劇場での初見時にも感じたが、今改めて見直しても、オールド・ファッションな映画だと思う。
製作元のパラマウントとしてみれば、「ミッション:インポッシブル(96年)」成功の夢よもう一度という狙いがあったのは確かだろう。
本作「セイント(97年)」の企画自体はそれ以前から準備していたらしいが、TVシリーズ「スパイ大作戦(66年〜73年)」のハリウッド・リメイクが世界中でメガヒットした事実は、本作公開に向け、追い風になったはずだ。
英国推理作家レスリー・チャータリスの原作をTVドラマ化したのが、ロジャー・ムーア主演「天国野郎 セイント(62年〜69年)」。
7シーズンに及ぶ長寿シリーズ、世界80カ国で放映され、日本でも65年から日本テレビ系列で放送。
その後は「ヨーロッパ秘密指令」「テンプラーの華麗な冒険」等タイトルを変え、毎日放送や東京12チャンネル系で放送されたらしい。(自分は幼少期、両親の実家に帰省した際、そのうちの一篇を観た覚えがある・・・・)
TV版の設定だが、主人公サイモン・テンプラーは頭脳明晰、ユーモアも一流でハンサム、おまけに大金持ち。そして変装が得意な盗みの天才という男。犯行現場には指紋一つ残さないが、12人の聖者のイタズラ書きを残すことから「セイント」と呼ばれている。
但し、善人からは盗まず悪を挫く活躍を見せ、それ故に現代のロビンフッドと称され、時にはスコットランドヤードやMI6の依頼を受けてスパイ活動にも従事する。
3代目ボンド襲名前のロジャー・ムーアの若さ、容姿、軽妙洒脱な演技がマッチし、TVシリーズが当時人気を博したことは納得できるが、それから30年以上経ての映画化に需要があったかどうか疑問を残すところだ。
ましてや、本作はその前日譚、世界を股にかける正義の怪盗セイントになるまでの話で、世界中にどれだけの人がそんな話を期待していたのか・・・正直かなり少なかったのでは・・・と思われる。
ちなみに日本公開時、自分が駆けつけた劇場では、観客は自分含めて10人前後と寂しい入りだった記憶がある。自分は当時三十路に入った頃。それでも若い方で、ご年配の方々がほとんどだった・・・。
事実、90年代後期のハリウッドには安易なTV人気ドラマ・リメイク路線が横行していた。
同題のアメコミ映画のために存在が掠れてしまった「アベンジャーズ(98年)」は「おしゃれ㊙︎探偵(61年〜69年)」のリメイクだし、ウィル・スミス主演の「ワイルド・ワイルド・ウエスト(99年)」のオリジナルは「0088/ワイルド・ウエスト(65年〜69年)」。
奇しくもこれらの作品は本国アメリカでは制作費を回収するのがやっとか、赤字の興行成績で、今では「忘れ去られた映画」の1本に数えられてしまうほど。
「ミッション:インポッシブル」の成功の後を追った安易な思い付きだったと簡単に判断は出来ないが、時代のニーズに合わなかった(否、合わせられなかった)古色蒼然な作品であることは間違いない。
「チャーリーズ・エンジェル(2000年)」がTVシリーズのイメージから大きく舵を切り大ヒットした結果は、上述した作品のダメさ加減を如実に表していると思う・・・。
本作「セイント」が古めかしく感じられる理由は他にもある。
粗筋だが、世界中で指名手配を受けている怪盗サイモンが、ロシアの石油王トレティアックから低温核融合という新エネルギーの方程式を奪うことを依頼されるが、実はトレティアックの狙いはクーデターを起こし新生ロシアの統治者になること。サイモンは女性科学者エマと共にその陰謀に巻き込まれていくというストーリー。
しかし本筋はアクションスリラーの体裁を取りながら、実のところ、ヴァル・キルマー演じるサイモンとエリザベス・シュー演じる女性科学者エマとのラブストーリーだったということ。
しかも、秘密を抱える男性主人公が、盗みのターゲットである女性に一目惚れしてしまう、ハーレクインロマンス風に描かれているのだ(!!)。
