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裏か表か?
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裏か表か?の作品紹介

裏か表か?のあらすじ

19世紀末のイタリアの小さな村に、「ワイルド・ウェスト・ショー」のヨーロッパ巡業を行っていたバッファロー・ビルの一座が訪れる。波乱に満ちた物語が幻想的な映像美とユーモアを交えて描かれるアンチ・ウェスタン。

原題
Testa o croce?/Heads or Tails?
製作年
2025年
製作国・地域
イタリアアメリカ
上映時間
116分
ジャンル
ドラマ西部劇

『裏か表か?』に投稿された感想・評価

Omizu
3.8
【第78回カンヌ映画祭 ある視点部門出品】
『The Tale of King Crab』アレッシオ・リゴ・デ・リーギ、マッテオ・ゾッピス共同監督作品。カンヌ映画祭ある視点部門に出品、東京国際映画祭コンペにも出品された。

面白い!一風変わった演出で語られる西部劇風世界で女性の視点を取り込み物語が語られる。ある種のフェミニズム映画とも言えるだろう。

傲慢な夫を撃った女は馬飼いの男と逃亡するというストーリー。それだけだとよくある話だが、いくつかのチャプターに分かれ、語り部としてバッファロー・ビルを設定することでユニークな作品になっている。

『ロザリー』に続きナディア・テレスキウィッツが名演を見せている。『悪なき殺人』で女優賞を受賞しているナディアだが、二度目の受賞もあり得るのではと思うほど彼女の独壇場。

後半はファンタスティックな演出も取り入れ独自の演出文法を確立させている。非常にウェルメイドな作品でとても面白かった。
3.8
20世紀初頭の北イタリアの農村地帯。アメリカから来た、バッファロー・ビル率いる「ワイルド・ウエスト・ショー」の一座が多くの観客を集めている。暴力的な地主の夫ルイジの抑圧に耐えていたローザは、ショーの会場で牧童のサンティーノに出会い、魅了される。その後、酒場で起こったいざこざのなかでサンティーノはルイジを撃ち殺す。賞金首となったサンティーノとともに、ローザは山岳地帯に逃亡する…。
(東京国際映画祭より)

逃亡劇、ロマンス、ガンアクションなどの要素が詰まった、正統派な西部劇、、、と思いきや、いい意味で騙された面白い作品。

生首が衝撃すぎた。誰も予想できないであろう展開に脱帽。
[イタリア、自分自身の物語を奪い返すこと] 80点

アレッシオ・リゴ・デ・リーギ&マッテオ・ゾッピス長編二作目。元々はドキュメンタリー作家だった二人が初めての劇長編である前作『The Tale of King Crab』は、アリーチェ・ロルヴァケルな20世紀初頭イタリアの農村風景からリサンドロ・アロンソすぎるパタゴニアの原野に至る二部構成で観客の土肝を抜いたわけだが、本作品はその第一部とも共通する時代と質感を持っている作品だ。物語は20世紀初頭の北イタリアの農村部に、バッファロー・ビル率いる"ワイルド・ウエスト・ショー"の一座がやって来たところから始まる。主催者は暴力的な地主の親子で、彼らはイタリアを縦断する鉄道の敷設を進めていた。地主息子の若妻ローザはビルに"暴力での勝利に栄光はあるか?"と尋ねるがはぐらかされ、"真実よりも良い物語が好まれる"と返される。やがて、なんやかんやあってローザは牧童の男サンティーノの目の前で夫を射殺し、二人は逃避行に出る云々。四部構成になっており、語り部は胡散臭いバッファロー・ビルなので、"ワイルド・ウエスト・ショー"の一部のような扱いになっているが、物語の主人公は女性のローザであり、シッティング・ブルの娘を隣に置きながら沈黙を強いていた"ワイルド・ウエスト・ショー"の構造とは根本的に異なることが分かる。彼らが逃げるイタリアの農村部の風景は統一から少し経った安定期に入り、鉄道の敷設が進み、それに反対する反体制軍がいるというあまりにもアメリカ西部っぽいものであり、ローザとサンティーノが巻き込まれる物語は、ビルが脚色した"ワイルド・ウエスト・ショー"が実際に起こっていた世界そのものなのだ。地主を殺したのはローザのはずが、いつの間にか極悪非道なサンティーノがか弱いローザを誘拐したという物語にすり替えられ、サンティーノも最初は嫌がっていたが反体制軍の英雄とされたことでそれに乗っかるようになる。つまりは、自分自身の物語が自分の外側で勝手に形成され、ローザは女性であるが故に"囚われの姫"として主体性すら奪われてしまったのだ。ローザはそれを二重に奪い返す必要がある。そういう意味ではデヴィッド・ロウリー『グリーン・ナイト』に似ているかもしれない。彼女を追いつめる人々の物語にも、彼女を利用しようとする人々の物語にも乗らず、自らの意思で"幻想から別れる決意をする"ラストは素晴らしかった。けど、現代にこの映画を作る意義を見出すには薄味な感じもする。物語を奪い返したなら、真実に塗り替えるとこまでやらないと不味いとこまで来てしまったと思う。