人々が見る夢に何度も同じ男が現れ、社会現象となる設定。
その男を演じるのがニコラス・ケイジと知った時、「ああ、なるほど…」と勝手ながら腑に落ちた。
赤の他人の夢に思いも掛けない男が登場する…。
それは、ネット上におけるミーム化(=直接知らない人間を、共通の了解としてアイコン化・拡散すること)と粗方同じであり、これまで出演した作品の大半、目をひん剥いて極限までデフォルメした表情を魅せる“顔圧演技”で、ネットを席巻してきたニコラス・ケイジの“現在の立ち位置”と、あくまでも個人的ながら…リンクしてしまったのである。
ガンぎまった顔で「ハレルヤ〜♪」を激唱する「フェイス/オフ(97年)」を端緒にネタ化が進み、「バンパイア・キッス(88年)」「バット・ルーテナント(09年)」等のブチギレ演技をフィーチャーした動画「キレるニコラス・ケイジ」や、「コン・エアー(97年)」とか「ナショナル・トレジャー(04年)」「ゴーストライダー(07年)」等の、どこからがカツラでどこまでが地毛なのか判然としない、不自由な頭髪を小バカにした「ニコラス・ケイジ頭髪の歴史」といったコラ画像が氾濫(!!)。
リメイク作の「ウィッカーマン(06年)」なんて、囚われたニコラス・ケイジが、ミツバチに刺されながら「ハチやめて! ハチ! 目ェ刺された!」と説明しながら苦しむ、ダチョウ倶楽部みたいな見事なリアクション芸を披露したにも拘らず、ギレルモ・デル・トロから「ネットでネタになるGIF画像を生んだだけだ!」と断罪される始末…(涙)。
まぁ、ネットユーザーからしてみれば…人智を超える表情筋を駆使した顔芸、襟足は長いのに頭の前半分だけ毛が乏しくなるアンバランスさ・奇妙さが面白かったのは勿論のこと、アメコミ収集などの趣味で散財し、借金を返すために粗製濫造されるトンデモ映画に出演し続けた、ニコラス・ケイジの“捨て身の暴走ぶり”をイジりたくて仕方がなかったのだろう。
それに異論を唱えるわけではないが…
「マンディ 地獄のロード・ウォリアー(18年)」での、英国のヘヴィーメタルバンド、タイガース・オブ・パンタンのアルバム・ジャケットによく似たトラ柄のTシャツと白ブリーフ一丁の姿で、トイレで独り、ウォッカをビン飲みしながら「おぉーお、おぉーお」と泣き叫ぶシーンは、これまでの役者人生が凝縮された名場面だと思うし、それを感動的に演じられるのはハリウッド広しといえどもニコラス・ケイジだけだろう…(笑)
但し…本作「ドリーム・シナリオ(23年)」では、その芸術的とも云えるキレ芸&マッドな顔芸は殆ど観られない。
ニコラス・ケイジ扮する主人公ポール・マシューズの娘、次女のソフィー(リリー・バード)が見る夢=父親ポールがベッドで寝ている自分を襲ってくる場面くらいだろうか。
ドアをブチ破り、両手を思い切り上下に振って、血走った目でダダダダッ!!とソフィーの方へ駆け込んでくるその姿は、漫画「進撃の巨人」の奇行種の走り方を彷彿させ、マジで爆笑モノなのだが、おそらく…本作でニコラス・ケイジの十八番をほぼ封印しなければならなかった理由は、演じたポール・マシューズのキャラ設定にあるのだろう。
ポールは、家の中では「ディナーの時はスマホ禁止!!」と厳格な父親像を装いながらも、娘のポートレートに「Booger Eater(鼻クソ喰らい)」とイタズラ書きするなど、その支離滅裂ぶりで長女のハンナ(ジェシカ・クレメント)を筆頭に家族中からウザがられている。
また、家の外に出れば、仕事はオスラー大学で進化生物学を教える理学博士なのだが、講義がつまらないのか、ポール自体に問題があるのか分からないが、授業は人気がなく、空席ばかりが目立ち、校内でも明らかに“イケてない”大学教授扱い。
見た目も、悲哀感漂う、両サイドに僅かな毛を残したのみの禿頭。
身に纏っているのも、いつも野暮ったいアウターや地味なネルシャツのアウトドアスタイルで、どこに行くにもマウンテンブーツを履いている…。
