移動する記憶装置展の作品情報・感想・評価(ネタバレなし)

『移動する記憶装置展』に投稿された感想・評価

na
1.6

谷繁が「こういうインスタレーション」、またそれで食い繋ぐことの前に尖ろうとして尖を見せた時期とか、それでいて「自分はここでは一等品になれない」と自覚した朝があってのこれなのかな、と思ったらそこがめっ…

>>続きを読む
ぱ
-

これはドキュメンタリーではない。人の話を聞くにも、そこにマイクしかないと、音は拾えど、この風景は残らないのだなと思わされる。棒が1本あるだけで喪失が強調される。そもそも「昔はここにこんな店があって」…

>>続きを読む

横浜市上飯田の団地にやってきたアーティストの谷繁は、そこで生活する住人たちの言葉(記憶)を拾い集め、空き店舗をギャラリースペースとして展覧会を企画する。制作期間中にギャラリーとマンションの部屋を提供…

>>続きを読む
商店街、団地の記憶。どんな場所であれ生活史には価値があるなと感じる。
T.M
3.6

記憶を記録して、記録を録画する。
小さな記憶が集まり、団地になる。

他人として他人を語る事で自分のフィルターを通すから、自分に何かが残る。
他人と自分の境界線の曖昧さが面白い!

場所に宿る記憶っ…

>>続きを読む
記憶を記録して
記録を録画して
その誰かの記憶が
自分のフィルターを通して出る時
自分の中にも残るものがある か
3.8
いかに劇的なるものを排してフィクションたりえるかについての挑戦

『上飯田の話』に次ぐ上飯田ムービー。そろそろ上飯田が身近な存在にすら見えてきたところすらある。とにかく切り返さないので、手前でウロウロする役者3人より、場所が主体性をもって浮かび上がってくる感覚すら…

>>続きを読む
4.0

人が住む、小さな記憶が集まる、そして大きな「団地」になる。

「自分」として、他人を語る。そのあとに、自分に残るもの。他人/自分の境界線は、曖昧になる。フィクションをドキュメンタリーとしているのか…

>>続きを読む

ここまで日常を見ているようだと、映画との境目が曖昧な感覚あって、例えばハリウッドの大作見てる時って明らかに自分の存在が消えて鷹の目視点になったり、感情を登場人物に重ねたり、映画の中に自分はいないもの…

>>続きを読む

あなたにおすすめの記事