飯舘村の母ちゃんたち 土とともの作品情報・感想・評価

飯舘村の母ちゃんたち 土ととも2016年製作の映画)

上映日:2016年05月07日

製作国:

上映時間:95分

3.8

あらすじ

菅野榮子(かんの・えいこ)さんは 79 歳。孫に囲まれた幸せな老後を送るはずが、福島第一原発の 事故で一転する。榮子さんが暮らす福島県飯舘村は全村避難となり、ひとりで仮設住宅で暮らすこ とになった。支えは親戚であり友人の 78 歳の菅野芳子(かんの・よしこ)さんだ。芳子さんは避難生 活で両親を亡くし、ひとりで榮子さんの隣に移ってきた。「ばば漫才」と冗談を飛ばし、互いを元…

菅野榮子(かんの・えいこ)さんは 79 歳。孫に囲まれた幸せな老後を送るはずが、福島第一原発の 事故で一転する。榮子さんが暮らす福島県飯舘村は全村避難となり、ひとりで仮設住宅で暮らすこ とになった。支えは親戚であり友人の 78 歳の菅野芳子(かんの・よしこ)さんだ。芳子さんは避難生 活で両親を亡くし、ひとりで榮子さんの隣に移ってきた。「ばば漫才」と冗談を飛ばし、互いを元気 づける、2人の仮設暮らしが始まった。 榮子さんの信条は、食べるものは自分で作ること。ふたりで畑を耕し、トマト、キュウリ、芋、 大豆、大根、様々な作物を収穫する。かぶや白菜の漬物、おはぎ、にんじんの胡麻和え・・・、「おい しいよ」と笑顔で食卓に手料理を並べる。村の食文化を途絶えさせたくないと、昔ながらの味噌や 凍み餅(しみもち)の作り方を、各地に出向いて教えるようにもなった。 飯舘村では帰村に向けた除染作業が行われている。だが高い放射線量、変わり果てた風景・・・。ふ たりは先の見えぬ不安を語り合い、泣き笑いながら、これからを模索していく。

「飯舘村の母ちゃんたち 土ととも」に投稿された感想・評価

古居みずえ監督作品
[飯舘村の母ちゃんたち 土とともに]

菅野榮子さんと菅野芳子さん、
おふたりを映したドキュメンタリーです。

おふたりとも80歳近いお歳の、
ふつうの女性です。
ただ、故郷が、福島県飯舘村、
仮設住宅での避難生活がメインです。。
派手な展開、ドラマチックなヤツ、
ありません。

でも、このドキュメンタリー映画、
好きです。
好きです、というと誤解があるかも、
ですが、ずっと観ていられました。

故郷から、ご自宅から離れて、
の生活でご苦労があるハズです、
でもおふたりは、
いつもいっぱいおしゃべりして、
いっぱい笑って、
画面いっぱいに映し出される、
おふたりの笑った顔、
すごく元気をいただきました。
土いじり(農作業)をされている姿、
とっても生き生きされていました。

すぐに凹みがちなメンタル弱いボクですが、
この映画を観ていたら、
なんか、いろいろ大したことない、
笑ってすませられるコトばっかじゃん、
そう思える、前向きになれました。
負けてられない、笑われちゃうなと。

でも、ぽつりと出る本音、
故郷が、福島が恋しい…、
には、胸がつまりました。。。
ただただ家に、飯舘村に帰りたい、
わかります。

ボクの地元、まあまあ田舎です、
でもやっぱり生まれ育ったところ、
ほっとします。

一朝一夕で解決出来る問題…、
ではないですが、ポスター画像の、
「笑ってねぇどやってらんねぇ」
じゃあなくって、心から笑える、
そんな日が1日も早く来れば、と、
思っています。

2週間限定上映で、観れるかどうか、
わかりませんでしたが、
劇場観賞出来て良かったです。
あ、やかんあり、でした♪

[飯舘村の母ちゃんたち 土とともに]

2016 7 名古屋シネマテークにて観賞しました。
小一郎

小一郎の感想・評価

3.6
福島第一原発事故で仮説住宅暮らしを余儀なくされている、菅野榮子さん(昭和11年(1936年)生まれ)と菅野芳子さん(昭和12年(1937年)生まれ)のドキュメンタリー。

福島県飯舘村で孫に囲まれ暮らしていたけど、子供のへの放射能を避けるため家族の他の人は福島県から避難した。

亡くなった夫が親戚の二人はとても仲良し。厳しい状況にも拘わらず、バイタリティーあふれる榮子さんと親友の芳子さんの二人で、冗談を言い合いながら、たくましく生活している姿は微笑ましくすらある。

しかし、事故がなければ悠々自適で暮らすはずの二人が時より見せる不安な表情や涙からは、事故の悲惨さを感じずにはいられない。

榮子さんと古居みずえ監督のトークショー付きで鑑賞したけど、この日榮子さんは80歳の誕生日(おめでとうございます)。映画の中同様に話は面白いだけでなく、主張がしっかり、かつ理路整然としていて、ウンウンとうなずいてしまう。

この映画の出演は「快くというわけではなく」、「孫、ひ孫の世代のため少しでも役に立てば」との思いから承諾したという。

原発事故から5年たった今でも10万人の方が避難所生活を続けているという。当初は2年で帰れるはずが、1年また1年と延びている状況。政府は、2017年3月までに帰還困難区域以外の「居住制限区域」と「避難指示解除準備区域」の解除を目指す方針。

しかし、除染効果の確認に加え、帰村に備えたインフラ整備など課題は多い。さらに榮子さんは、帰村を求めているのは、せめて自分の家で死にたいと願う避難所生活の老人が多く、戻っても“姥捨て山”、“棄村”にならないかと言う。解除後のビジョンが示されないことが不安だという意見は、実にもっともなことだ。

映画を通じて感じたことは、二人が住み慣れた環境を離れ難いと思っていること、孤独に対する不安を持っていること。これに加え、印象深いのは、飯舘村の伝統、文化を残したい、と願っていること。

二人が昔ながらの味噌や凍み餅(しみもち)の作り方を各地に出向き教えるのは、万が一の場合も考え、食文化というかたちで飯舘村を残したいからだろう。生まれ育った故郷や文化は人間のアイデンティティを支えるとても重要なものだということが良くわかる。

放射能汚染に苦しむ地域の問題解決は難しく、時間がかかる。自分はせめてそのことだけでも心に留め置き、避難所生活がなくなったとしても問題は終わりではないと理解しておく必要があるようだ。