(注:ポールが禿頭キャラなのは、本作の元ネタの一つ、2009年頃に起こったインターネット・ミームの「This Man」の画像が、おでこが異様に広い、生え際が後退した男だったことに由来するらしいが、実は髪型のアイデアを思いついたのはニコラス・ケイジ自身。
「This Man」とは、3000人を超える世界中の人々の夢の中に繰り返し現れるものの、現実では決して姿を現さないとされる謎の人物で、まさにみんなの夢に現れるポールそのものだ…)
実際のところ、ポールは“周りが見えないトホホ男”で、「自分は家族からも生徒からも尊敬されている!」と思い違いしつつ、「自分は優れているはずなのに、なぜもっと評価されない!?」という承認要求に駆られている。
さらにポールがイタ過ぎるのは、「自分はやればデキる男だ!未だ本気を出してないだけだ!」と心奥では自認しながらも、いざという時には物怖じしてしまうタイプという点だ。
言い返されたり、相手を失望させたりすることで、自分のダメさ加減が露呈されるのを恐れているからだろう。
学生時代にポールが考えた“アリのコロニーのアルゴリズム論”をパクって、ネイチャー誌に掲載しようとしている同窓生のシーラ(ボーラ・ボードロー)に「盗用詐欺だ!」と文句一つも言えず、及び腰で「自分の名前も雑誌に載せてくれないか…」と頼むことしか出来ない。
また、ポールが大学の講義中、学生たちに「シマウマの模様は群れに紛れるためのもので、何故ならライオンのような捕食動物は群れを襲わないからだ!」と説くのは、口撃のターゲットにされたくないために目立たぬよう身を潜めている、今の自分を正当化する詭弁に他ならない。
(劇中、ポールが、1994年に出版された神経科学者ロバート・M・サポルスキーの著書「Why Zebras Don't Get Ulcers(何故シマウマは潰瘍にならないのか)」を熱心に読んでいるシーンまである…笑)
だが、この直後、ポールが「動物にとって目立つ利点は何だ?」と質問し、指された生徒が「繁殖!」と答えると、「そうだ!メスにモテることだ!」とご満悦な表情を浮かべたりするので、本心ではやはり“注目されたい!かまってほしい!”と願っている面倒臭いヤツ…。
こんなような、しょぼくれた、うだつの上がらない大学教授のポールが、ある日、何百万人という人々の夢の中に一斉に現れることになるのだが…開巻してすぐ、ソフィーの見た悪夢が映し出された瞬間、かつてアゴが外れるくらいの衝撃を受けたトンデモ・サスペンス映画「フォーガットン(04年)」を想起せずにはいられなかった(笑)。
夢の中のソフィーは、庭掃除をしているポールの目の前で空の彼方へと吸い込まれていくのだが、それが「フォーガットン」での劇中、黒幕のXXXが自分たちにとって都合の悪い人間をいきなり“虚空に吹き飛ばすビジュアル”にどことなく似ていて、「ああ…この映画も、変化球どころか大暴投の“掟破りのオチ”で終わるんだな…」と、まだ上映が始まったばかりなのに、時期尚早ながら臆見してしまったのである。
しかし、本作「ドリーム・シナリオ」は、シュールでダークな映像がそれなりに展開されるものの、物語は最後、然るべきところに着地する。
フロイトだったかユングだったか失念したが、その一説によると、夢とは“胸の内に隠した欲望がダダ漏れ状態”になったものらしく、これを真摯に受け止めると、他人の夢の中に出てくるポールとは、実在するポールの胸に秘めた感情が実体化したもののように思えてくる。
その証というワケではないが、ポールが娘のソフィーに「夢っていうのはね、自分が思いついたものが出て来たり、自分が所持しているものなんだよ…」と論じるシーンがあるのだ。
最初、人々が見る夢は、“血まみれの大男に襲われる”“大地震が起きる”“前歯が突然抜ける”“家の中で人喰いワニに囲まれる”という窮地に陥ったものばかりなのだが、それらの夢に一緒に出てくるポールは全く慌てず、ただそこにボーッと立っているだけ。
これはポール自身が見て見ぬふりをする人間、対立や衝突を避けたがる性格であることを表しており、それと同時に、周りに“役立たずな男”と思われている、ポールの無力感も象徴している。
