旅芸人の記録の作品情報・感想・評価

「旅芸人の記録」に投稿された感想・評価

ekn

eknの感想・評価

3.0
オフスクリーンの銃撃音、爆撃音がこの前観た『狩人』に続いて印象的だった。長回しを多用したドキュメンタリータッチの作風なのだが、肝心の(?)残虐な行為はほとんど画面外で起きて、素早くパンしたカメラは事後を映すだけ。「その場に居合わせたのに間に合わなかった」ような後味の悪さと、突発的な暴力の恐ろしさがあった。映画で語ることができるのは部分だけであることの強調でもあるのかな。
ヨウ

ヨウの感想・評価

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こりゃあ評価が付けられん。ギリシャへの教養が十分に身に付いていないと太刀打ちできぬ。今の段階じゃ0.01%くらいしか魅力を汲み取れていない気がする。字幕を担当した池澤夏樹さんも最初はほんの一部分しか見えていなかったというのだから仕方ない話なのかもしれない。「歴史」というものを如実に映像化した232分。独裁政権、ファシズム、内戦。。暗黒時代を壮絶な経験と共に渡り歩いた旅芸人たちの軌跡。イデオロギーの災厄が齎す暗鬱な雰囲気の中でも芸能を通じて僅かばかりの享楽を掴み出そうとする営為に心揺蕩う。長回しで映し出される一つ一つのシークエンスが壮大なる物語のかけがえのないピースたち。凄惨な真実に打ち拉がれる心地がしたものの、底知れぬ人間の生命力を肌身で感じ、魂が奮い立った。激動の1952年と制作当時の1974年の情勢を一つの空間に共存させるようにして今作を手掛けたというテオアンゲロプロス監督の力量には脱帽である。歳を重ねて今より賢くなってから再び挑戦したい。殆ど理解できていないが、傑作と言わざるを得ない神聖さがあるな。
ギリシャの歴史を通して見る20世紀の世界の縮図。独裁から占領、占領から独裁。20世紀のギリシャの歴史。ドイツ、イギリス、ソ連、アメリカ。押し寄せる異国の脅威。自由を取り戻す為に奮闘したレジスタンス達の日の目を浴びぬ暗い歴史。自国を守る為に流れた多くの血。民族解放戦線の繁栄と衰退。あやつり糸で仕組まれた同胞同士の内戦。ドイツに代わり介入したイギリスに代わって絶妙なタイミングで介入するアメリカ。終わってみれば一時圧倒的に優勢だった左派の完膚なきまでの敗戦。アメリカの支援を受け、再び立ち上がる強固な独裁政権。時は流れ1975年、君主制が廃止され民衆が喜びに沸くギリシャのスクリーンに、これまで何度も繰り返されてきたあの忌まわしき欺瞞に満ちた束の間の喜びとその後に待ち構えていた悲劇を風化させずに歴史から呼び覚ます。今一度心に焼き付けて気持ちを引き締めて忍び寄る危機へと備えよ!と言わんばかりに民衆の心を過去の記憶へとフラッシュバックさせる。徹底的なロングショットと長回しが歴史そのものをひたすら客観的に捉えて受け手に現実を直感させるとても崇高な精神的映像体験。ワンカット内の同じ空間の中で往古来今を行き来するアンロプロス節の唯一無二の芸術性が映画界に日の目を浴びた瞬間。アンゲロプロス監督の名を世界に知らしめた極上の精神的一大叙事詩。噂通りの映画史に語り継がれるべき大傑作で興奮した。
嶋田

嶋田の感想・評価

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アガメムノン悲しいイメージあるけど、実際は無茶苦茶なので形式的な部分の引用。長いし、若干退屈だけど内容はしっかりしてるし上手い。映像も長回しで遠くから撮ってるだけあっておしゃれ。一回ちゃんと見ても良い映画だと思います!
sanjuro

sanjuroの感想・評価

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ひたすら長く感じた。ヤクセンボーレ!と叫びながら散歩したくなる。ヤクセンボーレ!
ところで「ヤクセンボーレ」って何か意味があるのだろうか?
いち麦

