ノルウェイの森のネタバレレビュー・内容・結末

「ノルウェイの森」に投稿されたネタバレ・内容・結末

酷評されている映画のようですが、わたしは結構好きだな、という映画でした。

まずインサートがめちゃくちゃ好きだった。映画の中で一年の四季をこんなにも丁寧にかつ美しくわかりやすく感じれたのは初めてってぐらいにその季節の空気感を感じた。インサートのみならず、人の肌の美しさで…夏の湿った空気での肌感や冬の乾いた空気での肌感、とても生々しくて美しかった。ワタナベのバイト先のレコード屋の埃を感じる空気感も男子寮のちょっと人間の臭い匂いを感じる空気感も、森の自然の美しく澄んだ空気感も、食堂のいろんな食べ物の匂いが混じった空気感も…美しい画から全て感じれた気がした。

間が独特だけど、心地よいと思ったのだけど、これは監督がフランス育ちで私がフランス映画が好きっていうのがあるのかな…
セリフというよりも間の中で登場人物の心情を感じることが多かったし、多分原作通りに(わたしは原作を読み切れていないけれど)セリフを入れたり、小説の心情描写をセリフを付け加えてセリフに頼っていたら私はつまらなく感じていたと思う。だから実写映画として良い間の表現をしていたのではないかなと思う(原作読み切れてないからわからんけど!!!!)

この映画は愛についてが作品のテーマだと私は思ったのだけれど…そういったインサートや会話の間であったり…っていうのがセリフの臭さを抑えてくれていたと思うし、正直それでも臭さはあるけど、愛を映画で語ろうとしたらその臭さってのは必要なものなのだろうと思う…

あと寝る(セックス)というのが作品の中で愛につながるムーブだったように思うのだけれど、ナオコの療養所にいた女性とワタナベが寝る描写だけが、わたしにはよくわかんなかった、彼女がワタナベと寝ることでどういった愛を(7年前のこととは?)解消したのか…こりは小説をちゃんと最後まで読めばわかるんでつかね…;;;;;;
あと冒頭にあったギリシャ神話の講義のシーンでちらっと教授が話していた”愛するものに愛されないという一方通行の愛の連鎖とそれが生み出す悲劇…”
これって、登場人物のさまざまな愛の一方通行に引っかかってるなあ、、と思った。
亡くなったキズキを未だにひきづってるナオコとナオコのことを愛しているワタナベ(寝てる)
永沢のことが好きなハツミと結婚する気もないし色んな女と寝る永沢(寝てる)
めいっぱいに愛されたいと願うミドリとナオコを愛しているワタナベ…(私はミドリの愛についての考え方とか諸々で1番好き…)(寝てない)
お互い愛し合っていたけれどナオコが濡れなかったから寝ることができなかったナオコとキズキ(キズキが亡くなったのでナオコの愛は一方通行…せつねー…)(寝てない)

ワタナベ、めっちゃヤリチンやん…って感じもするけど、映画の空気感からそういう感じしないし、松山ケンイチのあの誠実そうな人間の雰囲気からヤリチンは感じられなかった…

寝ることが相互の愛ではないけれど、ナオコのなかで愛していたのに愛されていたのに寝れないってい、そういう寝ること(愛)の重さも感じるのに永沢のような真のヤリチンの寝ること(≠愛)や、キズキを引きずっているのにワタナベと寝たナオコの描写も出てくるから、愛やセックスは=で繋がらないという価値観…うぅ…となりまちた…
といいつつ…私も好きじゃない人とセックスできちゃうしすることもあったし、かといって好きなのに上手くいかないことも沢山あったので、胸が痛かったです…

愛するものに愛されないという一方通行の愛の連鎖とそれが生み出す悲劇…ってことですね(???????)

とにかく画は綺麗だし、役者さんもみんな素敵でした。
原作ちゃんと読めばもっと話の理解が深まるのかな、、と思います

(愛についてのことは、やっぱりうまく文章にできないけど、結構くらいました。)
原作が上下巻に分かれているある程度長い小説なので大幅なシーンカットや台詞の編集は分かるのですが、それにしてもこれはないんじゃないでしょうか。意味をなしてないシーンが多い印象でした。
緑の父親を登場させたのにただ登場させて死なせてしまう意味が分かりません。過程をすべて省くなら父親の存在自体描かなくていいんじゃないでしょうか?
レイコさんとの性描写も描かれていますが、肝心のレイコさん自身についてこの映画はなにも語りません。

原作で僕が一番好きな「自分に同情するな。自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」という台詞も、ワタナベがその言葉を思い出し「やれやれ長沢さん、あなたは立派ですよ」という流れがあって生きてくるのに、ただ自分に同情するなの台詞だけ入れられても心に刺さりませんでした。