サイモンは女性に対して手が早いが、幼少期のトラウマから本気印の恋愛には不慣れな設定。
対するエマも科学に没頭するあまり恋愛に奥手なタイプのため、一夜を共にする直前、二人の心がときめき合うシーンは、ベッドで待つサイモンの「あんな素敵な娘を裏切れない(汗)」、浴室で支度するエマの「こんな素敵なことウソみたい♡」という、両者の台詞含め、画ヅラがあんまりにもクラシック過ぎて、観ているコッチがちょっと赤面したくなる気分だった。
他にも・・・
サイモンの変装がカツラにヒゲ&声色を変えるというローテク風味なためバレないのが不思議だとか(劇中、一度だけ別人に成り代わるが、基本、自分の素顔を明かさないための変装なので個人的にはこれでヨシ!と思ったが・・・)、アーミーナイフが「電撃フリント GO!GO!作戦(66年)」の82種類仕掛けがある万能ライターにソックリだとか、依頼人との連絡に使用するNokiaのケータイ(ガバッと開けると液晶ディスプレイとキーボードが現れるPDAのようなシークレット機能付き)がデカすぎてカッコ悪いとか・・・。
下手すればギャグすれすれ、日本人からするとドリフのコントみたいな「昭和の香り」がするようなシーン、ガジェットが散見される。
同時期に公開された「オースティン・パワーズ(97年)」で、60年代から70年代初頭のクールさは現代では通用しないことがギャグを通じて指摘されてしまっただけに、本作「セイント」は公開のタイミングが悪かったとつくづく思わざるを得ない。
ここまで長文・拙文ながら、ダメダメポイントを列挙してきたが、実のところ、本作は大好きな作品なのである・・・。
エマを演じたエリザベス・シューは「ベストキッド(84年)」「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2(89年)」&「〜PART3(90年)」などガール・ネクスト・ドア的な役が多かったが、「リービング・ラスベガス(95年)」の娼婦役で強烈な存在感を見せ、当時個人的に注目の女優だった。
そこで本作だが、前髪をピンで留めている姿は垢抜けない雰囲気というよりも、逆に「エキセントリックでピュアな少女らしさ」を醸し出して好感が持てたし、方程式のメモを盗んだ理由をサイモンに問いただす場面では、サイモンが「理由は800万(ドルの報酬)・・・」と答えたのに対し、「たった800万個の理由なの?それなら、あげたのに!」と天才科学者ゆえのボケ回答。
またオックスフォードのパブ(=中産階級専用風に仕上げた見事なロケセット)で、サイモンの隠した内面を「あなたは自分の過去と苦痛から逃げている。目をそむけないで!本当のあなたは素晴らしい」と直感で言い当てた時の表情・目の輝きなど、期待以上の演技を見せてくれている。
また本作の舞台設定は製作当時の90年代末期のロシア。ソ連崩壊から6〜7年経ており、欧州が地理的且つ政治的に大きく塗り替えられたことによる混乱は、「007/ゴールデンアイ(95年)」「ピースメーカー(97年)」などで既に描かれ、観客の関心を引くほど真新しいモノでは無かったが、本作ではレニングラード駅やソ連時代に建てられた公営団地フルシチョフカで実際にロケされ、貧窮する市井の人々の生活が「画」から容易に想像できる。
特に序盤、敵ボス・トレティアックの本社での「トレティアックの演説」と「金庫からマイクロチップを盗もうとするサイモン」、「本社ビルを取り囲むデモ隊」の3つのシーンを、流麗なカメラワークとテンポ良いカッティングで綴った撮影フィル・メイヒュー&編集テリー・ローリングスの仕事ぶりは圧巻であり、グレーム・レヴェルのドラムをメインにした重低音の劇伴と相まって、いつ起きてもおかしくないバイオレンス、そのハラハラドキドキ感を上手く醸成している。
