祈り 幻に長崎を想う刻(とき)の作品情報・感想・評価(ネタバレなし)

「祈り 幻に長崎を想う刻(とき)」に投稿された感想・評価

Yoshmon

Yoshmonの感想・評価

3.6
戦時中・戦後を舞台にしたカトリック教徒として長崎に生きた人々のお話。
映画というより観劇を映像にしたような、夜のNHKで放映されていそうな作風。それもそのはず長崎原爆で倒壊した浦上天主堂遺構の取り壊しがささやかれる中、マリア像を盗むカトリック一味に焦点を当てた舞台劇「マリアの首」を映画化したものだそう。

初見。

7万4人の人の命が一瞬にした奪われた原爆投下、その後被爆者として苦しみながら生きていく中、思い思いに生き抜く人たちのお話。

なかなか一部始終重い空気感が漂う作品。歴史の一片を知るのにはよい。
船堀シネパルでクロサワの世界2021と併映されている『祈り -幻に長崎を想う曲-』

10/9(土)に舞台挨拶付きがあるから、そこで鑑賞したかったけど仕事(撮影)になりそうなので先に。

劇作家田中千禾夫の戯曲「マリアの首-幻に長崎を想う曲-」の映画化。
長崎の原爆投下により焼け落ちた浦上天主堂に残るマリア像を保存した女性たちの話し。

レビューは後程。。
tak

takの感想・評価

3.4
長崎原爆で倒壊した浦上天主堂遺構保存をめぐる人々の思いを描いた舞台「マリアの首」の映画化。僕が映画館に足を運んだ時期には、九州では長崎と北九州でしか上映されていなかった。映画冒頭でも紹介されるように、小倉と八幡も原爆投下候補地だったんだもの。長崎に原爆が落とされた日は、戦争や核廃絶についていろんな気持ちがよぎる。

もともとは舞台用の戯曲なので、闇市のセットやクライマックスのマリア像を運び出す場面の演出は、かなり舞台寄りになっている。具体的に被害の数字を並べながら惨状を訴える台詞にしても、一般映画を観る感覚だと、説明過多に聞こえたり、オーバーアクトに感じられるところもあるだろう。

一方で、原爆投下後の惨状は広大な風景として映し出される。おびただしい数の死体が転がる中で、生き残っている人がわずかであることが誰の目にも明らかとなる、映画化だからできた表現になっている。またそれぞれの登場人物の表情に迫れるのも映画だからできること。特に田辺誠一が演ずる病身の夫が、「本当に終わらせるべきは核ではなく戦争」と訴える場面は、それまで遠景や舞台を撮っているように引いていたカメラがグッと迫る印象的な場面になっている。

舞台で語り継げばいい、映画にして何も説教くさい作品にしなくてもいいのでは、という意見もあるかと思う。でも映画にするからこそ、原爆投下後の長崎で人々が抱えていた思いや、浦上天守堂の様子が、多くの人に伝わりやすい機会となる。エンターテイメントではないけれど、舞台の雰囲気も残しつつ、語り継ぐべき物語としてこの映画が製作されたことは大事なことだと思うのだ。

昼は看護師、夜は娼婦である鹿(高島礼子)は、壊れたマリア像を守り抜こうと計画する。その仲間である忍(黒谷友香)は病身の夫を支える一児の母。それぞれの過去。登場人物それぞれの台詞の端々に、戦争への怒りと平和を願う気持ちが示される。一つでいい。この映画の彼らの言葉を一つでいいから、心の片隅に留めて欲しい。
この作品がどこに対して見せたいのかが見えてこないです

ただドキュメンタリーとしてみたら「ふーん、そうなんだ」として見れました

何事も見てみないとわからないですね
浦上崩れのエピソードなど、長崎ならではの祈りの大事さを改めて感じさせる。
駄作。つまらないひどい映画だった。
しかも、歴史を歪曲していて、映画のネタとして被爆者を利用したとしか思えない。

唐突な展開に、俳優は真剣な演技をしているに、見ていておかしくて吹き出してしまった。せっかく長崎の原爆を背景にした映画なのに、無惨な出来に残念としか言いようがない。
原爆を巡る様々な論点が、セリフに登場するが、いずれも生半可に終わっている。特に、問題なのが、原爆で破壊された浦上天守堂の残骸を取り壊したのは、アメリカなどの思惑があったという陰謀説を、根拠もないのに映画によって強化してしまっていることだ。カトリック信者の主人公が、「観光のために取り壊す」と非難する。しかし、実際に、当時、カトリック信者が問題にしていたのは、「市議会などの保存の主張は原爆を観光のために利用するものだ。信者は教会を再建して信仰の場所を確保したいだけだ」ということだった。主張が、実際と映画では180度違っている。創作とは言え、踏み越えてはいけない一線を踏み越えている。
このレビューで、事実に基づいた映画と評価されているのが、恐ろしい。
VOT

VOTの感想・評価

3.1
うーん。

もともとの戯曲は未見。映画を観ただけの印象ですが、非常に残念な感じでした。途中までは並だったんですけど。

どうしてもメッセージ性を強めたいのか、反戦や原爆投下に関して直接的に言及する台詞が連発される不自然なシーンがままあり、発するキャラクターにそぐわない感じがするのもあって、何かに言わされている感が半端ないです。

ラスト近くの超展開は本当に意味不明でした。キャラクター配置は好みだったので、彼らが、もっとこう『たかが壊れた像』に振り回される人々みたいな感じの見せ方でよかったのではないかと思います。

ホント、残念でした。
舞台の上演も難しい田中千禾夫の戯曲を映像化したのは素晴らしい。でも、原作のもってる詩的な豊かさは弱くなってしまったかなあ。

戦後12年目という時代のことを考える。今だったら3.11を振り返るときの感覚に似ているだろうか。まだ人々の記憶にも新しくて、容易に言語化できない感覚が田中千禾夫を抽象的な言葉の世界に向かわせたのかな、とも思う。今撮るとなるとまたその時とも違う読み直しが必要なのかもしれない。なかなか難しい。

浦上四番崩れ、キリシタン迫害を語るうえで避けて通れないモチーフだけど、もうちょっと違う見せ方があったんじゃないかと思ってしまう。
長崎への原爆投下により浦上天守堂が大破。信者や市民の浦上天守堂の保存要請も虚しく、取り壊しが決定。キリスト教徒で看護師の主人公が大破した浦上天守堂に立像されていたマリア像を取り壊される前に運び出す事を決意し実行するヒューマンドラマ。明治政府がキリシタンに加えた迫害に加え、被曝した長崎市民への心ない差別。7万人とも言われる爆死した人々のおびただし遺体の数々が無残で、原爆の持つ非人道的な残虐さがとてもリアルに描かれている。今年も76回目の終戦記念日を迎えた。原爆の残虐性を訴えるだけではなく戦争そのものの非人道性を世界に訴えていく事の重要性を改めて感じた。
田中千禾夫の戯曲「マリアの首 幻に長崎を想う曲」の映画化。

原爆と戦争と宗教と。

時折、生々しい原爆の描写が挿入されたのが印象的。

語られていない、もしくは伏せられたままのエピソードは、今でも沢山あるのだろうな、と。
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