カフカ「変身」の作品情報・感想・評価・動画配信

「カフカ「変身」」に投稿された感想・評価

フランツ・カフカの代表作にして不条理文学の最高峰。
決して映像向きとは言い難いカフカの作品を「審判」「城」「飢餓芸人」と様々なアプローチをもってして映像化されてきた。令和の時代にあの「変身」が映画になる。想像ができない。
そもそもカフカの作品は事象を理解するのに時間を要するものが多い。その中で「変身」は比較的読みやすく理解しやすいと言えるだろう。
序盤からラストまで、全てにおいて既視感が漂う。
なぜなら原作に忠実すぎるぐらい忠実だからだ。
小説を読みながら脳内で思い描いていたイメージ映像がそのまま画面に投影されている不思議な感覚。

ただ、面白いとは言い難い。
原作は面白い。原作へのリスペクトも感じる。忠実なのはその表れだろう。
しかし、これは映画なのだ。小説ではない。全体を通してナレーションが多い。キャラクターの心情や状況を逐一ナレーションが報告してくれる。小説通りの文言で。
不条理な映画は多くあり傑作名作も多い。映画との相性は良いはずだ。純粋な演出力と構成力が観客の期待に応えられるレベルに達していないと言わざるをえない。
今作は不条理映画ではなく、「ザムザ家を襲った悲劇」または「グレゴールくんの災難」といった再現ドラマに近いチープさがある。
再現ドラマならアンビリーバボーか中居正広の番組でおおいにやるがよろしい。

グレゴール・ザムザのデザインもただただ観客を不快にさせるだけで魅力がない。古めかしく粗いグラフィックの質感もその原因の一つだろう。

せめてグレゴールのデザインに凝るのであればティム・バートンかギレルモ・デル・トロのようにクリーチャー愛のある監督がいいだろうし、ラース・フォン・トリアーかヨルゴス・ランティモスあたりならカフカのテキストが纏う芸術性と不条理を両立させることも可能だったのではなかろうか。

このレビューはネタバレを含みます

原作が好き過ぎて評価は出来ないが、結構面白かった
映像化したデメリットの方が多いとは思うけど確実にメリットもあると思う

物語チックな演技が目立ったので、個人的にはもう少し淡々と日常を描く感じで撮って欲しかった
支配人や3人の下宿人のくだりは笑ったけど
あと、グレゴールの見た目が怖いw
new

newの感想・評価

4.3
ある朝、体に違和感を感じて目覚めた青年グレゴール。目の前には巨大な虫の手足が蠢いていた。それは自分が巨大な毒虫になった姿だったのだ。変わり果てた姿を見た妹は、驚きのあまり金切り声をあげ、母親は失神し、父親は恐怖と怒りでステッキを振り回しグレゴールを追い立て部屋に閉じ込めてしまう。それでも家族は状況を受け入れようと努力していたが、毒虫との生活は想像を絶するものだった…。

なんだ、この設定、なんだこの作品は…。
絶望的なまでの状況と、それに応じて変わっていく周りの態度がホントに恐ろしい。自分が主人公の身だったらと思うとゾッとしてしまう。
原作は有名な文学作品…らしいのだが、恥ずかしながら私は本作を知らなかったのだが、原作ではこの毒虫の見た目の表現を極力排除しているらしい。一方で、本作ではその毒虫の見た目を忠実に再現しているのだとか…。原作にない要素を忠実に再現とは、どういう事なのかとは思うが、、この辺は賛否が分かれるところなのかな。小説と違ってビジュアルで楽しめるのが映像作品の良いところなので、視覚的に毒虫になった絶望感が伝わるのはプラスだと思う。但し、あまりにはっきり見せすぎて作り物感が強すぎるのと、原作者の意図するメタファー的な観点が薄れてしまっているのはマイナス。
この辺のバランスを保ったまま映像化出来れば最高だったんだけど、なかなか難しいよね。単純に話が最高に面白かったので、高評価です。
Madsburg

Madsburgの感想・評価

3.7
グレゴールは虫になってしまったが、
これが不治の病や深刻な大怪我だったら?

それが、家計に余裕のない状態で起こってしまったら?

なんの前触れもなく不条理に選ばれることの恐怖と、それによって起こる悪い方の未来を体験できる映画です
原作小説を読むのが億劫だったので見たのが本作。

その粗悪な映像体験が、『変身』はちゃんと原作を読むべしと、ぼくの横着を戒めてくれる。
umooo

umoooの感想・評価

3.0
酷い
カフカの変身は、よく山月記と比べられることがあるが何倍も主人公に救いようがない。途中で見るのをやめようかと思ったくらいだ
何の罪もない真っ当な主人公が突然前触れもなく毒虫になっている
家族には拒絶され、言葉も離せなくなる
ついには妹にまで見放される
山月記は段々と人間としての自分を忘れていく展開だったが、変身は最期まで人間の自分と向き合わなければならない
自分がもしこうなったら戻る可能性なんて考えずにすぐに命を断つ気がする
主人公が虫になるまでは散々頼ってきた家族が、主人公が死ななければ幸せになれないというのが最高にバッドエンドだった
ありえない話なのに自分にもこんな悲劇が起こりうるのかもしれないと思わせてくるのがこの話の凄いところだ
最後までひたすら主人公の不運に同情することしかできなかった
後味は悪いがどこか現実的で他人事には思えない作品だった
猫山

