1930年代、日本による植民地支配が40年近く経過した、日本統治期の台湾。古都・台南で、日本語で詩を創作し、新しい台湾文学を創りだそうとした、モダニズム詩人団体、「風車詩社」。植民地支配下で日本語教育を受け、日本留学をしたエリートたち。日本近代詩の先駆者であり世界的評価を得ているモダニスト西脇順三郎や瀧口修造をはじめとする、日本文学者たちから刺激を受け、日本文学を通してジャン・コクトーなどの西洋モダニズム文学に触れる中で、若きシュルレアリストたちの情熱が育まれていった。日本語で新しい台湾文学を生み出そうとした彼らは、戦後の二二八事件、白色テロなど、日本語が禁じられた中で迫害を受けていく。植民地支配、言論弾圧という大きな時代の渦の中に埋もれていった創作者たち。その情熱は現代を生きる私たちに、何を問いかけてくるのか。
1895年から1945年までの51年間、日本の統治下にあった台湾で教育を受け、日本語を話すことができる“日本語世代”の人々。酒井充子監督が“日本語世代”の5人にインタビューを行い、当時や戦…
>>続きを読む19世紀末ウィーンを代表する画家グスタフ・クリムトとエゴン・シーレ。人間の不安や孤独や恐れを、世紀末的官能性のなかで描いたその作風は、今も色褪せることなく輝きを放ち、人々の心をとらえ続けて…
>>続きを読む1920年代、「乳白色の肌」で裸婦を描き、エコール・ド・パリの寵児となっていたフジタ。戦争を機に日本に戻り、数多くの「戦争協力画」を描いて日本美術界の重鎮に上りつめていく。5番目の妻である…
>>続きを読む非西欧圏で初めてノーベル文学賞を受賞したラビンドラナート・タゴール。イ ギリス植民地時代のインドを生きたこの大詩人は、詩だけでなく歌も作ってお り、その数は二千曲以上にものぼります。「タゴ…
>>続きを読む男は、ガジュマルをこよなく愛した。「どんな嵐にも倒れない。沖縄の生き方そのもの」だと。那覇市を、かつてたった11ヶ月だけ率いた、その男が好んで使った言葉がある。それは「不屈」。 1945…
>>続きを読む京都。まだ芽の出ない女優、長谷川泰子は、まだ学生だった中原中也と出逢った。20 歳の泰子と 17 歳の中也。 どこか虚勢を張るふたりは、互いに惹かれ、一緒に暮らしはじめる。価値観は違う。け…
>>続きを読む戦後75年目の残留。生き別れた者が伝える、日本という国の今。「私を日本人と認めてほしい!」-フィリピン残留日本人 。「私は日本人。でも言葉がわからないの!」-中国残留孤児。太平洋戦争以前、…
>>続きを読む1917年北間島(中国吉林省東南部)の同じ家で生まれ育った、いとこ同士の尹東柱(ゆんどんじゅ)と宋夢奎(そんもんぎゅ)は中学を卒業すると共にソウルの延禧専門学校へ進学する。尹東柱は医者にな…
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