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ヒトラー、あるいはドイツ映画
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『ヒトラー、あるいはドイツ映画』に投稿された感想・評価

ヒトラー及びナチスをどう表象するかという問題は、ドイツの戦中・戦後世代で多少なりとも先鋭的な問題意識のある表現者ならば必ずぶち当たる問題だと想像する。で、このジーバーベルクの怪作はその1つの極北たる作品だろう。こちらが忘れた頃にアテネ・フランセでたまに上映する本作は未見だったんでこの機会に、と思いつつ、しかし約7時間もあるし雨の中御茶ノ水まで行くのが面倒くせえなと思い始めたが、しかしこれは観とくべき作品だと意を決して(笑)対峙。ヨーロッパ文化史に興味があるなら観なきゃ。

本作、第1部が「聖杯」って題であり、書き割り的に平面的な絵画だか舞台装置に見えるちゃちな背景の中いきなりワーグナーの『パルジファル』前奏曲が流れ始める辺りからいかにもキッチュな雰囲気が立ち込める。だいたい本作は全編これ書き割りやスクリーンプロセスなどの陳腐な背景を前に構成されていて、その陳腐さがヒトラー及びナチスの美学なんだと暗示していよう。同時に、ワーグナーの美学も下手するとナチスのそれと紙一重かつアナクロ二ズムだとほのめかす。

このワーグナーの「舞台神聖祝典劇」(なんちゅういかめしい名前)に登場するのが聖杯=グラール(イエス・キリストが最後の晩餐で用い、その十字架刑の際にキリストの血を受けたとされる杯)であるが、映画の題名にヒトラーと付いていて初っ端からワーグナーを流すことのリスク。本作はとにかくワーグナーだらけであって、『パルジファル』『リエンツィ』『トリスタンとイゾルデ』『ワルキューレ』『ラインの黄金』『神々の黄昏』『ジークフリート牧歌』などが使われまくる。またはハイドンが後に弦楽四重奏曲の『皇帝』に用いた有名なメロディも本作に頻出するが、これはナチス・ドイツ時代の国歌であり、これらは言うまでもなく批評的引用である。あまりにガチで使いまくるから逆にジョークだと分かるのだが、引用の文脈によりキッチュがキッチュをあぶリ出す。意図された紋切型のイメージ表象による表象批判、映画ではゴダールの『新ドイツ零年』、文学ではフローベールの『紋切型辞典』を思い出しもする。

題名のヒトラー、登場するにはするが、それは腹話術の人形よろしくいかにもハリボテ風情であったり、あるいはヒトラー側近の人物たる役者がヒトラーとの関係やらその日常生活の細部を巡る回想をこれでもかと我慢大会みたいに延々と読み上げたり、ヒトラーという「中心」は巧みに回避され続ける。ヒトラーを神格化するわけではなく、かと言って良くも(そのカリスマ性を良い、とするならば)悪くも、であるところの神話性を剥ぎ取るわけでもなく、適度な距離感を持った上で外堀から埋めて行く作戦を取る。

覚えている箇所を逐一挙げていろいろ書く気力も能力もないけれど、本作はこうした陳腐さとキッチュさの意図的に露悪的な趣味に貫かれていて、一見ジーバーベルクの胡散臭さ全開のように見えながらも根底には批評性があることは容易に見てとれる。そこがヴィスコンティとは違う。ヴィスコンティはズッポシはまりたいってのが本音なんじゃないか。ちなみにニュー・ジャーマン・シネマの文脈で言えばヴェルナー・シュレーターに近いものをジーバーベルクに感じるが、しかしシュレーターには政治性は希薄でより個人的かつ耽美的だという気がする。逆に言えばジーバーベルクの方が醒めている。

