想像の作品情報・感想・評価

「想像」に投稿された感想・評価

BS2011

BS2011の感想・評価

3.6
演劇の冒頭部分にだけ絞った映画だった!
その分、役者の演技を何回も観ていると演じることに少しだけ触れられた気がする
どらみ

どらみの感想・評価

4.0
2018年2月17日に愛知県芸術劇場小ホールで観た芝居
”三月の5日間”の出来上がる過程のドキュメンタリー

”三月の5日間”を観た時の感想ツイート
大好きです
イラク戦争とラブホの5日間
見ないようにしていてもリンクする自分の人生の5日間
挙動不審な視線、独特の無表情な癖のある喋り方、不思議な動き
日常のすぐ側にある不安定な世界

そして本作
世界でも注目され、演劇界の分岐点にもなった”三月の5日間”
(チェルフィッチュの岡田さんはドライブ・マイ・カーの劇中劇を演出している)
その作品が出来上がる過程を
だるそうに登場して
友達に喋るように語り始める
芝居の冒頭の稽古、本番、ダメ出しの定点観測を重ね
”想像”によって豊かに変化してゆく役者の演技を観ながら
自分自身の”想像”と向き合う
光や音楽やスターに頼らない潔い芝居(岡田さんの言葉)
役者の身体と想像で作り上げる舞台は
とてもスリリングで面白かった

監督のチェルフィッチュの芝居にも参加している太田信吾
監督作”わたしたちに許された特別な時間の終わり”はシネマテークで
岡田さん作演出の出演舞台”未練の幽霊と怪物”は今年、豊橋PLATで観た

実際に岡田さんの演出を受けた太田監督だからこその作品だと思った

チェルフィッチュ、又愛知で公演して欲しい
語り過ぎず観客の想像にゆだねる
役者も観客も信じる演出が好き
普段なかなか見ることのできない演出の現場を見ることができたのは、演劇好きとして嬉しい。
岡田さんが俳優に出す指示の言葉が、僕には正直言って理解することがむずかい。
それでも、それを経るごとに俳優の演技がどんどん変わっていくのが面白い。
それとは別に、岡田さんの俳優に対する声の掛け方、モチベーションの上げ方はとてもいいなぁ、と思った。
『三月の5日間』の戯曲を手に入れて朗読してみたくなるなぁ。

「これから、「三月の5日間ってのをやろうと思うんですけどぉー……
015

015の感想・評価

3.5
あんまり劇団の裏側っていうのを見たことがなかったんですが、こんなえっらいふわっとした感じで指示が来るんですね(白目)。
演出家の岡田氏の指示があまりに抽象的過ぎて、観てるこっちはさっぱりでしたが、役者の方はさすがに慣れていらっしゃるらしく、
「〇〇ってことなんですね」と的確に受け取られ、どんどん演技に昇華させていく。
役者さんって、演出家の言葉の翻訳も担ってるんだなと、初めて気付いた次第です。

内容。
劇団チェルフィッチュによる『三月の5日間』という劇の練習稽古にスポットを当てたもの。
主人公役の女性が劇の台本を渡された後~実際に舞台で演じるまでの練習風景を切り取り、執拗なまでに(すみません、そういう言い方しか思い当たらんかった)追いかけた作品。
当初、ほとんど棒読みに近い状態だった主人公役の女性が、岡田氏のアドバイスや自分のイマジネーションを通して徐々に役柄の肉付けをしていく様を、時間の経過と共に追うことが出来る。
ある意味、役者の【成長記録】。

いや、本当に凄いです。
最終的に舞台上で完成された役を目の当たりに出来るんですが、予告編とかで見かける棒読み感は全然無いです。本当にライブに行って即〇ンしちゃうような、軽い感じの若者がそこにはいます。

残念だったのが、平日の夜間(しかも五輪開催中の期間)に行ったためか、お客さんが全然いなかったんですよね。
あ、作品自体に関して特に不服に思うことはないです。この監督の前作の『解放区』はもっと場面転換というか、起承転結がありましたが、こんな作品も撮られるんだなと驚いたくらいで。

