フリーソロのネタバレレビュー・内容・結末

上映館(6館)

「フリーソロ」に投稿されたネタバレ・内容・結末



凄い

けど
斜面が苦手な私には
とても辛い時間だった

恋人が怪我の原因なのに
愛してるから別れなかったのかな


自分の生活と
かけ離れすぎていて
淡々と観ていた


身体と精神は
繋がっていることを深く感じた
友人に連れられて。
ドキュメンタリー映画というのは初めてだった。

事前にロッククライマーの話というのは聞いていたので、ひたすらに岩を登る画ばかりかと思っていたが、クライマーの生き様や心情、フリーで登ることの危険さ、撮影するカメラマンの心情等…挑戦するまでの経緯が丁寧に映し出していた。
そして、無駄すぎない演出。
観ている側も感情移入しやすく、とても楽しめた。
実際、私は高いところは苦手で、映像とはいえ、高いところから見下ろしたシーンやクライマーの落下シーンは何度、心がヒュンとなったことか。
観に行った映画のスクリーン小さめだったのが幸いか?
いやでももうちょっと大きいスクリーンの方がもっとヒュンってなったからスリルあって楽しめたかなぁ?なんて。

大真面目なシーンがいっぱいある中で、「め組Tシャツ」と「ユニコーン人間」のところはそればかりが気になって、話が頭に入ってきませんでした。笑
ちょいちょいドキュメンタリー番組は見たりする。大概は凄い人が主人公でそれを見て「凄いな。真似出来んわ」と感じるだけ。確実に寝たら忘れる。

しかしこの作品は違った。それはスタッフにもスポットが当たるところだ。彼らがいるおかげで映画を見ている自分たちも本当にその場で目撃しているかのような臨場感が味わえる。鑑賞代がアレックス達の活動資金になることが最高だ。
実話でドキュメンタリー、すごいと思うけど、所詮は完成した映画、つまり事故もなく、やり遂げたんだろ、と分かっている。

現場の人たちの緊張感は伝わってくるんだけど、最後以外はそんなに緊張しなかった。唯一滑落してパラシュートを開くまではドキッとしたけど。

今日は観客に当たらなかったようで、後ろの黒人がヒソヒソ話すわ、ビニール袋がガサガサするわ、一緒に見るに最低の客だった。それが映画の質を何割か落としているのは間違いないが、公平に見てもやはりドキュメンタリーとしてはまずまず。

役者じゃないし台本がないのだが、もっと内面を掘り下げたインタビューなら良かったのかも。

それにしてもフリーソロしてるのにどうしてお金がもらえるのだろう? 本来は誰も見てないところでひっそりとやるものだよね?
命綱なしでクライミングを試みる男の物語。
ドキュメンタリーだったのか!ただただ脱帽。
ふらっとクライミングを試みるのかと思ったが、流石に入念な準備とリハーサルの元に行っている様子。なぜそこまでして崖を登るのだろう...。 指先だけで体を支えるポイントを見出すなんて信じられん。
撮影クルーも全員プロクライマー。上から写す映像が怖い。すごい迫力。
撮られてたらそら緊張するよなぁ。エルキャピタンへのトライ中は手に汗握った。
アレックスはフリーソロの第一人者で、ロッククライマーの目標であるエルキャピタンの制覇を目指している。何度もロープを使って練習し、入念に登頂方法を検討する。
そして、フリーソロでアタック。一度は途中で引き返したが、翌年再チャレンジし成功する。
アレックの家族、恋人ととのことも描いている。
命を賭けてチャレンジする人達っているけど、自分にはその精神はないので、なぜ?という気持ちが見ていて沸いてくる。見ているだけでも緊張感半端ない。
撮ったクルーもすごいよね。
ひとりの人間が好きなことをやり続け追求を極めるとこんなことが出来る…とかの綺麗な話じゃなくてこのラストのひきの映像の圧倒的自由は変態サイコパス野郎の証。
エクストリームな画だけでもう十分過ぎるのに、その上、観る人の人生哲学を反射する壁のようでもあるヤバいドキュメンタリー。

思うに(以下、手前勝手な解釈)。
フリーソロ。アレックスの場合その試みは、死と隣合わせのスリルを求めての事ではなく、逆に「絶対に失敗しない」事を、そして、生きる上で何が信じるに値する絶対に揺るがない物なのかを確かめるためにある。

アレックスにとって確実に信じられる物とは「弛まぬトライアンドエラーで自身が磨いてきた技術や方法論」であり、それらを確実に再現可能なものとする「ベストな状態の身体と集中力」である。それ以外のあらゆる事は簡単にグラつく存在でしかなく、周囲の人間との友情愛情信頼関係などは実のところ信じる物を惑わすノイズにしかならない。

