「ノイズは〜」を撮ったっていうのは確かにそうなのかもしれない(というのも、カメラを人に向ける暴力性と…
>>続きを読む監督の自意識というか魂というか人間の核に直接触れるような体験だった
不穏を突き抜けて不快な時間は自分の核の部分を抉られてスクリーンに投影させられてるような感覚だからな気がした。
白いカーテンに触りた…
「かっちん」という一人称を用いたパーソナルな語りは詩情すら含み、どこか告解のような温度感である。
「なにを撮ればいいか分からない」という言及と共に映るサラエボの断片的な風景は、監督自身が彷徨ってい…