猫山の感想・評価

3.6

このレビューはネタバレを含みます

原作(高橋義孝 訳)読了後に視聴。
原作同様に映画も「身内が突然お荷物に変化してしまったら、どう接し、どう扱っていくのか」という問いを投げかけてくるものであり、映画ならではの映像的な面白さ(カメラワークや演出など)はあまりないように感じられた。しかし映画にする以上加えた方がいいであろう変更や省略・補足がしっかりなされていたし、展開を知っていても存外面白かった。
例えば原作では語られていなかった「虫が人間に戻る可能性」についても家族は話し合っていたため、「もしかすると映画では、グレゴールは人間に戻れるのかもしれない」という期待を抱きながら続きを観れた。原作では「いずれ死ぬか殺されるであろう漠然とした不安」を抱きながら胃をキリキリ言わせて読んでいたから、また違った気持ちで観賞できた。

まず、原作のストーリーをそのままに映像化した印象ではあるが、所々アレンジが加えられていた。例えばグレゴールの死に逝く時刻を明確に示したり、その後家族が暮らしを変化させるまでに時間を要したりと、時間を感じさせる変更(補足)が多かったように思う。
特に後者に関しては映画全体から観ても納得のいくものだった。原作よりも妹は兄を「兄」として扱っており、グレゴールも家族も「虫から人間に戻る」可能性を考慮している。その期待を捨てきれなかったからこそ「穢らわしい虫の死」は原作よりも「兄の死」として響いたのだろう。それゆえ最後の「グレーテはようやく肩の荷を下ろすことになった」(Amazon primeの字幕版より引用)という部分にも、視聴者は「時間をかけて兄の死を受け入れていったのだろう」と同情や共感をしやすい。
一方で原作ではグレゴールが死んだ当日に清々しい気持ちで休息と散策に向かっているため、胸糞の悪さや不気味さも同時に感じられる。おそらく映画よりもグレゴールの心理描写が多いことも要因なのだろう。
どちらも違った方向から同じ問いを投げかけてくるというのは面白いと思った。

また、「虫」をしっかりと視覚的に描写していることも取り上げておきたい。原作者フランツ・カフカは、扉絵に「虫に成り果てたグレゴール」を描くことを拒否している。これは「虫になったことは何かしらの暗喩であるためだ」とする言説が多く、実際その類だと思われる。そのため映画で虫の姿を描写することは原作者の意志に反することであった訳だが、「虫への変身」に内包された比喩を踏襲した上で視覚化していたと感じる。
原作とは異なって視覚的に「虫」として描写したならば、それはまごうことなく虫である。病気や事故などの暗喩であると主張しても、人間の情報判断の8割が視覚である以上「いやでも完全に虫じゃん」と取り合ってはもらえないだろう。
そこで取られた対応が①ナレーション ②ゴキブリのような外見 なのではないのだろうか。

①ナレーション
映画を通して、状況説明や心理描写などを一手に請け負っているのがナレーションである。映像だけで伝えるのではなくわざわざ外側にいる「神の視点の誰か」に説明させる訳であるから、悪く言えば映画に入り込みづらい。しかし良く言えば「神の視点の誰か」に作られた創作としてこの映画を捉えられるのである。
創作物の中の話であると認識させる方が、現実に虫になってしまったと描写されるよりも「何かの比喩である」という可能性に気が付きやすい。

②ゴキブリのような外見
原作では「ゴキブリのよう」など、具体的な名称を出して見た目を表すことはなかったはずである。一方映画では女中が明確に「ゴキブリ」と例えているし、見た目も完全にそれである。原作では読者は与えられた情報から「思い思いの気持ち悪い虫」を想像出来るが、映画はゴキブリなのだ。
これがどう功を奏していたかと言うと、ゴキブリが(悲しいことに)人々から忌み嫌われる象徴として扱われていることに理由がある。もしこれが原作のイメージを膨らませて生み出された、様々な悍ましい害虫のハイブリッドであったならば、虫になったということを比喩として捉えづらいであろう。しかしこれがほぼ、嫌われる対象のゴキブリの見た目であるが故に、「グレゴールが厭われている」という事象と「ゴキブリが嫌われている」という事象が無意識に繋げられる。これは視聴者が比喩であることに気づく糸口になり得るのである。

