
ミャンマー北西部のチン州。少数民族ゾミ族の一団が、日本兵の遺骨を発掘するため、かつて第二次世界大戦の戦場だった場所に向かう。鍬を振るう若者たちの手によって地表から立ちのぼるのは、かつての争いの記憶。彼らの仕事を通じて見つめる私たちの“戦後”。
戦後75年目の残留。生き別れた者が伝える、日本という国の今。「私を日本人と認めてほしい!」-フィリピン残留日本人 。「私は日本人。でも言葉がわからないの!」-中国残留孤児。太平洋戦争以前、…
>>続きを読む日本で唯一の地上戦が行われた沖縄。その凄惨な戦闘をほとんどの日本人が知ることなく、77年の年月が経とうとしている。本土への疎開のため多くの子供達が乗った対馬丸がアメリカの潜水艦によって撃沈…
>>続きを読む2016年6月19日、沖縄県那覇市。米軍属女性暴行殺人事件の被害者を追悼する県民大会で、稲嶺進名護市長は言った。「我々は、また命を救う“風かたか”になれなかった」。「風(かじ)かたか」とは…
>>続きを読む緑豊かなジャングルに覆われた西表島に暮らしている橋間良子、90歳。人生のほとんどを島で過ごし、子どもたちはみな島を離れ、家の一室は島に流れ着いたアメリカ人の青年に貸し与えている。彼女は不器…
>>続きを読む太平洋戦争中、約19万人もの日本の将兵がビルマ戦線で命を失った。その生存者の中にはタイ・ビルマ国境付近で敗戦を迎えた後、祖国に帰らなかった6人の日本兵がいた。2005年から3年にわたる彼ら…
>>続きを読む米軍が上陸し、民間人を含む20万人余りが死亡した沖縄戦。1944年の晩夏、42名の「陸軍中野学校」出身者が沖縄に渡った。北部で展開されたゲリラ戦やスパイ戦などに動員されたのは、まだ10代半…
>>続きを読む1944年4月、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。遺体の記録係をしているスロバキア人のアルフレートとヴァルターは、日々多くの人々が殺される過酷な収容所の実態を外部に伝えるため脱走を実行し…
>>続きを読む2016年初頭、シリアのアレッポとトルコの現状をとらえたNetflixオリジナル短編ドキュメンタリー。凄まじい内戦の渦中で自身の家族や愛する人々の身を案じながらも、一般市民の救助に命を懸け…
>>続きを読む© E.x.N K.K.