悪魔祓い、聖なる儀式の作品情報・感想・評価・動画配信

「悪魔祓い、聖なる儀式」に投稿された感想・評価

悪魔に憑依されて苦しんでいる人がこんなにいるんだ

悪魔ってなにを指すんだろう?
ねしこ

ねしこの感想・評価

3.4
悪魔祓い師のドキュメンタリー。奇声をあげて暴れる憑依された人たち、悪魔を祓おうと言葉をかけ立ち向かう神父、かなりリアルだった。

がっつり宗教的な要素満載の内容で、そっち系が好きな人にはたまらないと思う。あくまでもドキュメンタリーなのでホラーではない。

こんなに悪魔憑きで悩んでる人がいるのも驚いた。悪魔祓い師は需要が増えているんだそうな。

悪魔に取り憑かれ教会に通っているパンクな男性が、ドラッグのようなものに手を出している様子が映っていて、これはokなのか?と疑問に思った点を除けばなかなか面白かった。
トト

トトの感想・評価

-
悪魔祓い、いわゆるエクソシストを扱ったドキュメンタリーで、舞台はシチリア。大変! 興味深かったです。

需要が増え、悪魔祓い師(エクソシスト)が増員されているそうな。フランスでは教区に1人。米国では10倍に。

精神科で答えが出ず神父様のところに救いを求めてくる家族とかいるようで、宗教というものが持つ「救い」の側面が、そんな風に機能しているんですね…

神父様が人生相談みたいになっていて、「給料が支払われないんです」とか言われているシーンがあり笑ってしまいました。←労働を提供したならしつこく粘れとアドバイスしてました。(ごもっとも)。

@試写
字幕 比嘉世津子さん
s

sの感想・評価

2.2

憑依とかいって何がどうなってるのかわからないけど、きっと本人たちもそうだから、教会とか悪魔払いとかに頼るしかないんだろうなぁ
これが撮られてるのが2014年?わりと最近の話だからまた驚き

何人かの神父様に会ってるらしい人たちが、みんな違うこと言うから訳わかんないわ、って言ってるのが笑えた
おじいちゃん神父のドキュメンタリー。
電話越しに悪魔払いするの現代的で面白い~

部屋汚いのも悪魔のせいだから破壊しろ!家具もぜんぶ!!とかいってたのわらった…
21世紀エクソシズムの最前線。
エクソシストばりの発狂祓魔から、お悩み相談所レベルの内容まで、あらゆる依頼を捌いていくシチリアのベテラン神父様。散らかっただけの汚部屋を悪魔の仕業と一蹴。破壊すると宣言し、塩水を撒き散らす。
エクソシストの需要が高まってきているという事態も興味深く、人々の現代病を丸ごとひっくるめて十字切るカタルド神父にシビれる。
lose your soul もバッチリ決まった。
movielover

movieloverの感想・評価

3.8
笑っていいのかどうなのかわからないけど、とにかくめちゃくちゃシュールで面白過ぎて、今思い出しても涙が出るほど笑けてくる。
だらしなく服が山積みになった部屋を見て「悪魔のせいだね。」と言い放つ神父。おいっ。
うまくいかないのは全て悪魔のせいで、悪魔祓いをしてうまくいくと出てくんだけど、また戻ってきちゃうとか、もう、抜本的解決になってないから、気づいた方がいい、それは、悪魔のせいではないということに。
ま、でも、そもそも解決することが目的ではないから成り立つのよねぇ。それが人間なのよねぇ。
それにしても、日本人からは考えられないレベルで、どうにかしようとする前に神父に気軽に治してもらおうという安易な発想。あっぱれでハッピーな生き方だわ。私もイタリア人に産まれていたらそうなってたのかしら。
RoyK

RoyKの感想・評価

3.5
・電話で悪魔祓い
・賃金を貰えないと相談に来た信者へ、面倒臭そうに「払わないと訴えると言いなさい」という現実的なアドバイス
の所で最高に笑ってしまった。

あとはキリスト教(カトリック?)の
自分という入れ物は常に善なのだけど、
中に悪=悪魔が入ってくる、という価値観を何となく味わえた。

座禅なんかと比べてみると
悪魔に乗り移られて叫ぶ姿は
なんかグループカウンセリングみたいだし、
ストレス発散としての拠り所なんだなと
sghryt

sghrytの感想・評価

4.0
リアル『コンスタンティン』。超絶面白い。思わず身震いするシーンもあれば、抱腹絶倒の爆笑シーンもある。

前近代的なコルプス・クリスティアヌム(キリスト教共同体)の一端に触れることができる。コルプス・クリスティアヌムの中において悪魔は実在する。当たり前のことだ。その中では神(父・子・聖霊)やマリア(聖母)が存在するんだから、サタン(悪魔)も存在するに決まっているじゃないか。