純粋に映画として観た場合そこまで面白くはないし(まあ面白い/面白くない、でどうこう言うような映画でもない)下手クソですらあるが、ジーバーベルクは映画プロパーではないからこそこういう越境的な作品を撮れたのだろう。文化史的な意義って点で観て損はない。
マーク6000本目。反ナチ芸術映画の最高傑作と称されコッポラ監督やA・ソクーロフ監督に大きな影響を与えた一本。ヒトラーを“比類なき映画監督“と仮定し、彼がどのように演出して何を世界に遺したかをドイツ映画史と重ねて論考するアヴァンギャルド大作。全4部:計410分。監督はニュー・ジャーマンシネマの異端、ハンス=ユルゲン・ジーバーベルク。出演はファスビンダー監督の常連ペーター・カーンなど。

原題「Hitler- ein Film aus Deutschland(ヒトラー=ドイツ生まれの映画)」。

第1部 ヒトラー、ドイツ生まれの映画(91分)
第2部 ドイツの夢 世界の終わりまで(126分)
第3部 冬物語の終わりと進歩の最終勝利(93分)
第4部 われわれ地獄の子ども達は聖杯の時代を思い出す(100分)

キリ番の記念にずっと観たかった大長編を鑑賞。役者が次々に論じていくスタイルなので言葉の情報量が膨大。メモしながら2日間かけて観た。

スクリーンに次々と映し出される絵画・写真と骨董的なセットの組み合わせがシュールかつキッチュで非常に好み。ワグナーなどの交響曲劇伴は常にノイズがかっていてムードは美しく退廃的。その映画的魔術の中でヒトラー論の講義を聴いているような気分になった。

長尺なので観終わるまでに少し疲れたが、難解すぎることは無く興味深い内容だった。ヒトラーとナチスを善悪の土俵で語るのではなくハンナ・アーレントのように相対化して検証し、大衆の支持を集めた“ポピュリズムの権化”だったことを解き明かす。即ちドイツ民に対して“内なるヒトラー”の存在を突きつけることであり、本国でジーバーベルク監督作品が無視されてきたのは当然だったかもしれない。


第1部で「ヒトラーは政治家であると同時に比類なき映画監督だった」と定義される。彼はドイツという国家、そして数百万の国民をキャストとして使い、世界そのものを巨大なスクリーンへと変貌させた。ニュルンベルクの党大会もベルリン改造計画も、すべては大衆を熱狂させ思考を停止させるための“史上最大のスペクタクル映画”の演出と捉えることができる。

第2部で論じられるのは、ヒトラーが映画をいかに現実に持ち込んだかの具体例。彼はフリッツ・ラング監督の「ニーベルンゲン」(1924)を愛し「泣きながら観る」ほどの情動的人物だった。映画は現実を塗り替えるための視覚的ソースとされ、「メトロポリス」(1927)の幾何学的な様式美はナチスの党大会や巨大建築の演出にそのまま取り込まれた。

また、ディズニーアニメの魔法のような没入感を愛好。ドイツの国民的冒険作家カール・マイの通俗小説やジョン・ウエイン主演西部劇の「勧善懲悪と開拓精神」という物語構造を熱烈に支持した。果たして、侵略戦争をあたかも少年向けの冒険活劇のような“没入感のある物語”として演出し、国民をその熱狂的な支持者へと仕立て上げたのだ。

※カール・マイはドイツの人気西部劇「アパッチ」シリーズ(1963~)の原作者として知られる

ヒトラーにとって、これら娯楽作品がもたらす「キッチュ(安っぽい感動)」こそが大衆を扇動するための演出の要だった。独裁的シネフィル監督ヒトラーはドイツという国家をポピュリズム映画の撮影現場に変えてしまったのだ。

これに伴い、ドイツを去ったのは本物の映画的知性だった。劇中ではナチスから逃れたF.W.ムルナウ監督、フリッツ・ラング監督、エルンスト・ルビッチ監督ら、ドイツ映画黄金期の巨匠たちの名が言及される。彼らが追求した“映画の魔術”はヒトラーの手によって、ラング的な様式美とディズニー的な通俗性を掛け合わせた「キッチュ」へと堕落させられた。