もっとお客さんが増えますように。
槙

槙の感想・評価

-
わたしは舞台演劇は片手からちょっとはみ出るくらいしか見たことないのだけど、草野なつか「王国(あるいはその家について)」然り、〈役〉が俳優の身体にいわばインストールされていく様を見るのが、極端な話、完成された(と想定される)本番を見るよりも好きなんだと自覚する。チェルフィッシュの「三月の5日間」の稽古風景、中でも冒頭の板橋優里の長いセリフの場面だけ本読みの段階から何度も何度も見せられて、彼女がどのような〈男優1〉を獲得してゆくのかを映す。
岡田利規を慕う若者たちが彼の提唱する“想像”を性善説的に受け入れていかに芝居で体現するか、奮闘する様のその従順さが時に危うくも見えて、そんなスリリングさも含めておもしろかった。
西

西の感想・評価

4.0
すごい、すごかった。初めにイラク戦争の爆撃の映像があって、終盤にもまたその映像があるんだけど、初めは他人事だった映像が終盤に見た時にはすごくこわかった。巻き込まれたからだ!
「想像すること」と「観客を巻き込むこと」とを両立しようとしてること、「出そうと思って出す」ことと「出そうとはしてないけど漏れてる」ことは違って後者の方がいいこと。分かるけど実感はできないことをインストールできて、なんかすごい行ってよかったな。
「今情景をちゃんと立ち上げてた?」
「はい」
「そっか、でも僕にはそう見えなかった」

数え切れないほどこのやり取りをした。
演劇をかじって分かったことの1つとして、俳優が持つ「想像」を観客へ共有しなければ成り立たないということだった。「私は今2003年の、六本木の風景を立ち上げています、わかりますか?」
当たり前のことのようだけど、それが本当になかなか出来なかった。情景を丁寧に立ち上げられていない時、無意識でも予め立ち上げようとしてしまった時もなぜか演出家には全部見事にバレる。(予め立ち上げるとはつまり、左側にあのお店があって、目の前にはコレがあって…と演技をする前から台詞の中に出てくる事物を配置してしまうことを指す。)
そして自分の中で立ち上げていても、立ち上げていないように見えると言われる。情景であれ心理描写であれ、どんな想像をしても観客へ共有がなされていないと全く意味がない。それも客席全体へ、満遍なく。
強い演出を付けないタイプの演出家はみんな同じことを言うのだろうか。理想はあれど演出家側も明確な答えを持っていることは少なく、演者は演出家が出す僅かなヒントを元にただひたすらに自分と、自分の役と向き合い続けるしかない。少なくとも私の場合はそうだった。カメラには捉えられていないけど、岡田利規が「ぼくもよくわかってないんだけど」と発言するのを見るにきっと板橋さんもそうだったはずだ。
その向き合う作業には終わりも正解もなかったし、公演終了まで悩み続けた。蕁麻疹が出るほど、人生であんなに自分と対峙した期間は演劇以外だと就活くらいだろう。就活の方がその場凌ぎの嘘をついてしまえるので気楽なくらいだ。その悩み続けた当時の記録が日記として残っている。(さながら何年も前のような書き方をしたが全然今年の話)


2/14
「切実さが足りない」そう言われたのは何回目だろうか。12月末から稽古を始めて、その言葉を言われ続けてきた。
・台詞ではなくト書きをたっぷりと
・目線から逃げない
・遠くの観客にも届くように投げかける
・滑ることを恐れない
・フラフラしない
・話を聞いて!と前のめりな姿勢で
・情景を丁寧に立ち上げる
・常に観客を意識する、舞台上では決して意識を切らない

向いてないのかなと思ってしまう。観劇回数がそもそも片手で足り得てしまうほど少ないからだろうか。それとも私は切実さ、なんてものを元々持ち合わせてないんじゃないか。他人が書いた脚本で、他人の人生や感情を表現すること自体嘘っぱちなんだ。ていうか、私が素人で最初から下手だからどんな演技をしようとも▲▲さんの目には下手に映ってるんじゃないか、そんな気さえしてしまう。他人の言葉を自分の言葉として届けるってなんだろう。いや、でも確かにこの演目において私はまだ切なる思いを持てていない気がする。
本番までちょうどあと稽古は10回。「そんなに言うなら、もういいです、やめます」なんて言ってしまえたら。逃げることは簡単で、もう直向きになるしかない、とは分かっていてもそんな気にも少しなっている自分に嫌気がさす。
他人と比べることも無意味、正解を探すことも無意味。他人と比べてばかりいて、できるだけ誤らないように滑らないように生きてきた自分に果たせるのだろうか。
本番まであと一ヶ月を切った。


