#シークレット・サンシャイン
誰かを赦すという行為は自分が生き続ける為の選択なのか。答えが出ないままただ息をして生きていくしかない現実の重さが胸に刺さる。救われていないままそれでも前へ進む。その僅か…
何かに心頭する事が出来たら幸せだろうなと思っていた。何かを信じるということはその世界観で生きることで、そうなれば無敵になれるだろうから信仰を持っている人は幸せなんだろうなって。ただ、それがいとも容易…
>>続きを読む考えることを放棄して、何かにすべてを委ねれば楽だと思うけど、そこに生きる意味はあるのかなとも思う。苦しくても、悩み惑う時間も大切では。
とはいえ、子どもをあんな形で失えば宗教にすがりたくもなるかな‥…
原作はなんで「虫の話」なんだったっけ?
刑務所に面会に、ってのが出た時点で全力で止めたくなったけど赦しを与えようとか思っちゃったことが傲慢だったともいえるかなと。
初めて行った教会で慟哭する主人公の…
私はいつか吉原に小さな教会を建てて、傷ついた性労働者が安らげる場を提供したいと思っていたのだが、いつしか彼女たちに必要なのは教会なんかではなくて、小動物カフェなんじゃないかと思うようになった。
何…
「神が赦したのだから、君も赦さねばならぬ」なんぞと宣う宗教者たちの偽善は加害者を救済し被害者を更なる絶望の闇夜へと放逐する。「すべての人間は罪人である、それゆえ神の贖いを必要とする」と考えるキリスト…
>>続きを読むキリスト教の教義で「罪人を赦せ」とはいうけど、そんなことを言われても、どんな罪も赦せるだろうか。凶悪犯罪の被害者やその家族だったら。
絶望の中にある人に対し宗教や社会ができることは、その人が立ち直る…