いち麦の感想・評価

3.0
唯一の芝居出し物を引っさげて巡業する旅芸人達の、時代に翻弄されつつも逞しい生き様の向こう側に、ナチス・ドイツの占領時代からレジスタンス運動、第二次大戦の終結後の内戦時代までのギリシャ現代史が生き生きと描かれていた。
T.アンゲロプロスの超々長回しカット…特に360度以上回るパンニングには驚くばかり。時に噴出する長台詞と舞踊場面以外は、ほぼ延々と静寂の続くシーケンス。歴史的に興味深いシーンの数々にはハッと目を見張った。
浜辺での一座の芝居上演の返礼として、アメリカ兵の誘うダンスが、“ビア樽ポルカ”だったのでアレ?と思った。が、この曲元々東欧民謡だけど、当時暫くしてすぐにアメリカでも大ヒットしてたと知って納得。
映像は魅力的だが、初見の場合は解説を読んでからでないと内容がわからない。わかるのは、ギリシャの1940年代、戦争が続き体制が変わる中、旅芸人の一座が各地を巡る風景が描かれているということ。上映時間3時間52分のうち、始まってからの2時間半は全部ロングショット(1カットだけ1Sの独白あり)なので、一座メンバーの識別も難しい。関係性を示すセリフも少ないため人物への共感も困難。終盤1時間弱でようやくアップショットが入るようになるがもはやストーリー把握への手助けにはならない。ギリシャの歴史を感じさせる海辺の街並みをロケーションに、時々歌や踊りのシーンも交えながら戦時下の風景が続く。画面と異国情緒の魅力で最後まで観たが、この映画を理解するためには、まずギリシャの歴史と演劇を勉強することが必要だと思われる。
約4時間、とても長い。
とても長く、DVDは超プレミア価格、なお且つ置いてるTSUTAYAも大分少なくなってきていることは間違いないだろうが、アンゲロプロス作品への入門としてはこれ以上ないほどに適していると言わざるを得ない秀作。

ギリシア悲劇も、ギリシャ内戦もあまり詳しくは知らないが、ありとあらゆる政治思想や国の思惑に、現代のギリシャがぼっこぼこに叩かれまくったことはよく分かった。
そんなギリシャだからこそ、そしてアンゲロプロスだからこそ撮れた作品、と言うのは間違いない。
ワンカットの長回しで時間軸だけ超越するシーンがあるのだが、そこには正直こんなのよく思いついたな、と脱帽。
無駄は多いと思うし、バッサリ切ったら多分1時間半で片付く、でももしそうなったら、絶対に喰い足りなさを感じる。
そんな映画だ。

4時間あるけど、アンゲロプロスに興味を持ってて、尚且つあなたの町のTSUTAYAで見かけたら挑戦してみてはいかがだろう。
超長いけど、これは正直“勧めたい”作品だったわ。

明日は一度挫折した「アレクサンダー大王」を観るぞ!
ヤクセンボーレ!
Kuuta

Kuutaの感想・評価

4.3
ちょいちょい話についていけなくなり、再生を止めてはネットをあらすじを確認する邪道な鑑賞をしてしまった。また挑戦したい。

線路や道路を起点に、ワンカットで全く異なる時代のドラマが繋がる。同じ空間(フレーム)の中で、人の行動だけが変化する。

「人は消えても、その空間に歴史が刻まれる」ことを表しているように思える。

この同一空間とは、舞台のステージを指してもいる。

旅芸人は、色んな場所で同じ舞台を演じる。同じ役を次世代の子供が演じることで、前世代の魂が継承され、役が持つ意味は濃くなっていく。このループは古代ギリシャから続いていると言える。

同じ舞台が何百年と演じられてきたのと同様に、人は殺し合いを続けてきた。ラストで1939年と52年の劇団はシームレスにつながり、「同じ殺し合いの物語が始まる」ことを示唆する。

公開当時のギリシャに対する監督の警鐘とも取れ、大林宣彦の「海辺の映画館」と全く同じメッセージだと感じた。いつまで人は愚かな演技を続けるのか、ということ。

場所(フレーム)さえ同じに保たれていれば、その中で起きるのが「本当の出来事か、演技か」はどっちでもいい。過去の悲劇をカメラ目線で語るシーンが3回あるが、ここでは役者が劇映画の枠組みから外れ、本当に起きたことをただ語っている。

