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『哀しみと憐れみ』に投稿された感想・評価

No.526[ミクロ視点とマクロ視点から見つめる戦後フランスの欺瞞、マルセル・オフュルスと戦後フランス①] 60点

当時のフランス人が自己暗示していた"フランスはレジスタンスと共にナチスを打ち破った"という神話を打ち砕いた記念碑的な作品であり、マックスの息子マルセルの代表作。テレビ局の資本をもとに作られたため四時間半もあるが、内容が内容なので放映を渋りに渋られ、お蔵入りしかけたのを親友のトリュフォーが助けて映画館にかけたらしい。午前の上映で客が数えるほどだったせいでマルセルが映画館を離れ、午後の部に戻ってきたら長蛇の列になっていた、という逸話があるほど本国で大ヒットを飛ばした。

本作品はナチスによるフランス征服を描く第一部"崩壊"とその後の選択を描く第二部"選択"に分けられている。
第一部冒頭、前線には送られなかった大家族の家長がナチスのフランス征服が早々と終わってしまったことに対して"哀しみと憐れみを感じる"と答え、芸能界で有名なコラボ(対独協力者)のモーリス・シュヴァリエが捕虜収容所を慰問する映像を差し込む。なかなか意地の悪い編集である。こうして幕を開けた本作品はマルセル・オフュルス的な鋭い皮肉が全編を支配している。

多くのフランス人は短期的な目線で国土の破壊を喰い止めたペタンに対して好意的であり、メルセルケビール海戦を経て国民感情は枢軸国側に完全に倒れてしまった。こうして"休戦"という名の敗戦を経験したフランスはその自信を回復する過程としてナチスに擦り寄り、結果的にユダヤ人の移送に直接手を貸した唯一の国となってしまった。やがて、占領下のフランスは戦争が始まる前のような静けさを取り戻す。第一部は父親のミューズであったダニエル・ダリューら一行がベルリンを訪問したニュース映像で終わる。

ランズマンとマルセルは友人だったようで、「SHOAH」は本作品の直接的な影響下に作られている。しかし、ランズマンがミクロ視点を繋げまくったのに対し、マルセルはイーデン、ヴァルリモント、デ・マンジーレ、マンデス=フランスなどレジスタンスやナチスの大物にまでインタビューをしてマクロな視点や政治的な視点を獲得することで、フランスの市井の人々が当時どのような状況に置かれていたのかを明確に洗い出してゆく。

本作品はそれまで作られていた既知事実に観客を誘導するようなドキュメンタリーと異なり、証言に証言をフッテージにフッテージを対比させどちらを真実ととるか或いはどちらも信じないかという"結論"を観客に投げている。これが本作品に特有で奇っ怪な"物語性"であり、我々はあたかも劇映画を見るかのような感覚で作品を"楽しむ"ことが出来る。そして、鋭い皮肉を挟みつつ時系列の順を追って説明して、映画は我々と共に謎の根源を探していくのだ。

第二部はフランス人女性をナチスの兵士たちが見定めるフッテージから開始する。フランス人ツーリング選手は沿道にドイツ人などいなかったと答えるが、すかさずドイツ人だらけの大会のフッテージを挿入して皮肉が健在であることを示す。話は"敵の敵は味方"という理論で集まったレジスタンスが終始バラバラであったこと、パルチザン活動の本格化、ミシュラン工場爆撃事件、フランスにおけるユダヤ人の移送、自由フランス軍による本土空爆、ヴィシー政権の逃亡といったトピックが同じように語られ、フランスはついに解放される。

本作品の主軸は先述の通り皮肉である。フランスにはレジスタンスに協力した人間もいればナチスに協力した人間もいた、という至極当然の事実を白日の下に引っ張り出したに過ぎないのだ。