これらからも分かる通り、視覚化によって訪れる変化を踏まえた上で、原作で表現しようとしたであろうことを汲み取ろうとした努力が観られる。
映画から問いを投げかけられたい人や、原作と映画の表現方法を比べたい人なら、観て損はないだろう。
山中Q

山中Qの感想・評価

4.2

このレビューはネタバレを含みます

返信した姿が絶妙に気持ち悪くて、映るたびにゾクゾク寒気がした。
もろゴキブリなのだが、人間みたいな目がめちゃくちゃ気持ち悪かった。
不条理で怖い。
なは

なはの感想・評価

-
見たあと自分がもしこうなったら躊躇わずにすぐ殺してくれ、と両親と友達に頼んだ

このレビューはネタバレを含みます

原作は未読。
ある朝グレゴールが目覚めると、自分が一匹の巨大な虫に変身していることに気がついた。
周囲や自分を観察して状況を把握する。
声を出そうとしてみても、従来のような声は出せない。
終始ナレーションをメインに描かれている(恐らく原作を読み上げている)
いつまで経っても目を覚まさないグレゴールを家族は心配したが、部屋は内側から鍵をかけられていて開けることができない。
勤め先の上司が心配して家を訪ねてくるが、家族が体調不良だと説明しても、顔も出せないグレゴールは上司の怒りを買って首になってしまう。
グレゴールが扉を開けて部屋の外に出ると、当然その姿は恐れられた。
食事は妹が運んできたが、口に合わず吐き出してしまう。
残飯は不思議と食べることができた。
妹は兄が動きやすいよう家具を部屋の外に出そうとする。
しかし母親は、人間としてのグレゴールを尊重したい思いから、家具の移動を拒むのだった。
足が悪い父親、喘息持ちの母親、家事手伝いの妹のためにグレゴールは働いてきた。
音楽の才能がある妹を音楽学校に行かせるのがグレゴールの望みだったがそれすら叶わず、稼ぎ頭を失った家はたちまち困窮してしまう。
グレゴールはなるべく姿を見せないように、ひっそりと部屋で暮らす。
しかし、グレゴールを不気味に思う感情はどうにもならず、掃除の行き届かない部屋は次第に荒れていった。
一家は経済状況を改善しようと、一室に三人の男を下宿させることにする。
豪華な食事を給仕し、彼らが妹のバイオリンに耳を傾けている時、同じくその音色に引き寄せられたグレゴールのが部屋から出てきてしまったのだ。
こんな話は聞いていないと憤慨した男たちは、宿泊費は払わず損害賠償を請求するとまで言って出て行った。
父親にリンゴを投げつけられ、そのうちのひとつがグレゴールの体に食い込む。
両親や妹は嫌悪感も露、グレゴールはもう家族の一員として数えられなくなっていた。
激痛の中で、グレゴールは少しずつ衰弱していき、とうとうひとり静かに息を引き取った。
その後肩の荷を下ろした一家は旅行に出掛ける。
閉塞した家の中ではなく、明るい日の光の中で妹は解放感に背を伸ばすのだった。



これまで、グレゴールは家族のために真面目に働いてきた。
妹を音楽学校に通わせてやりたいと思うほどの優しい男に降りかかる想像を絶する困難。
まさに不条理としか言いようがない。
不気味に思いながらも、最初はまだ家族という思いがあった。
しかし、困窮を極めるとそれが全てグレゴールのせいだとでも言わんばかり。
グレゴールの変身は、同時に家族にも大きな変化をもたらすことになった。
でも、家族にとってもこれは不条理な変化だし、さすがにあんな巨大な虫には嫌悪感を抱かざるを得ない。
ちなみに、Gに似てはいるけど背は固く羽は無さそうだった。
この虫の何が気持ち悪いって、目が一番気持ち悪い。
白目があるのは人間だけなのに、この虫には白目がある。
顔も鼻の下が長い人間のようにさえ見え、それがいっそう嫌悪感をあおっている気がする。
CGはチープ。
上司のあたりまでの演技が無駄にオーバーで笑いをさそった。
掃除婦が入り口だけをデッキブラシで擦って「今日は終わり」ってとんだ給料泥棒だ。
でも、グレゴールに対して最初から順応しており、この頃は掃除婦しかグレゴールに話しかける者はいないのが悲しかった。
グレゴールの遺体を、デッキブラシでつついた時の、妙に軽いチープな張りぼて感には思わず失笑。
家族が不条理な形で急に変わってしまう可能性は大いにあり得る。
病気や障害で、本来のその人ではいられなくなる変化。
時に家族にとって重荷になる場合もあるかもしれない。
朝起きたら突然虫になっていたグレゴールのように、ある日突然それは訪れるかもしれない。
グレゴールの場合は虫だったけれど、遠くないことはあり得ると思ってしまうと急にやるせない思いになった。
自分が、家族がある時急に虫になってしまったら、私や周囲はどうなるだろう。
>|

あなたにおすすめの記事