NYインディーズの鬼才、アベル・フェラーラの代表作にしてアンモラルな表現やりたい放題なカルト作。全編フィックスと長回しが多いため、余計にドラッグ中毒の主人公の気色悪さが際立つ。
主演のハーヴェイ・カイテルが『ミーン・ストリート』や『デュエリスト』以上にクセの強い悪徳警官を熱演していて思わずニヤける出来栄え。本作が気に入ればスコセッシの『救命士』やヘルツォークのリメイク・バージョンも多分ハマる筈。
善悪の判断基準が付かない映画という意味で、フェラーラ✖️スコセッシ✖️ヘルツォークというキリスト教的三位一体がここで形成される。世界そのものが「神の不在=カオス」である故に「主人公=私」が神の代替を務めるという設定自体が異質である。
少なくとも『グラン・トリノ』でのクリント・イーストウッドのように単純美化された「私/神」ではない。一般的なそれ(神とか世界とか宇宙とかetc)が正しいと思い込んでいる故に、主人公の善行が自然と悪へ転換されるアレゴリーを含んでいるからだ。
イーストウッド的な新教(プロテスタント)による「正義」に比べて本作での「正義」はむしろ「享楽」に近い。善から悪への相転移を描いた意味でも時代を先取りした異色作なんだろうと思う。非・キリスト教国家である日本にはあまり馴染みの無い話かも知れないが…。