演劇か現実か、その区別は長回しによって曖昧になっていく。

劇中の演劇は、空爆などによって何度も中断される。演劇中に本当に殺人が起きるシーンもあるが、観客は現実だと気付かず、拍手を送る。終盤のオレステスの葬儀では、演じ続けた彼に賞賛の拍手が贈られる。

空爆の爆音が演劇を中断させてきたが、ラストでカメラがステージの内幕に入り、トンカチで床を叩く「効果音」として爆音が鳴らされる。映画の中では、空爆の音もトンカチの音も同じ効果を持っている。

画面は原則として、斜めの構図を取り、その中で人が左右に歩き回る。歩くことによって、映画はゆっくりと進んでいく。

↗︎右奥に歩いたり、↙︎左手前に歩いてきたり。左手前に近づいた人がカメラの前を通り過ぎると、カメラは左方向にパンし、↖︎左奥に向かう背中を捉える。左奥には首吊り死体や秘密警察など、思わぬ物が待っていて次のドラマを展開させるケースもある。

内戦が始まると、斜めの均衡が崩れ、人々は右に左に往復。陣地合戦の様相を呈してくる。

右と左の区別を混乱させ、虚実の境界や時間、空間の感覚を最も曖昧にするのが、カメラの360°パン。印象的だったシーンをいくつか。

例えば、旅芸人が宿に着く序盤のシーン。彼らの映画内での立場が、ワンカットの中でどんどん変わる。
宿に到着し、各々の部屋に入る(この映画の主役としての振る舞い)
→廊下から、リハーサルを行う中庭を見つめる(劇中劇の観客に変わる)
→中庭でリハーサルが始まる(劇中劇の主役になる)

アメリカ、ギリシャ、ソ連の国旗が揺れる戦後の決起集会→襲撃を受けて逃げ出す→ソ連国旗だけになって集団が帰ってくる。ここも360°回転。

秘密警察3人が長女を訪ねるシーンも360°回転。普通の映画なら両者の視点をカットバックで繋いで、ヒリヒリした緊迫感を煽るだろう。だが、今作は鏡を使った会話とピントの変化、立ち位置の調整によって、ワンカットでそれを表現してしまっている。

一番印象的だったのが、ダンスホールでの右派と左派の対立。最初はこの2組が同じホールにいたとは気付けないが、カメラが360°回転した結果、左手前にスーツ姿の右派集団、右奥に左派の若者集団という対立軸が自然と生まれ、互いに歌を歌い合う。

若者集団は踊り始める。旅芸人の舞台を捉えるように、カメラは「斜めの構図」から「正対」へと位置を変える。怒った右派の男は発砲し、またも爆音で「演劇」が中断される。

処刑シーンやパルチザンの武装解除などでも、カメラは正対する。「斜めの日常」「正対する非日常」「その区別を否定する回転運動」?
コレも長らく観たかった作品の一つ。先日、同監督の『アレクサンダー大王』を先に観た。セットで観て改めてアンブロプロス監督が抱く母国ギリシャへの想い、愛情が少しは理解できた。近世の他国の侵略や内乱に翻弄された民族の様子を旅芸人一座の面々や大王を名乗る脱獄囚に仮託してその悲しみや相剋の根深さを描いている。本作では1939年の大戦突入直前からファシスト国家の侵略、パルチザンの抵抗〜終戦後の王党派と左派の内乱を経て1952年の軍部独裁政権誕生直前までをギリシャ悲劇「羊飼いの少女ゴルフォ」を旅しながら演ずる団員一家の歴史と併せ鏡にして各時代を行きつ戻りつしながら見せてくれる。最初は登場人物の家族間の関係がよく分からず、もう一度あらすじを参考に整理理解した上で観直す羽目になりました。ワンシーンごとに長めの移動ワンショットに収める独特の語り口、未婚の次女に手を引かれる幼な子が最後はゴルフォの恋人役タソスとして初舞台に立つまで(次の時代に旅立つ幼きアレクサンダー大王とも相似)に時が経過した下りや、エギオンの町に到着する一座のメンバーの変遷をプロローグとエピローグで時制を倒置して示すなど長き混乱の歴史への哀しきオマージュと微かな光への期待も込められた大叙事詩かつ大叙情詩でした。
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