ならばなぜ、そんなことをわざわざ何度も確かめることに彼は拘るのか。関係者や彼自身による発言は、この動機を類推するのに多くのヒントをくれる。おそらく、誰もが認めざるを得ない偉大な結果を、自らの信じるものを通じて生み出すことでしか、自分が生きるに足る人間であると実感できないから、自分の納得する正しい生き方を証明できないから、だから確かめずにはいられないのだ。

さて。果たしてこれはアレックスだけに当てはまる特殊な話なのだろうか?彼を変人と片付けてしまうのは簡単だが、そうじゃない。キワに立つ人はいつだって嘘偽りの無い人間の真実を教えてくれる。日常を取り囲む脆い共同体幻想から遠く離れ、自らの手と足と精神だけを頼りに自分だけの足場を築くことでしか、人は真に揺るがないものは得られないのではないか。この作品はそのような問いかけを投げかけてくるように感じる。

…というわけで。個人的にはフリーソロなんて死んだって絶対やらない(つーか、やったところで間違いなく死ぬ)が、とは言え、なんやかんや心の深部でハッとし共鳴する点は多々あった。静かに体に染み込む劇薬のような作品だった。
扁桃体に異常があり、通常の人よりも強い刺激を求める男が
ロープなしで900メートルの絶壁を登る話。

この男、ただの怖いもの知らずではなく
何度も何度も練習を重ね
慎重に挑んでいくところが凄い。

私も刺激を求めるタイプだけど
希死念慮強い(自殺願望でははない)から
もう無理って思ったら簡単に落ちちゃうw

生に執着がないとここまでできないわ。
ヤク中が、死んだらクスリキメられなくなるから死にたくない!って頑張って生きてるのと近いのかな?w
本当の勇気って何だろう? 彼の成し遂げた偉業に対し、彼の力みの無さに頭が混乱していて、そんなことばかり考えます。

彼にとってはそれほどの偉業でもないのだろうか? いやあれほどの情熱と達成感であれば、彼にとっても偉業であることは間違いない。

どうも私の考える偉業とは、他者から称賛されるべき、他者の目を意識したもののようです。何も誇り高ぶることばかりが偉業の証しではないのですが。

彼にとってクライミングは純粋に個人的な行為。カメラが無くても一人で行って一人で帰ってくることでしょう。インスタ映えの自己顕示とは対極にある行為。

富士山に登りましたって何なんだろう? 剣ヶ峰の石碑に手をかけたドヤ顔ポーズが、動物たちの命を無駄に奪う観光ハンターたちのポーズや精神性とそっくりだと思い、もうこういうの止めようと思ったばかりのこと。色んなことを考えさせられます。

自分が登山からヘトヘトになって帰って来たとき、こんなのプロのクライマーなら楽勝なんだろうなって思いながら歩いてた。でも同じ道路を歩いているご老人を見てこう思った。私にとっては平坦な道も、このご老人にとってはきっとしんどい坂道なのだろうと。この人は今、傾斜0°の登山を頑張っているのだと。結局しんどさなんて人それぞれで、人それぞれの山があり、それは人生も同じなのだと。そんなことを思いました。

怖れや不安に打ち克つことを勇気とすれば、それは人によって違いますよね。何を怖いと感じるかは人によって異なるので。例えば脚の不自由な人にとっては、小さな一歩を踏み出すことが大きな勇気かもしれない。

アレックスにとってはあの空手キックを繰り出すことが勇気なのだろうか? それも違うな。勇気に命を懸けてるようでは命がいくつあっても足りない。地道な練習を繰り返し、勇気を奮わずとも自信を持ってキックを繰り出せる状態にまでならないと。

結局勇気って何だろう? 彼がやったのは度胸試しではなく、不安を自信に変えるための地道な反復作業とその実践。次の指をどこに置くかというテクニカルな課題。本番を前にして勇気とか言ってる時点で、その人は十分な準備ができていないということではないか? 色んなことを考えさせられました。

(その他雑感)
・一回目の撤退をした時の先輩クライマーとのやり取りが良かった。極めた者同士にしか分かり合えない境地という感じで。
・彼女は、男の孤独な挑戦に水を差しかねない立ち位置なんだけど、なぜかイライラを感じなかった。なぜだろう?
・登場するクライマーたちはみんな草食動物のような目をしていた。本当の勇気って何だろう?
・「テラスに人がいる。」誰やねんお前(笑)