ところが、この怪異のおかげで、一躍有名人となってしまうポール。
Facebookに、「なぜ夢に出てくる!?」「もう怖くて眠れない!」というメッセージが連日山ほど来て、中には「取材させて!」なんてものもある…。
周りの騒ぎに「どうしよう!?」と困惑しつつも、妻ジャネット(ジュリアンヌ・ニコルソン)から「行動する前に、よーく考えて!」と忠告された筈なのに、速攻でTVのインタビューをOKしてしまうし、これまでガラガラだった大学のゼミも、連日聴講生で満員の人気ぶり。
さらに街には、ハゲヅラ&メガネをかけて真似するポール・ワナビーまで現れるし、ギスギスしていた娘との関係も良好になったようで、長女のハンナはポールの顔を写メして彼氏に送ってご満悦。
このことで、「注目されたい、評価されたい、尊敬されたい」と云う、己の奥底に長年溜めてきた夢が実現したような錯覚をポールは起こしてしまうのだ。
「夢に出るようになってから、人生が変わった!」と叫ぶポール。
実際には、ポール自身に魅力があるワケでもなく、何の意味も無いのに、チョコチョコ夢に出てくるのが面白いという物珍しさでバズっているだけなのに…。
その後も、醒めない白日夢に取り憑かれたかのように、「夢に出てくるポールを商売に使えば大儲けできる!」という広告代理店の浅慮な企みに引っかかったポールは、ミーティングでひと悶着あった後、広告代理店のアシスタント、モリー(ディラン・ゲルーラ)に自宅へと誘われ、彼女が見た“ポールと激しいエッチをする夢”を実際に再現しようとする。
しかし現実はやっぱり、そう上手くいかない。
モリーの夢の中ではポールがエッチをリードするはずなのに、ビビって勃たないのか、モジモジしっぱなしで、終いにはモリーにズボンのベルトを外してもらう時に、なんとポールは屁をかましてしまう!!
「ごめん、緊張して…」とバツの悪そうな顔で謝罪するが、もう一発、放屁!!
泣き声を上げて、モリーの部屋を飛び出していくポール。
“やればデキる男だ”と思っていた、ポールの根拠のない自信・幻想=夢が弾け飛んでいく…。
そして、とある出来事をを契機に、ポールの人生はまさに“悪夢のシナリオ”を綴ることになる。
自分のことなど誰も愛していないし、自分の将来がどうなっても知ったこっちゃないと思われていることに、ようやく気づいたポールは、「自分は何の価値も無い人間なんだ!」と、そんな嫉妬心と恨み節を、他人の夢へと垂れ流してていく。
人々はポールに殺されたり、レイプされる夢を見出し始めるのだ。
さらに、これまでの夢では比較的無害だったポールが、突然様変わりして悪行を働くことになったことで、キャンセル・カルチャー(社会的抹殺)の餌食にされてしまう。
夢の中でのポールの悪行三昧がトラウマになった学生たちは、ポールのゼミを欠席して、授業は当分中止。
校内に駐車していたポールの車のドアには、「LOSER(最低野郎!)」とスプレーで落書きされ、それにブチ切れたポールに、学生たちは「くたばれ!」「辞めちまえ!」と罵声を浴びせかける。
近所のファミレスでも、普通にランチしているだけで、店員から「お客様から気分が悪くなるという苦情があって、お帰りになって頂きたいのですが…」と言われてしまう始末。
この点だけを鑑みれば、不快感からの排除が正当化される本作「ドリーム・シナリオ」は、まさに現代の恐怖だ。
劇中で描かれるポールの境遇は、現実のメディアと符合している。
何故なら、SNS・TV・週刊誌といったメディアが勝手に垂れ流したイメージのせいで、人生を狂わされてしまった人は決して少なくないからだ。
壮大な言いがかりによって、被害者が加害者のようにキャンセルされる展開は、観ていて胃が捩れるような辛さを感じてしまった…。
(但し…監督&脚本を担ったクリストファー・ボルグリは、現代社会におけるSNSの拡散や、フェイク・ニュースと云った問題を、ただ単にブラックに笑わせようとしているだけかも知れないが…)
しかし、あくまでも個人的ながら、本作で最も重要なポイントと思えるのは、最愛の妻ジャネットが夫であるポールの夢を見ないことだろう。