2/24
この前の稽古でいよいよ泣いてしまったわけだけど、今日改めて▲▲さんと話してやっと光が見えた気がする。実行し切れるかは別として、と書きかけたが引き受けたからには実行し切るしかない。思い返すと今までの演技に対するモチベはかなり独りよがりだった。私の中での演技は「映画的演技」であったし、「いかに役を自分に近づけるか」が軸で人に何かを伝える、その先の何かしらの感情を抱かせるという意識がすっぽり抜けていた。自分の中の正しさのみを突き詰めていけばある意味純度は高くなるけど、そんなのわざわざ人前で演らずに一人で、部屋の中だけで完結させればいいわけで。お金と時間を使って期待を持って観に来てくれる人たちに対しての責任。同じ演者や▲▲さんに対する責任。演劇経験者は「お客さんの反応を感じて舞台を作り上げていく」ことにモチベを感じるとよく言うけれど、私は人前で演技をしたことがないのでその感覚はわからない。とりあえず今は責任を負うことをモチベにやるのが一番良さそうだ。猫屋敷先生のマインドでやるしかないようです。


3/6
ムカつくーーー!!!!!マジで演劇自体が嫌いになりそう!それくらいボロクソに言われてる!!!!演出家が言語化すらできないものを直しようがない!!!!!のきもち!
マジ稽古泣きすぎてる。私しかボロクソに言われてない。でも今日の帰りに、■■■くんや●●さんに▲▲さんが言ってるような、私だけ浮いてる感じはしないし、▲▲さんの話は話半分に聞いた方がいい、って言われてちょっとだけ救われた。まあ慰めてくれただけなのかもしれんけど。でも▲▲さんに認められること、突っ込まれないようにすることをゴールにしてしまうとそれこそ▲▲さんが求めてる演技とは程遠くなるし自分で自分の落とし所を見つけていくしかない。
明日も明後日ももうずっと稽古。ちなみに来週水曜日には査定面談があるのにその資料さえまだ作れてない。こんな四面楚歌?みたいな状況中々ない。
あーーでも仕事はいいよな、なんだかんだ忙しいの好きだし、正解はなくても最適解に近いものがあるし、やればやるだけ評価してもらえるんだから。エンタメで食ってる人たちほんとすごい。
とにかく私のシーンで寝させるようなことだけは起こさない気合い気合い気合い気合い目線から、客から逃げるな、ちゃんと振る、情景描写立ち上げながらもちゃんと客に振る!!!!!!!おれの話聞いてるかー?!!ってちゃんと振る!!!!!でも友達になりすぎないように!!!!然るべき距離と遠慮を持て!!!!!あーーーーーーーーーー
演技が下手とかそういうのじゃなく、一人でやっているように見えるらしいです。客を無視してるような感じらしいです。伝えるってなんだ?人前でやる意味ってなんだ?舞台わからんわ


3/7
昨日の稽古から、だいぶ良くなってきました………やはり「見る」ことが足りなかったらしい。「見る」ことが出来るようになってくると、他の俳優の演技がさらに面白く感じられる。これは新たな発見だ!
しかし、「見る」ことも「見られる」ことも本当に体力を使う。
今日の稽古の帰り、というかこの日記を書く10分ほど前の話だが、■■■くんと話せて楽しかった。■■■くんは普段話してる時ローに見えるけど、演技をしている時の彼はすごい。なんというか、自由だ。こんなに大きい声出せるんだ!とも思うし、何より演技自体を楽しんでるのが伝わる。稽古毎にアウトプットの仕方を変えてくる。彼の▲▲さん作品への愛故もあるだろうけど、すごく見てて楽しい。演劇は一回一回その時々によって違うからこそ面白いと言うが、一公演の期間の中で何度も同じ演目を観に行くなんてハードルが高い。でも稽古を通じて「そういうことか」とわかってしまった。
三月の5日間を自分のものにするまで。
もっと掘り下げる想像が欲しい。主点が違う。
kyon

kyonの感想・評価

-

役者を目指しているので
勉強のつもりで観たが

あまり参考にならなかった

あと単純に音が不快

元々上映する予定があったかないのか知らないがピンマイク付けとけよ、って思った
演劇カンパニー「チェルフィッチュ」の作品創作を追ったドキュメンタリー。

ひたすら繰り返されるセリフと演出。
ある意味、演劇的映画。
(演劇の世界を知らない人が観たら、どんな感想を抱くだろうか?)

観る者の“想像”力を試す意欲作と解釈した。
きっと作り手は、賛否両論を期待しているのだろう。
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