寝ても覚めてものネタバレレビュー・内容・結末

寝ても覚めても2018年製作の映画)

ASAKOⅠ&Ⅱ

上映日:2018年09月01日

製作国:

上映時間:119分

3.8

あらすじ

「寝ても覚めても」に投稿されたネタバレ・内容・結末

かなり前に観たんですが、劇場で一回観てえらく気に入り、原作を読んで、飛行機の中でまた一回観て、さらに帰りの飛行機で半分観たところで着陸。もう一度だけ劇場で観たかったので、東京最後の上映じゃないかというような終わりかけの頃に最後に観ました。大好きな映画です。

写真展で麦(バク)を観た瞬間、朝子は現実感のない夢のような世界に住むようになった。

麦がいなくなって、ようやく現実に戻ってきたと思えるようになったころに、亮平に出会い、怖かったんでしょうね。目の前の「麦 = 亮平」にまた連れ去られてしまうことに。でも、段々、亮平を亮平として大事にできる確信が育ってきて、もう大丈夫、だと思った。

だから、麦が連れ戻しに来た時は最初は怯えた。が、恐れた通り、やはり麦の世界に連れ去られてしまった。(あの、レストランから連れ出されるシーンは怖いですよね。)

その後、亮平とのことを、幸せな夢を見ていた気がする、と言ったのがぐっと来ました。結局、麦が本来の自分のいる世界で、亮平のような良い人との世界は所詮夢だったんだ . . . 朝子の主観では。

外から見れば朝子が亮平を裏切ったわけですが、朝子にとっては、麦というのは抗うことが出来ない力・運命なので、許せないとか亮平がかわいそうだとか言っても仕方がないんですよね。許すとかそういう問題ではない。

麦という非現実的な力が、このフィクションの「装置」なんでしょう。

. . . というように、朝子の行動が理解できるかどうか、倫理的かどうか、麦とあんな風に恋に落ちるのは変だ、とか、自分が亮平だったら絶対許せない . . . とか、そういうことを見る映画ではなくて、麦の世界に住んでいる自分と亮平の世界に住んでいる自分とがどちらが夢でどちらかが現実かが分からない、そういうパラレルワールドを体験してクラクラする、というものだと思いました。

ところが、北海道に行く途中で、急に「麦という夢」から覚め、夢だと思ってた亮平こそが現実であることに、ふと気づいた。憑き物が落ちたかのように。

夢から完全に覚めた後の、最後のしめは、今度は別の映画のように、それはそれで「面白かった」。

朝子のしたことは「許されないこと」だと、本人も亮平も言うが、本当はそんなことはどうでも良いことが、ふたりとも分かっている。朝子は完全に正直なだけで、正直以外の振る舞いをすることが出来ないのだから。

許されるかどうかなんでどうでも良くて、単にいま亮平と一緒にいたいだけ、というのが究極の愛の告白だし、亮平もそれが分かっていて、朝子のことは一生信用できない、と言ったのは、非難ではなくて、単なる事実の確認。だから、朝子も「うん」と、その事実を確認するだけ。朝子には、「いま」亮平と一緒にいたいということだけが真実なので、将来もそうかどうか、信用してもらってももらわなくて、全く同じこと。

行くところがなくなったから亮平のところに戻ったという訳ではない。そういう打算が一切ない、完全に正直な愛の告白が感動的でした。

信用は出来なくても、完全に夢から覚めた朝子は、たぶん、ずっと亮平と暮らしていくんだろうということは予想できるとは思います。

原作はずいぶん違います。筋だけ書き出せばそんなに違いませんが、描き方がずいぶん違います。原作では、「夢のような状態」「現実感のなさ」を、「自分がここにいない感じ」「少し距離を置いて自分自身を他人事のように眺めている感じ」「全てに霧がかかったような感じ」で、ずーっと表しています。東京での暮らしも、夢の中で見ている夢みたいなもので、非現実の世界のまま。

ここが映画との大きな違いだと思います。映画では、夢の世界の感じを、麦が出てくるときの電子音楽で表していますが、全部が夢の中だったという感じでは描いていませんね。

小説では、最後の最後に夢から覚めた瞬間、すっと霧が晴れたように、初めて現実の世界に戻ってくる。外から自分を観ているもうひとりの自分と、観られる対象の自分とが、ようやく合体して一つになった感じ。この書き分けが見事で唸りました。
私は結構好き
若干ホラーを感じたり胸キュンしたりなにを考えてこれを撮ったのかは不明だけど面白かった。
あと東出君の顔が良い。
最後の「きったねえ川だな」「でも綺麗」っていう2人の会話、どんな意味があるのかないのかも知られないけど、余韻が残った。
冒頭の20分、麦と朝子のロマンスが始まった時は「キツいな…」と思ってしまった。
麦のキャラクターが、少女漫画の王子様的な現実離れした人物だったからだ。
このキャラに感情移入するのは辛い…と思っていたところ、突如として麦は退場する。