ラストシーン、原作ではワタナベはレイコさんを上野まで見送りその後、場所は描かれていませんが電話ボックスから緑に連絡をして「あなた、今どこにいるの?」と問われ、「僕は今どこにいるのだ?僕の目にうつるのはいずれえともなく歩きすぎていく無数の人々の姿だけだった。僕はどこでもない場所のまん中から緑を呼びつづけていた。」とあります。このシーンは雑踏の中の電話ボックスで実際に自分がどこにいるのかも分からなくなり、自分の心もどこにあるのかわからなくなり、それでも緑を呼び続けているというシーンだと僕は思います。
それを映画では雑踏の中でもない自宅の下にある公衆電話からただ僕は今どこにいるのだ?と言われても弱いと思います。

原作が好きなだけにとても残念でした。作り直してほしいです。
何故愛が死に結び付くのか、わたしには理解出来ないと思ったと同時に、わたしは人を愛したことがないのだなと。

一瞬の愛で死に至るなんて馬鹿げているけど、終わりが死なら結果的にその人への愛で終わらすことで一時の愛ではなくなるのかとか、そんなループ。

にしても前半は凝縮しすぎ。
日常的なことはほとんどカットで、小説だと、ワタナベの日常や、直子、緑との会話から世界観が伝わるけど、映画だとそこが足りないかな。

あと高良くんがキズキもちょっとイメージ違い。若すぎるような…
この映画を観るくらいなら、その時間を使って村上春樹の原作を読んだ方がいい。あまりにも芝居くさすぎる。村上春樹の作品を映画化する難しさはわかるけれども、こういう映画にするくらいなら「ノルウェイの森」を使って欲しくなかった。
私は結構好きだけどな!

ビートルズのノルウェイの森の曲に
ハマったきっかけ!

緑にハマってくワタナベ
男ってそうなのかって…怖!

でもそうよね
直子は脆いから…。

雪のシーン
白くて綺麗でした。

濡れなかったの
可哀想。
レイコはあんなに暗くなくていいと思った。
レイコは明るい人のはず。
ミドリ役の水原希子は演技に慣れていないのか、ワタナベ役の松山ケンイチと見つめ合うシーンで緊張でたびたび唾を飲み込んでいた。
期待値が低かったけど思った以上に良かった。
古い映画だと思ってたけど水原希子が出てたことに衝撃。
台詞がどれも文学的だったのが印象的。
どんなことがあったとしても過去を見ず前を向き続けることが大切なんだなってことかな。

レビュー見ると低いのが目立つし今度小説読んでみようかな。
村上春樹そんなに得意じゃなくてちゃんと読了したのは風の歌を聴けのみ
そんな中挑戦

松ケンの手が綺麗
そして希子ちゃんのおでこが綺麗だし演技もわたしは好きだった

全員一見穏やかに、強烈な個性を持つ人たちの背負っているもの

2時間の中で所謂“共感”できた部分てどのくらいあっただろーか

避けられない不合理を抱えてもなお強く生きるしかない今までもこれからも誰も彼も
そんなことを思わされましたとさ

シェイクスピア作品の映画化のようでした
原作を読んで、想像しにくかった描写を頭の中で補完するのには良い作品。
村上春樹作品の登場人物が現実だとこれだけ寒くなるというのが実感。
松山ケンイチはすごくそれっぽいし、村上作品の主人公感がプンプン出ている。流石。あと水原希子も絶対緑で間違いない。

しかし他の配役(というか直子)が微妙。
また、原作の醍醐味且つ裏?テーマである「生と死」についての対照的な描写が思ってたよりも上手く描かれていなくて残念。

カットシーンが多いし、2時間でまとめるには無理があったのかも。かと言って前編後編でもしつこそう。つまり実写化すべきではない。。
原作に触れずに観たらどんな感想がでるのかも気になる。
原作が大好きで大好きで、だからこそずっと観るのを躊躇っていた映画版。

かつて原作の世界観に溺れるほど好きだった物語だからこそ評価は厳しくなってしまう。僕的にはもっともっと映像にするべき、肉声を聴かせるべき場面が他にあったのではと思う。例えば礼子さんの過去の話とか。近所で火事が起きてる中緑と語らうシーンだとか。それに色も足りない。もっとセピア色でいいんだ。儚い色あせたセピア色で描いて欲しかった。これは色彩のことを言っているのではなく。取り留めのないフラグメントを集めたみたいで、この物語特有の日常の全ての瞬間が特別な意味を持っているのかも知れないと思わせる実存的な雰囲気が失われてしまっているように思えて残念。そして直子の死のシーン。あれはやめてほしい。音楽の使い方といい、嫌気の指すようなジャパニーズホラー風の色使いと演出。人の生と隣り合わせの死を描いているのに、そうやって仰々しくまるで死が生というものから断絶した何かとてつもなく恐ろしいものかのように描くのはこの原作がまちがってものぞんでいなかったことだろう。
と、ここまで鬱憤を晴らすように殴り書いた訳だが、最後に一言言っておこう。

水原希子の緑は、間違いない。
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