ポールが夢に出てこないジャネットは「私が見たい夢は、昔ハロウィンでトーキング・ヘッズの仮装したでしょ?何だか妙にセクシーだったんで、あのスーツを着て、私を窮地から救って欲しいの(笑)」と、冗談なのか本気なのかわからないことを言うのだが、おそらく、今のポールがもどかしくて、何の魅力も感じていないからだろう。
ポールはただ、「それが君の妄想なのかい?肩幅の広いふざけたスーツでいいの?」と言い返すしかない。
この台詞にある“肩幅の広いふざけたスーツ”は、音楽映画「ストップ・メイキング・センス(84年)」で、トーキング・ヘッズのリーダー兼ボーカルを務めるデヴィッド・バーンがステージで着ていた衣装のことを指しているのだが、タイトル「Stop Making Sense」を和訳すると「意味づけをやめろ!」「理屈で考えるな!」という意味になり、つまり、ジャネットは「やることなすこと全てに、価値を見出したり評価を期待するのはやめなさい!」と、夫ポールに遠回しに戒告しているワケだ。
残念ながら、ジャネットの真意を今のポールは理解することが出来ない。
長年、社会の「その他大勢」として生きてきてしまったことへの後悔・溜めてきた不満が、ポールの承認欲求を肥大化させてしまったのかも知れないし、中年の危機・老いていくことへの焦燥が、“名を残したい”という欲望に歯止めを効かせられなくなった可能性もある。
だが、ポールが悲劇的なのは、かつて自分を受け入れてくれたジャネットが今、自分の夢を見てくれないことだ。
つまり、本作が伝えたかったテーマ、それは「自分を肯定してくれる人、自分を承認してくれる人は、自分が愛する人だけでイイんだ」と云うこと…。
世界中に知られる有名人になるよりも、愛する人に自分を分かってもらうことの方が幸せだと云う、純粋な愛の物語だと言えるだろう。
ネタバレで大変恐縮だが…
劇中、ポールの最後の言葉、「I Wish This Was Real(これが現実なら良かった…)」は、演じたニコラス・ケイジの老害教授の真の迫り方と合わせて、ニコラス・ケイジとほぼ同い年である自分としては身につまされること、しきりだった…(涙)
最後に…
本作「ドリーム・シナリオ」のメガホンを取ったクリストファー・ボルグリについて、ホンの少しだけ書かせて頂きたい。
正直、彼のバイオグラフィーに関しては何の知識も無いのだが、たまたま前作「シック・オブ・マイセルフ(23年)」を観てしまったおかげで、本作の鑑賞中、「またバズりたいヤツの話かよ〜」と辟易してしまうことが度々あった…(笑)。
「シック・オブ〜」は、“バズりたい!みんなに同情されたい!”というアーティスト・ワナビーの女の子が、副作用を知りながらも違法薬物に手を出し、顔や体に炎症を発症させて、周りからの歓心を買おうとするハナシで、“こうありたい自分”と“現実の自分”とのギャップに耐えきれず、自らの意思で重篤な状態へと陥っていく展開は、本作でのポールの行動、その合わせ鏡のように思えてしまう。
さらに余計なことを書くと、「シック・オブ・マイセルフ」はその年に自分が観た「トホホ映画、共感できない映画ベスト5」に入る印象だったので、本作「ドリーム・シナリオ」にもあまり期待しないで劇場に足を運んだのだが、観終わった後は、かなりの充足感を得たのが、正直なところ…。
物語の紡ぎ方、画作りは言うまでもなく、会話中での画インサートが入る編集のタイミングは絶妙だし、中でもインパクトがあったのは、クリストファー・ボルグリの選曲のセンスだ。
例えば…他人の夢に出て来たおかげで人気者になったポールが、5年ぶりに友人リチャード(ディラン・ベイカー)のホームパーティーに招待されるものの、暴力オヤジに突然チェンジしたことでキャンセル者続出となり、出席したのはポールとジャネットの二人だけになってしまうシーン。
