チャンドラーは「強くなくては生きてはいけない、優しくなければ生きる資格がない。」と書いたけれど、それではやはり、復讐のためだけにこの世に産み落とされた女・雪(梶芽衣子)には「生きる資格がな」かったのだろうか。
父母の仇である四人を捜し出して斬る。獄中で生まれ、その使命だけを胸に20年間鍛えられ育った《修羅の子》雪が、一人ずつと相まみえるThis is 復讐劇。
映画の舞台は明治七年から始まるわけだけれど、同六年には政府が敵討禁止令を出しているから、雪は開かれゆく時代からも見棄てられたアウトローといえる。目的遂行のためにただ突き進むその姿は、ちょうどチャンドラーの描いたハードボイルド小説のキャラにも重なるところだ。
とはいえ、映画全体の内容としてはハードボイルド…でもない。どっちかっていえば、おかんがスクランブルエッグと言い張る炒り卵にケチャップぶっかけた感じである。
なにせどこを斬ろうとも流血は噴水の如く景気が良く、蛇の目傘からは仕込み刀が出て(いったいどれほどの強度があるというのか)(でも胴を両断)、凌辱シーンで米が降り、修行と称して少女を樽に入れて転がす。
これは荒唐がごきげんに無稽になってきやがったぞ。檸檬堂なんてもったいねえ、ワンカップ持ってきやがれ。
それでも今作を(たとえ『KILL BILL』を持ち出さずとも※1)「なんかすごいかも」と言わしめてしまうのには主に2つの理由がある、と思う。
ひとつはやはり、主演・梶芽衣子の《目》だ。
わたしは以前、彼女が前年に主演した『女囚701号 さそり』について「徹頭徹尾《視線》の映画だ」と書いた(※2)のだけれど、今作にしてなおそれは研ぎ澄まされている。
雪は常に死化粧のような顔色で、表情も凍り付いている。しかしその分、視線は眼光だけで牛頭馬頭の獄卒をキャンキャン追い返す勢いで鋭く、あまつさえ最後には哀しみと安らぎが入り混じったような、でも表現の方法を知らずに生きてきてしまったような、そんな表情すら見せてくれるのだ。
雪以外の登場人物たちもまた、「まるで劇画!」な歌舞伎演技(まあほんとに劇画原作だから仕方ないんだけれど)で絞り尽くすような顔や目線を繰り出す(※3)。特に雪の母親(赤座美代子)の、仇どもを下から抉り上げるような怨みの視線は、雪への遺伝と呪いの在り処を感じさせてアツイ。
そしてもうひとつは、何はなくとも始まりと終わりが最高であること。たとえ中はおかんの炒り卵でも、挟んであるのが高級食パンなのでなんとかインスタ映えてしまうのである。(※4)
実際、この2場面だけ芸術偏差値が異次元だ。
始まりは獄中で雪が産まれる場面、そして最後は本懐を遂げた雪がさまよう場面。いずれも白雪が降っていて、白と赤が鮮烈なコントラストで突き刺す。かつ、始まりと終わり、生と死の対比。この紅白は全編に渡って映画のテーマカラーとなり続け、幸福な完走を果たす。あのテーマ曲は完璧なタイミングで流れ出し、拍手しちゃうしなぜかちょっと泣いちゃう。
「強くなくては生きてはいけない、優しくなければ生きる資格がない。」
そうか、ではもう一度この映画にあてはめるならたぶん、
「ケレン味がなくては観てはいられない、美しくなければ観る意味がない。」
かもね。
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英語タイトルは『Lady Snowblood』。いやかっこよすぎん?
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※1:とはいえどうしたって、タランティーノが今作を観たときの反応は想像してしまうところ。『KILL BILL』のアレもソレもドレもコレだったんだ!ていう種明かし的な感動もあるし。(サンプリングっていうかほぼトレース)
※2:https://filmarks.com/movies/8446/reviews/164805200
※3:仇のうちの一人、北浜おこの(中原早苗)の顔はチョコプラの『悪い顔選手権』永年優勝候補。こいつが不動明王に祈ってたシーン、あれ何。
※4:ただ、その炒り卵も大量のケチャップと味の素によりなんだかんだウマい。