波のした、土のうえの作品情報・感想・評価

波のした、土のうえ2014年製作の映画)

上映日:2017年05月20日

製作国:

上映時間:67分

4.0

「波のした、土のうえ」に投稿された感想・評価

m

mの感想・評価

5.0
すべて流された荒涼たる土地に重なるオフボイスとなればデュラスの映画を想起してしまうが、描かれているのは表現という行為をジャンル化された特権的な芸術あるいはアートから取り戻すかのような無為の生、営みであった。その人でなければ口にすることのできない出来事の回想や些細なフレーズが、外部の人間によって再構築されることで世界を一周して帰ってきたような感じすら受けて胸がきつかった。「復興」をどう捉えるのかは当然単純に図式化できず、津波という非人間的なものと人間的価値の中で生きることのせめぎ合い(対立ではなく変動する関係のような)で考えていくことなのでしょう。わけ知り顔で傑作だなんて言って価値で測るのが恥ずかしいほど真摯な映画でした。
yuka

yukaの感想・評価

3.6
展覧会のインスタレーションとしてかかっている分にはふーんと思うだろうけど、映画館のスクリーンでかかっていると物足りない、そんな感じの作品
小一郎

小一郎の感想・評価

4.0
『息の跡』関連作品として公開された本作。公式ウェブのあらすじは次の通り。

<津波をうけた沿岸の町「陸前高田」で出会った人びとの言葉と風景の3年8ヶ月の記録から物語を起こすように構成された3編の映像。この町に暮らしていた人びとと小森はるか+瀬尾夏美の協同によって制作された。まず、被写体となる住民の方に繰り返しインタビューをしたものを瀬尾が物語に起こす。それをもう一度ご本人にお返しし、ご本人が訂正や調整、書き換えを行いながら、朗読をする。書き直しと朗読を繰り返した声と、この町の風景を重ねるように小森が映像を編んでいく。>

被災地では今、「盛り土」と呼ばれる復興事業が進んでいる。被災した土地に、文字通り土を盛り、そこに町を再建しようということのようだ。しかし、盛り土の下敷きとなる土地には、人の思いが残っている。

人が亡くなると葬式をするのは、死者のためではない。生き残っている人が、死者に対する自分の思いに区切りをつけ、再び歩み出すためだと思う。

被災により瀕死の重傷を負った土地は、盛り土により消えてなくなることで、死んでしまった。生き残った人は、大切な人を亡くしたのと同じような喪失感を抱く。町に土地の権利を渡すということはそういうことだと、被災者の一人は盛り土を見て知る。

復興の裏に隠れたこうした深い悲しみを自分は初めて知る。人間と同じように、土地にも葬式が必要なのかもしれない。

この作品は土地に対する葬式の役割を担っているのかもしれない。そして、映画で多くの人に伝えることで、被災者の悲しみを和らげているのかもしれない。

喜びの気持ちを、誰が一緒に喜んでくれれば、喜びは増してくる。悲しい気持ちを、誰が一緒に悲しんでくれれば、悲しみは薄れてくる。

一方、人の思いを聞く側は、喜びを聞けば一緒に喜びたくなる。悲しみを聞けば一緒に悲しくなり、悲しみをなくすために、助けたくなる。

そんなことを考えた作品。
Osamu

Osamuの感想・評価

4.0
東日本大震災で被災した地域の「復興工事」って何を指すかご存知ですか?僕は、津波で破壊された港や道路などを修復する工事全般のことだと思っていました。でも今、現地では、津波に呑まれにくい高さに土地をかさ上げする工事のことを「復興工事」と呼んでいるそうです。

家や学校、職場など暮らしの場となっていた建物を津波に奪われた人びとが、わずかに残ったその場所の痕跡に記憶を思い起こしますが、その痕跡さえも「復興工事」が奪います。「復興工事」が悪ではありませんが、それにより当事者が二度目の喪失を感じているのも確かのようです。

記憶は場所にリンクしている。場所が記憶している、と言ってもいいのかもしれない。

記憶している場所がなくなってしまったら、その記憶はどこに行ってしまうのだろう。その記憶はいつか思い出せなくなってしまうのだろうか。

津波に流されてしまった、自分たちの町があったところに、花を植える。自分たちがそこで生きていたことを忘れないように。でも、花を植えても、「復興工事」で、近いうちにその場所もなくなってしまう。それが分かっていて、そこで花を育てるのは何故だろう。

論理的な説明が出来ない、こんな想いを背負って生きていく人たちを観る映画。

映像クリエイター小森はるかさんと、絵と文章のクリエイター瀬尾夏実さんのコンビの作品です。

陸前高田の被災者の話を聴き、それに想像も加えて瀬尾さんが文章にする。その文章を話し手に戻して、しっくりくる言葉に揃えていく。それを話し手が朗読する。その朗読に小森さんが陸前高田の映像を重ねていく。

そんなふうに作られています。

前述したような論理的説明が出来ないモヤモヤとしたものを投げかけられます。それを理解しようと踏ん張ることが大切だよ、と言われている気がしました。

小森さんと瀬尾さんは、震災後に岩手に移住して作品を作っています。この作品も、現地で生活をしているからこそ作れるものだと思います。

「3.11映画祭」にて。

上映される機会は少ないかもしれませんが、チャンスがあれば是非。