954年、イタリア・ミラノのデジオ教授は世界最高峰のエベレストよりも過酷と言われる世界第2位の高峰K2の初登頂を果たすため、最強のアルピニスト・チームを集結させた。強靭な足腰と精神力を持つ青年ボナッティは、初登頂への強い決意を固め、厳しいトレーニングを積み、最少年ながら12人の遠征隊の一員に選ばれ、K2制覇に向けて登頂を開始する。行く手には様々な困難が待ち受けていたが、クライマー達は闘志と結束力で乗り越えていく。高所でも無類の強さで仲間を支えるボナッティだったが、最終的にデジオが登頂アタックのクライマーに選んだのは、コンパニョ―二だった。しかし、ボナッティに初登頂の偉業を奪われることを危惧したコンパニョーニは、ボナッティと合流する予定地よりも遥かに高い位置にキャンプを設け、妨害を企てる。何も知らず、必死の思いで酸素ボンベを荷揚げしていたボナッティであったが、予定地に到着しても何もなく、疲れ切ったハイポーターとともに必死のビバーグを余儀なくされる。そしてコンパニョ―二と彼に選ばれたラチェデッリは、ボナッティが荷揚げした酸素ボンベで、K2登頂へ出発するのであった・・・。
1953年、エベレストへの登頂は、地球上で偉大なる挑戦として、まだ達成されずにいた。 各国がエベレスト登場を目指していたが、陸軍大佐ジョン・ハント率いるイギリス遠征隊も史上初の快挙を狙って…
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