そして現れるのが、麦と同じ顔をもった亮平というキャラクター。
麦とは違って、ひたすらに凡庸で、どこにでもいそうな優男だ。

東出昌大が本来持つ嫌味のなさもあって、亮平には感情移入出来る。
震災という傷を朝子と2人で乗り越えていく過程も良い、「これは応援出来るカップルだぞ」と誰しもが思った事だろう。

ところが、ここでまた麦が現れる。
そして、麦の差し出した手を、朝子は掴み、彼と駆け落ちしてしまう。

亮平との関係に、感情移入していればしていた程にショッキングで、個人的には鳥肌が立ってしまった。
「マジか…この女…」という驚愕の展開。

だが、冷静に考えた時に、朝子の判断も分からなくもないなと思った。

亮平を選んでおけば安全だ。
だが、安全であるが故に、その後の人生に驚きはなく、退屈なものになったかもしれない。
麦を選べば、危険ではあるが、退屈する心配のない、刺激的な人生を送れるはずである。

恋愛に何を望むかは人それぞれであり、朝子が望んだのは「ここではないどこか」を与えてくれる男だったのだろう。
春代が言う様に、そういった生き方を選ぶ事は、間違っているかもしれないが、カッコ良くもある。
なので、このまま突っ走って終わってもらえれば、「よく分かんないけど、最高ー!」という気分で終えられたかもしれない。

しかし、ここで朝子は突如として、亮平の元に戻る事を告げる。
物語的に見れば、夢見がちな女が現実に戻る話であり、過去を乗り越えて今を生きる事を決意するまでの成長物語になるのだろう。

この展開のおかげで、元の鞘に収まる様な安心を与えてくれるが、普遍的な成長物語に着地する事で、この作品ならではの歪さ、禍々しさ、個性は失われてしまった様に思う。
春代の言葉を借りるなら、「完全に正しいけど、ちょっとだけダサくもあった。」という感じだ。

勿論、この映画の最後に、困難を伴いながらも生きていく人間の強さや希望を見出す事も出来なくはない。
だが、私が見たいのは、「クズだけど、ちょっとだけカッコ良い人間」であり、そういった人間を見せるのも映画の仕事だと思うのである。
朝子がいうように、夢を見てるみたいな出会いと物語だった。

激しく惹かれあって、でもどこか危うかった麦との関係と、堅実でまっすぐ自分を見てくれる亮平との関係。亮平とは長い間幸せであったはずなのに、麦と再会してしまったときにああも衝動的になってしまったのは運命の人だったからなのかな。それでも、朝子と亮平の2人も運命だったと思う。

台詞がいちいち良かった、声が良い。
バクと海で別れたあと、防波堤の上に立って海を見る朝子の表情に不気味さを感じました。
あと関西弁がなんか違和感ありました。

個人的に一番印象に残ったのは マザコンと言っていた友人が病気になってしまっていた場面。なんかすごく、なんといえばいいか(T-T)
この物語から何を感じたら良いのかわかりませんでした
面白かった。

恋愛映画なのかホラー映画のような緊迫感もありラストの雨のようにじめじめした映画だった。

朝子の行動は理解出来ないけれど、それほどまでに人を求められるってすごいことだよ。
元恋人を追いかけて行ってしまう朝子に「おばあちゃんになって笑い話になればいいね」と言ってくれる友人がいることもすごいこと。
亮平さん寛容でやさしいけど、この先どういう気持ちで一緒にいるんだろうって考えて苦しくなる
感謝と愛情は違うって朝子の友達が言ってたけど、私からしたら感謝こそ愛情になると思ってるから、終盤で麦について行った時はただただうわ、、ってなってなってしまった。
直感的に好きになった人にはやっぱり負けてしまうのかな。
いつかこんな日が来るんじゃないかってずっと怖かったって言った亮平の気持ちが痛いほど想像つく。
最初の方のみんなで花火したり家のシーンとか、麦との空気感は好きだったけど、最後の方の麦と一緒の時は少しイライラした。

震災の話も関わってて、2人は東北に通ってた。朝子は「何か正しいと思うことをしたかった」って言ってた。その気持ちは分かるし、そう思って行動することは偽善でも何でもなく私は素直に良いことだと思うしその姿勢は見習いたいと思った。
朝子は心の中で、麦にそっくりな亮平と付き合ったことを正しいと思えてなくて罪悪感も残ってて、そういうことから正しいと思うことをしたいっていうのがあったのかもしれない。

猫を捨てたって言ってたけど、本当は捨ててないんだろうなと思ってて、やっぱりそうで、亮平はこういう人だなって思った。朝子のこともきっと見捨てることはできない。この先も朝子を信じることはできないけどずっと一緒に居るんだと思う。
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