タイトル通りろくな話ではないのに、やたらと話の流れやワードセンスが光っていて、聴かせる話になっているのが面白かったです。発見編→実践編→応用編の流れでさも哲学的に話すんだけども、あんたがやってるの覗…
>>続きを読む覗きの話し。最初に演出の行き届いた鮮やかな劇が上演され、次にドキュメントふうの「元ネタ」が映される。両方の演出やカットの割り方などを連続して見せられると、どこからが「リアル」で何が「虚構」なのかわか…
>>続きを読むあらゆる映画はある程度フィクションであり、ある程度ドキュメンタリーでもある。純然たるフィクションも純然たるドキュメンタリーも存在しない。そうユスターシュが断じているようだ。それでいて、見ることについ…
>>続きを読む演じることと“本当に”語ること。最初の方が「演じている」のにそれが観客になってオリジナルな参照元になることの不思議。
話してる内容はふつうに不愉快なんだけど、見るものを「なんかw草w」とさせてしまう…
「ママと娼婦」や「ナンバー・ゼロ」と同じく、言葉の力を駆使して、あの日あの時のあの感情を映し出す。
『松本人志のすべらない話』ならぬ、ジャン・ユスターシュの「不愉快な話」。
前半が劇映画バージョンで…
演出された第1部は、スクリーンに映ってる映像イメージと頭の中のイメージが全然違って面白い。最悪な話に聴き入る。
第2部は話の内容より、ジャン=ノエル・ピックの話し方や表情、煙草を持つ手つき、女性らの…
© Les Films du Losange