祈り 幻に長崎を想う刻(とき)のネタバレレビュー・内容・結末

「祈り 幻に長崎を想う刻(とき)」に投稿されたネタバレ・内容・結末

傑作戯曲をベースに作った映画らしいが、映画としての完成度は正直低い。

高島礼子が、自分の首のケロイドについて「長崎市民の被害者7万人」とか結びつけるセリフがあったが、戯曲ならわかるが、映画だと違和感あった。
「原爆よりもまずは戦争なくすべき」と言うセリフは全く同感。ただセリフでいっちゃダメなんだよね。
「これまでよりもこれから」という未来志向には共感。

世界でアウシュビッツ物の映画が今も作られるように、徐々に風化しつつある長崎の被爆の歴史を次代に残したいという想いは痛いほど感じられ、加点要素とした。

広島に原爆ドームがあるのに長崎には何もない。確かにそうだね。

昭和32年12月24日=祈り
 マリア像を運び出した日

昭和33年12月24日=三丁目の夕日
 茶川がヒロミに「エア指輪」渡した日

エンドロールの「焼き場に立つ少年」の写真は先日NHK Eテレで特集してましたね。
やはりこの季節になると太平洋戦争を主題にした映画を観ないわけにはいかない。原爆と言うと真っ先に広島のことが思い出されるが、確かに長崎にも落とされたのである。長崎に原爆が落とされたという事実、闇市にのさばるヤクザたち、彼らを野放しにしてお上には頭の上がらない政治家や警察たち、そして何より、長らく迫害を受けてきたキリシタンたち。あの時代の長崎が実に良く描かれている作品だと私は素直に思った。

もちろん映画としての完成度がどうこうとか語っても良いのだが、本作に関してはその辺があまり気にならない。なぜなら戦中と戦後のあの時代の歴史と真正面から向き合うことそれ自体に意味があり、日本では比較的敷居の高い演劇ではなく、大衆の目に触れやすい映画に脚色したという試みに拍手を送りたいからである。確かに空間の作り方が演劇的ではあるが、演劇を仕事にしていた時期もある私にとっては馴染み深い作り方であったし、演技も良い意味で演技をしている感じがなく観やすくなっていた。

まあこういう主題であるうえに、演劇としても人気のある演目だからこそ風当たりは強いだろうが、私は本作が好きである。何よりも多くの方がこの作品に触れることによって、議論をするきっかけとしてほしい。

戦争ありきの核兵器根絶ではなく、戦争の根絶を。過去に生きるのではなく、今この瞬間を、未来を生きることを。政治的メッセージとしてではなく、一人間の主張としてこれらの言葉を胸に刻みたい。

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