ドキュメンタリーからフィクションへ、またはその逆へ移行する際の瞬間的な余白がポエジーであり、朗読は映画のなかで詩を再配置する。こないだの『情熱大陸』の金原ひとみの言葉が頭をよぎる場面もあり、このタイ…
>>続きを読むドキュメンタリーをあまり観ないので、正直に言えば評価が難しい。
ラウラ・シタレラ監督の「トレンケ・ラウケンPart 1&2」を先日観て、その流れでの鑑賞なのだが、僕は文学の中でも詩というジャンルを特…
思索の過程。生きたアーカイブ。手を加えられない状態となった作品。終わった季節についての歌。不在の後に残る解釈。詩は何のためにあるか、詩は撮れるか、映画は何のためにあるか、なぜ私は選ばれた、なぜ私たち…
>>続きを読む死んだ詩人が遺したものは。若き詩人メルセデスとラウラが探り向き合う詩と映画とが立ち上がる瞬間の記録。遺品の中から出てきた本に纏わるエピソードがそのまま「トレンケ・ラウケン」に接続されて行くスリル。若…
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