スペシャリスト 自覚なき殺戮者の作品情報・感想・評価

スペシャリスト 自覚なき殺戮者1999年製作の映画)

UN SPECIALISTE

上映日:2017年04月29日

製作国:

上映時間:123分

3.6

あらすじ

1961年4月11日イェルサレムで始まった裁判は、イスラエル政府の意向で裁判の一部始終が撮影・録音され、その内容は全世界37カ国で放映されたと言われている。イェルサレムに保管された、アメリカの取材チームが記録したビデオ素材に初めてアクセスを試みたのが、本作の作り手たちである。ハンナ・アーレントの裁判傍聴記『イェルサレムのアイヒマン悪の陳腐さについての報告』に感銘を受けた、“国境なき医師団”元総裁…

1961年4月11日イェルサレムで始まった裁判は、イスラエル政府の意向で裁判の一部始終が撮影・録音され、その内容は全世界37カ国で放映されたと言われている。イェルサレムに保管された、アメリカの取材チームが記録したビデオ素材に初めてアクセスを試みたのが、本作の作り手たちである。ハンナ・アーレントの裁判傍聴記『イェルサレムのアイヒマン悪の陳腐さについての報告』に感銘を受けた、“国境なき医師団”元総裁のロニー・ブローマンと、イスラエル映画界の“反体制派”の1人と言われる映像作家エイアル・シヴァンは、約350時間に及ぶ映像素材の内容をもとに、約2時間の映画に再構成。映画は、“専門家(スペシャリスト)”としてのアイヒマンの技術的能力と専門知識を浮かび上がらせる一方で、防弾ガラスに囲まれた被告人席で口びるをゆがめ「自分は上司の命令に従っただけ」とひたすら主張する小役人の肖像を、無慈悲なまでのリアリズムで映し出す。ハンナ・アーレントが説いた“悪の凡庸さ”の実像を鮮烈に暴いた衝撃作。

「スペシャリスト 自覚なき殺戮者」に投稿された感想・評価

アイヒマン裁判の記録映画と言っていい作品。ハンナ・アーレントが凡庸な悪と言って有名になったアイヒマンの素顔や裁判での発言が直に見られる貴重な映像。凡庸な悪というよりは、あの悲劇的なユダヤ人大虐殺に深く関わった人物でさえ、普通の小役人なんだなと思った。

どちらかというと、アーレントの解説本か何かでアイヒマンのことに少しでも触れておくと理解が進むと思う。何も知らない人がいきなり観る映画ではないことだけは確か。
son

sonの感想・評価

4.5
アイヒマンショーを先に観たので、いろんな観点から向き合えた。目線や体の動き、表情の変化、本当によくあの場に平然としていられる。装ってるだけなのかもしれないが、恐ろしい。そして、どちらかというとホロコースト内についての話が少ないため、その時代の流れや関係が逆にわかりやすくなっているのがまた良いポイントだった。ノンフィクションなのにここまでフィクションのような映像は、異常を示しているからだろう。


やっぱりどのナチ関係の戦犯でも、「自分は関係ない責任ない」と言った人多いんだよな...。「命令されたから」は全然理由として通らないにきまってる。
しかし、アイヒマンが「愛国心とナショナリズムは紙一重であり、時には過激国家をも作り上げる」?て言った時は、この人は本当に盲目的にヒトラーとナチスを愛していたんだなと実感した。
M

Mの感想・評価

3.5
終戦日も近いし、個人的に戦争と平和について考える時。平和な日々に生きてるし、こういった昔のことをしっかり考える時が必要だと思う。アウシュビッツとビルケナウに行ったこと思い出した。アイヒマンとはいったいなんだったんだろう。彼は思考してたのか、思考をやめたのか。命令に従っていただけです、は本心なのか、私たちを欺いているのか。
Joker

Jokerの感想・評価

3.8
ホロコーストに加担した元ナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンの裁判をとらえたドキュメンタリー。1961年4月11日、ユダヤ人国家イスラエルの法廷で開始されたアイヒマン裁判は、イスラエル政府の意向により一部始終が撮影・録音され、全世界37カ国で放映されたと言われている。ハンナ・アーレントによる同裁判の傍聴記「イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告」に感銘を受けたイスラエルの反体制派映像作家エイアル・シバンと「国境なき医師団」元総裁のロニー・ブローマンが、約350時間にも及ぶ記録素材をもとに再構成。アイヒマンの“専門家”としての顔を明らかにすると共に、「自分は上司の命令に従っただけ」と主張する小役人の肖像を徹底したリアリズムで描き切ることで、アーレントが説いた“悪の凡庸さ”の実像を浮かび上がらせていく。
切身

切身の感想・評価

3.5
「アイヒマンを追え」「アイヒマンショー」を鑑賞後に観た。
前出の二作とはまた異なり、(内容的にはまぁ同じなのだけど)ドキュメンタリーだったのでかなり緊迫感があった。よく2時間にまとめたな。

命令とはいえ人間のやることなのかと言われると…。戦争というのは思考能力を削ぐというか停止させるよ、つくづく。
アーレント『イェルサレムのアイヒマン』を受けて制作されたアイヒマン裁判のドキュメンタリー。