第3部では、映画的虚構の裏側にあるおぞましい日常が描かれる。ホロコーストの執行責任者ハインリヒ・ヒムラーは、数百万の殺害を指揮しながらマッサージ師に自らの「慈悲深さ」を愚痴る、凡庸な役人として登場する。会議では強制収容所での“数字”が決算報告のように淡々と読み上げられ、彼らには効率性を追求するサラリーマンの自覚しかない。アーレントが記した「悪の凡庸さ」の視覚化と言える。

1945年にヒトラーは死亡し戦争は終わったが、彼の大袈裟なイメージで大衆扇動する演出術は、戦後資本主義下で疫病のようにまん延した。さらに”ヒトラー”さえもコンテンツとして消費される時代、人類は彼の映画のエキストラとして今も走り続けているのではないか。人形師は操っていたヒトラー人形に対し「あなたの勝利だ」とつぶやく。

最終章である第4部では、ヒトラーが“精神的に勝利”した戦後の地獄から、いかにして脱するかを思案する。語り手はエジソンの「ブラック・マリア(世界初の撮影所)」から言及しはじめる。それは”映画”がヒトラーやビジネスの毒に冒される前の姿=純粋な表現であった起源への巡礼と言える。

やがて未来を生きていく少女(監督の娘アメリー・ジーバーベルク)が毒されたフィルムのマントを脱ぎ捨て瓦礫の中で祈りを捧げる。ジーバーベルク監督が本作で試みたのは、“映画”に取り憑いたヒトラーの呪縛を解く除霊の儀式だったように思う。

アメリカを代表するリベラル派の批評家スーザン・ソンタグは、本作を「20世紀の最も偉大な芸術作品の一つ」と称賛した。

『ジーバーベルクのヒトラー論』(1980:スーザン・ソンタグ)
・多くの映画がナチズムを単に邪悪なものとして感情的に突き放すのに対し、ジーバーベルク監督はあえてその表象を圧倒的な分量で執拗に提示し、かつ「キッチュ」なセットの中で反復して見せることで、その魔術的な力を使い古された空虚なものへと変貌させた。結果「映画による歴史の克服」という試みに成功している。


個人的に、キッチュなものが好きで本作の美術もとても魅惑的に感じた。”内なるヒトラー”が宿っていないか気を付けたいと思う。

同時に、ヒトラーの演出術が大衆の支持を集めていく様子に、現在の世界を連想せずにはいられなかった。除霊は終わっておらず、ふつふつと復活を遂げている。

本日、アメリカとイスラエルがイランとの戦争を開始した。
Shoty
3.8
演劇のようなスタイルで演説やナレーション 朗読 ヒトラー本人の録音 エピソードで進んでいく。映像に直接的な迫力はないが、言葉で意志表示してくる。
人形もセットも常に暗い。

第1部 社会主義 共産主義への敵視 第三帝国こそ理想 アーリア人は優越民族等 当時のドイツ思想が演説などで語られる。

第2部 ヒトラーの元に従っていた男が、ヒトラーの様子 人となりこを語る。1部とは対照的に人間的な部分

第3部 ヒトラーと近い人物たちの考え 心境が語られる。側近もヒトラー同様 自分の理想 思想を持ち、しかし当時の世界観の中で生きていたのがわかる。

第4部 ヒトラーがつくり、残したもの それを受け継いだものはいるのか、誰なのか。
ソ連の管理社会、情報操作など。

僕に印象的だったのは第3部だ。
側近だけでなく国民もゲルマン民族の世界を確立しようという大きな目的の枠の中に巻き込まれ、その目的の達成のために 様々な決断、決断が生み出す悲惨な現実を乗り越えなければならない その中でそれぞれ自分はこの枠の中の一部だと思いこみ、納得しないと生きていけない。ユダヤ人の虐殺におぞましさを感じても、個人は民族全体のことを考え 枠の中で必要な犠牲だと考えなくては生き延びられない。

ヒトラーの存在はこういう状況を作り出せる程に大きかった

僕はちょっとずつ見たけれど
4部 全部見ると めちゃくちゃに長いし続けて見るのは難しいので 第3部だけでもいいかもしれない。

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