だだコルプス・クリスティアヌムの外部から、それらの存在を経験することはできない。だから近代人(特に非キリスト教徒)からすると、悪魔は存在しないように見える。悪魔憑きは近代的な世界観、具体的には近代的な方法、たとえば精神分析や心理学で説明したくなる。

しかし、そもそも悪魔は近代的な方法では説明がつかない領域に見出されていることを見落としてはならない。そのことは男性が「俺だって信じられない。だが、そいつはいるんだ」と戸惑ったり、女性が現代医学では説明のつかない症状に苦しんでいると告白するシーンだったり、欧米の各教区に悪魔払い師が増員されているという仏ルモンド紙の報道が掲載されたエンドロールが示唆している。

仮に近代的な立場をとったとしても、人間の知性が不完全である以上、形而上学を否定することはできない。理性だけでパズルは完成しないのだ。パズルを完成させるためには、ピースを揃えなければならない。しかし理性だけではピースが揃わない。結局、ピースが欠けたまま耐え続けるか、その部分を強引に埋めるか、どちらかを選ぶしかない。それだったら欠けたピースを信仰で埋めてもいいじゃないか。それが人情というものだ。

(余談ですがね、そもそも宗教は世界を合理的に説明して、それを納得させる役割を持っているわけですよ。たとえば神(超越的存在)抜きに世界が存在することを説明することは、人間の理性の構造上原理的に不可能だ。それにもかかわらず厄介なことにこうして現に世界が存在しちゃってるから、この非合理な世界を説明かつ納得するために超越的存在が要請されるわけだ。神の存在は論理必然的に導き出されるものであって、むしろ合理的な存在なのである(ここで非合理と合理がイコールに陥る)。神は非合理的だと安易に考えて宗教を侮る人が多いことには、ほとほとうんざりさせられるよね。そんなに簡単な話じゃねえんだよ。)

つくづく思い知らされるのは、われわれ日本人は西洋人とは違いすぎるということだ。民族が異なる、母語が異なるということは、お互いに全く異なる世界に住んでいるということだ。もはや別の生き物だと言ってもいいくらいだ。それぞれの世界間をどこまで行き来できるのか、相互理解は成り立つのか、はなはだ怪しいもんだ。もちろんこの問題は究極的には個人と個人の問題にまで行き当たるわけだが。

まあひとつ言えるのは、東洋と西洋では悪の概念が根本的に異なるということだね。たとえば仏教の悪は無明(無常が悪じゃないのは面白い)、儒教の悪は紊乱、神道の悪は穢れだが、それらは基本的には機能不全という意味にすぎない(何だったら日本語の「悪」ってもともと「すげえ」って意味だし)。それに対してキリスト教の悪は悪魔の存在そのものである(カトリックとプロテスタントで違いはあるが)。東洋の悪に実体はないが、西洋の悪には実体がある。それは具体的な力なのだ。

ショックだったのは、悪魔払いは一度で済まないということだ。悪魔を追い出しても魂に入り込む隙が限り悪魔はまた「我が家」に舞い戻ってきてしまう。それだから悪もまた超越的な存在である。

「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。」(マタイ12:43.44.45)

「あの子には悪霊がとりついていた」、エリは密やかな声で打ち明けるように言った。「そいつはつかず離れずユズの背後にいて、その首筋に冷たい息を吐きかけながら、じわじわとあの子を追い詰めていった。そう考える以外にいろんなことの説明がつかないんだ。君のことにしても、拒食症のことにしても、浜松でのことにしてもね。私としてはそんなことは言葉にしたくなかった。いったん口にしたら、それが実在するものになってしまいそうだったから。だからこれまでずっと私ひとりの胸のうちにしまい込んできた。このまま死ぬまで黙っているつもりだった。でも今ここで思い切って言葉にしてしまうよ。この先、私たちが会うことはもうないかもしれないからね。君はたぶんそのことをしっかり知っておかなくてはならない。それは悪霊だった。あるいは悪霊に近い何かだった。そしてユズにはとうとうそいつを振り払うことができなかった」(村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』)
あん

あんの感想・評価

2.5
それぞれ悩みを抱えて生きている中で救いを求めてることだけはリアルなんだろう
とても興味深い世界
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