気になる点を挙げるとすれば、ランズマンと同様マルセルも傍観者に対して冷たいところだろう。ランズマンはあからさまな態度を取っていたが、マルセルは態度には出さないものの心の底で軽蔑している感じが伝わってきた。まぁでもそんなもんだろう。態度に出さないだけで十分さ。

ラストはシュヴァリエ弁明のフッテージとド・ゴールの凱旋を祝うフランス人のフッテージで締め括られる。丁度冒頭がシュヴァリエとヴィシーに入るペタンを歓迎していたフランス人の映像だったように。
4時間を越える長さ故に途中で止めていたこの映画をようやく鑑賞。

後に作られるホテルテルミニュス同様インタビューと戦時中の資料映像が主な長い映画ということで、劇場で見ていたら苦痛極まりなかったろうなと思いつつ、モノクロの粗い質感は嫌いじゃなかった。

でもマックス・オフュルスのファンとしては父親の良さを息子が全く引き継がなかった点は残念としか言い様がないし、映画的美の極致とも言える父親のスタイルに反しまるで美的なものが感じられないこの息子の作風には憎らしさすら抱く。

歴史的には価値があるのかもしれないが自分に響くものはあまり無い作品だった。
3.5
【傍観者は言葉に濁し逃げ惑う】
動画版▽
https://www.youtube.com/watch?v=C3-wksJlo2Q

2025年5月24日、ドキュメンタリー作家であるマルセル・オフュルスが亡くなった。マックス・オフュルスの息子であり、ホロコーストのフッテージを使わずにリヨンの屠殺人であるクラウス・バルビーの裁判を多角的に捉えた『ホテル・テルミニュス 戦犯クラウス・バルビーの生涯』など、『SHOAH ショア』の先駆けともえいるホロコーストドキュメンタリーを放ったマルセル・オフュルスだが、意外なことに日本ではほとんど知られていない監督である。

そんな彼の代表作『悲しみと哀れみ-占領下にあったフランスのとある街の記録』が日仏学院の特集上映「戦後80年 日仏の交差する視線」にて上映された。私自身、「死ぬまでに観たい映画1001本」フルマラソンの中で観ているのだが、英語字幕でこのハイコンテクストな内容を追うのは厳しいものがあり、歯が立たなかった記憶がある。今回の特集上映で再履修したのだが、相変わらず難しいところはあれども興味深く観ることができた。

本作は第二次世界大戦中、フランスがドイツに敗北し、隷属的なヴィシー政権になった黒歴史をチクチクと突く内容となっている。原題で使用されている単語「Le chagrin」には悲しいといった意味だけでなく恥ずべき状況であることも含まれており、映画の重要な要素となっている。

本作はクロード・ランズマンにも影響を与えた作品といわれており、実際に誘導尋問的インタビューの手法の問題点は『SHOAH』と共通するものがある。しかし、『SHOAH』と比べると視点のモザイクは網羅的であり整理された印象を受ける。

傍観者の功罪を指摘する中で印象的だったのは、映写技師へのインタビューで在ろう。ドイツのプロパガンダ映画である『ユダヤ人ジュース』を上映した時の観客の反応と、被写体としての考えを聞く場面である。プロパガンダ映画を流してしまったことに対し、観客の受容の方へ話を横滑りさせ、必死に自分のイノセントさを証明しようとする様に胃がヒリつくものを感じた。

また、後半では「レジスタンスに向いているのは社会不適合者だけだ」といった強烈な言葉を引き出している場面もあり、確かにこれはテレビ放送できないような内容だなと思いつつも、決して他人ごとではない、今にも通じる人間の弱さが浮き彫りとなる作品だと感じた。

なお、本作は『アニー・ホール』でウディ・アレンがダイアン・キートンと映画デートをする際に提案し、キレられるギャグとして引用される映画としても有名なのだが、本作を知った状態でこのギャグの場面を観ると曲芸に近い脚本だなとジワるのであった。超長尺映画をデートで観ようとするシネフィルを風刺した場面に奥行きがあった。