寺山修司の実験映画その3。1977年 15分
「影」の映画。
映画が映し出すものは、そもそもが影であり、影写という言葉もあるように、極めて映画の本質に迫った問題設定ではある。
ただ実際には、人…
寺山は光は闇で闇は光みたいなことを言っていたし見ることができないものを見るという発想は天井桟敷にもある通りで"見る"という行為が彼の思想のかなり重要部分なんだろうな、それにしてもこの表現に辿り着くの…
>>続きを読む映画の影ではなく正しい題名は「影の映画」。
実体と影の動きを別々にするというのは、可視と不可視の領域を探究する視覚的実験として発想自体が面白い。
壁や床に残った影が、原爆の犠牲者や黒沢清「回路」…
人物がフレームアウトされた後も画面内に残される人物の影。性行為を終えた後ベッドの上に距離を置いて座る実写の2人の間に性行為中の2人の影が映されるショットは画面内の非同期的な時間表現として中々見応えが…
>>続きを読む影の一人歩き。影は別人のごとく動くし、または壁に焼き付いている。トリック的だが、それだけでないリリシズムがある。寺山作品は見世物という点でメリエスに近いが、トリックだけに止まらないところが良い。高…
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