リチャードの妻カルロッタ(クリスタ・ブリッジス)も、ポールに背後から絞め殺される夢を見ており、「もう限界!!」と言ってディナーを途中退席するのだが、そのディナーの席で流れているのが、バッハの「ゴルトベルク変奏曲BWV 988-アリア(1741年)」。
実はこの曲、不眠症に悩んでいたカイザーリンク伯爵が「眠れない夜に、少しでも気を晴らしてくれるような音楽を作ってほしい」とバッハに頼んで作ってもらったもので、要は旦那のリチャードが、不眠症の元凶であるポールを目の前にして、グッと堪えて我慢している妻カルロッタの心を癒すために、この曲をかけていたのだ。
次に、生徒たちが怖がるので「出禁!」とキツく厳命されたにも拘らず、ポールが娘ソフィーの出演する学芸会を見にくるシーン。
舞台に目を移すと、青いドレスを纏った女の子がいたり、キノコの書き割りがあるので、演目は「不思議の国のアリス」なのだろう…ソフィーは白ウサギの衣装を着ている。
そこに微かに聴こえてくるのが、ディズニー・アニメ「不思議の国のアリス(51年)」の挿入歌「All in the Golden Afternoon」。
「♪〜6月の花園/花たちの歌が響く/きらめく昼下がり〜♪」の歌詞で分かるように、花たちが奏でる楽しい合唱曲なのだが、アリスのことを花ではなく雑草だと認識した途端、花たちは手のひらを返してアリスを追い出してしまうヒドいエピソードになっていて、これは本作に於いて、住民たちがポールに冷たい仕打ちをする展開と瓜二つ。
観劇に訪れていたポールも、劇中のアリスと同様に、現実が夢なのか、夢が現実なのか、ドンドン分からなくなり、最後は虚無状態に陥ってしまうのだ…。
そしてエンドクレジットで聴こえてくる、トーキング・ヘッズの「City of Dreams(86年)」
「♪〜ボクたちは夢の街に住んでいる/炎に包まれたハイウェイをドライブしているんだ/でも目を覚ますと それが無くなっていることに気づく/忘れないでくれ ボクたちが大好きだった街のことを〜♪」
この曲の歌詞を最初から最後までちゃんと聴くと、「今、自分たちが立っている場所で、過去にインディアンの虐殺や、街を炎で焼き尽くす大戦があった事実を、みんなは忘れてしまったのではないか?そしてそれら悲劇は、個人個人の勝手な思い込みとか、私利私欲の蓄積によって生まれたものではないか?」と云う、作者デヴィッド・バーンの問いかけ&メッセージが込められているのが分かる。
平穏な生活を送ろうと保守的になるあまり、ちょっと意に反したことが起こると攻撃的になる。
そして度が過ぎたエゴイズムによって、踏み躙られた他者がいたことも、目を覚ました後、見た夢を忘れてしまうかのように、時が経てば風化してしまう。
この曲は先述した、ポールの妻ジャネットの妄想とリンクしているだけではなく、本作「ドリーム・シナリオ」を貫くテーマとまさに同じで、最後に残る寂しさが愛おしくも切なすぎるのである…。
ニコラスおじさんとトニ・コレットさんは私が顔芸だけでお腹いっぱいになってしまう稀有な役者さんです。
Ideon さん コメント頂き ありがとうございます☺️ 趣旨がずれてしまうかも知れませんが ハリウッド・スターの“顔芸”といわれると…💦 ニコラス・ケイジは当然のこと 「ワイルド・アット・ハート(90年)」での グロい歯茎を見せながら よだれを垂らしてグフェフェフェと笑う ウィレム・デフォーとか… 「ディアボロス/悪魔の扉(97年)」での 血走った目で 神様を猛烈にこき下ろす 素晴らしい演説を聞かせる アル・パチーノを どうしてすぐにも思い出してしまうんですよね…💣🙇
いいねありがとうございます^ ^ 私事ですが、映画サントラを聴くのが大好きです。 シゲーニョさんの深掘り解説が素晴らしく、視聴後の楽しみが更に増えそうです。 他のレビューも覗かせて頂きます///
SNRI さん たくさんのいいね!&フォロー頂き ありがとうございます☺️ 自分もフォローもさせて頂きました! 今後も楽しくレビューを拝見しますので どうぞよろしくお願いします✨🙇
コメントでラストの解説ありがとうございました。やっぱりそうですよね〜!切ないです
かな さん ↓