あまりに見るのが辛すぎる、10回以上停止ボタンを押した。これは鎮魂のための政治ショーだ、アイヒマンはショーに駆り出され、そして吊られた。

政治(哲)学を真剣に学んできたのに、一向にGoodとは何かが分からない。
拝一刀

拝一刀の感想・評価

4.3
これまでに何度鑑賞したでしょうか。

数え切れません。

組織の中の一歯車に過ぎない私ですが、職場では自分の中に巣食うアイヒマンに負けないように日々頑張って来ました。

権力者の命令に盲目的に服従することの恐ろしさ。

合法的であれば何をしてもよいという錯覚ないしは自己欺瞞。

私も佐川さんではなく前川さんになりたいと思います。
たく

たくの感想・評価

3.8
最初から最後まで,アイヒマン裁判の実際の白黒映像が淡々と流れる。劇場でTV中継され,被告人は防弾ガラスの中,通訳や言語の切替えという点は特殊だが,裁判官の仕草や,傍聴人への注意などは,日本の裁判と変わらない様子。アイヒマンは終始,自分はミュラー等に命じられたとおりにやっただけで,権限はなかった,移送のスペシャリストに過ぎないと主張。細かい書類決裁の説明などは,日本の公務員と極めてよく似ている。上層部がユダヤ人絶滅を決めても,「ユダヤ人絶滅は愚作だった。ただ上が決めたので良心は痛まなかった」「ピラトが手を洗った心境だった」と言っているのが印象的。背景説明がないので,彼が本当に公務員にすぎなかったように見えた。
Jeffrey

Jeffreyの感想・評価

3.0
‪「スペシャリスト 」‬
‪1946年に行われた東京裁判が茶番劇なのは承知の通りで61年ナチスの戦犯アイヒマンの裁判を捉えた350時間を振い落とし2時間に纏めた本作も茶番で何度見ても怖い…何故なら彼を全く裁いてなく筋書きは全て決められてる。本作を観つつハンナアーレントも鑑賞し全体像の把握が必要だ。‬
あの糞南京大虐殺をぶり返したのも東京裁判である!当時米国の方が数多く民間人を殺したのを隠すために南京大虐殺を持ってきてそこにプラスして平和の罪を免れた…こういった茶番劇が61年にもまた起きた!もちろん東京裁判とは全くもって違うが…本作でもアイヒマンの言葉に耳を傾けず全く一方的に誘導しているシーンがあるわ…実際アイヒマンは裁判で裁かれた後に書籍を残しそこに全てを書き残すと言っていたがそれもこの裁判で自分が言いたい意見を却下されるため、活字にし世の中に伝えたいことを残したんではないかと思う。
本当にこの裁判をやる意味があったのか非常に考えてしまう…
ummidori

ummidoriの感想・評価

4.2
アレントの「イェルサレムのアイヒマン」を読んだあと、その余白を埋めるようにして観た映画。
彼がなぜこの場に出てきたのか――アルゼンチンで「逮捕された」ということだが、実際には晩年ほとんど身を隠すことなく生活していたようであるし、何よりも彼がこの裁判を受けるにあたってイスラエル当局に書かされた誓約書に自分なりの文言を付け加えたりするほどの積極性を見せているのである――ということを、彼の時に慇懃にも見える態度と、変わることのない発言のトーン(裁判官や検事ですら疲れや感情の揺れを時には表すのと対照的である)から、考えてしまう。死刑を避けられると思って裁判をうけたわけではないことは、彼の拘留中の発言の記録からも明らかなのだが、だとしたらいったい全体彼は何のために裁判をうけたのか。何を守るために、最初から最後までこのような冷静で疲れを知らない態度をとり続けたのだろうか。
判決が出た後一週間もせずに絞首刑は実行され、死刑の当日に焼かれてその灰は地中海に撒かれたわけだが、その未来を予見してなおこのような態度をとり続ける彼の姿は、やはり一種異様である。
もちろん「ある体制にたんに服従することそのものが犯罪になる(⇔命令に従っただけだから罪にならないのだ、というアイヒマンの主張)」という、アイヒマン裁判が示唆する一つの警告の意義が薄まるわけではない。時として、自分の属する社会や体制に抵抗することが、唯一の正義の道であることがある。
(まさに杉原千畝はそういう人物であった。それゆえに彼は外交官の職を賭して日本政府の許可なくビザを発給したし、その後は事実上クビになった。しかしそれは常に裏表である。彼がもしビザを発給しなかったら、杉原千畝はもう一人のアイヒマンになっていたわけである。正直なところ、そういう彼が安易に「ニッポンの偉人」として顕彰されることの居心地の悪さをどこかで感じざるを得ない。彼を顕彰するとしたら「いざとなったら体制に抗っても自らの信ずるところの正義を実行すべし、正義とは何かということを自らの属する社会の文脈から離れてでも不断に考え続けるべし」ということなのだが、彼を顕彰する表現がそういうメッセージになっているようにはあまり思えないことも多い。)

しかしやはり、この裁判の「異様さ」が、なんともいえぬ後味とともに舌に残る。
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