そして「トレインスポッティング(96年)」に影響された感アリアリの、当時隆盛を極めたブリットポップや欧州のテクノ系デジロックがふんだんに劇伴として使用されているのも好みのポイントだ。
ダフト・パンクの曲(=DA FUNK)がハリウッド映画で使用されたのは、本作が初ではないだろうか。
ただし、ロシアン・マフィアのカーステから流れる曲がモビーやアンダーワールド、ケミカル・ブラザースというのは工夫がなく勿体無い使い方だと思えたし、方程式を奪いに隠れ家を急襲されたサイモンがピンチを脱し、車の中でカーステに合わせて歌うのがスマッシング・パンプキンズの「You’re All I’ve Got Tonight」のサビの一節だったり、多分ギャグのつもりなのだろうが、こういう曲の使い方もオールド・ファッションに思えつつ、愛おしくさえ感じてしまった。
以上、ダメなところが多々あるにも関わらず、本作が好きなのは結局のところ、洋画に興味を持ち始めた小学生時代、お気に入りだったのが、60年代のスパイスリラー&泥棒系アクションだったことに起因すると思う。
ショーン・コネリーの「007」シリーズは当然のこと、ジェームズ・コバーンの「電撃フリント」シリーズやディーン・マーティン主演の「サイレンサー」シリーズ、イタリアの犯罪コメディ「黄金の七人」シリーズなど、TVで放送されるたびに欠かさず繰り返し観てきた。
自分が惹かれたのは、荒唐無稽なアクションの面白さもさることながら、スリルを損なわない程度のユーモアのセンスを感じたからである。多分、こういったところが、本作公開時も現在も、大抵の方々が「ダサい」と感じてしまうのだろう。
個人的に大変残念なことだが、本作「セイント」を好きな人は勿論、観た人にさえ未だ実際に会ったことはない・・・(笑)。
最後に・・・
主役サイモン・テンプラーを演じたヴァル・キルマーについて。
彼は非常にツイてない役者だと思う。
ルックスの好みはさて置き、「トップガン(86年)」のアイスマン役で注目され、ジョージ・ルーカス製作総指揮のファンタジー巨編「ウィロー(88年)」で「スター・ウォーズ」でいえばハンソロ、「ロード・オブ・ザ・リング」ではアラゴルンのような主人公をサポートする騎士マッドマーティガン役に抜擢されるも、あんまりな狼藉ぶり&粗暴なキャラが災いして不発に終わり、さらに映画版二代目バットマンを襲名した「バットマンフォーエバー(95年)」では前任者マイケル・キートンのエキセントリックな演技に引きずられ、且つ屈折感が足らないと酷評を受け、わずか1作で漆黒のマスク&マントを脱ぐことになる・・・。
オファーを受けた方が悪いと言ってしまえばそれまでだが、製作者の思惑で、結果観客が望むようなキャラではない役柄を演じ続けたことは、「運」がなかったとしか言いようがない。
「トゥームストーン(93年)」で演じたドグ・ホリデイや「ヒート(95年)」での裏切り者の妻を持つクリス役など、陰のあるキャラでは異彩を放つ名演技を披露しているので、もう少しエージェントと熟考して役を選んだ方が良かったのでは?と外野ながら思ってしまった。
その点、本作では、ダンディーなロジャー・ムーア版と違った、悩める人間としてのダークなテンプラー像を抑え目の演技で見事に演じきり、その分、変装した聖者のシーンでは茶目っ気たっぷりに本人も楽しんで演じているように見える。(自分的には、テンペルホフ空港でのオカマの聖者・ブルーノに扮した演技が、訛りやジェスチャー含めて、中でも大のお気に入り!)
数年前、ヴァル・キルマーが癌を患ったと聞き、心配したが、その後順調に回復に向かい、あの続編「トップガン マーヴェリック」に出演を果たしたニュースをネットで知り、ヴァル・キルマーにもようやく「幸運」が訪れたのだと勝手ながら安堵の思いに浸ってしまった・・・。