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マゼラン
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マゼランの作品紹介

マゼランのあらすじ

16世紀初頭の航海者マゼランの生涯を通して、植民地主義の暴力と人間の限界を描き出す歴史ドラマ。

マゼランの監督

ラヴ・ディアス

原題
Magalhães/Magellan
製作年
2025年
製作国・地域
フィリピンスペインポルトガルフランス台湾
上映時間
165分
ジャンル
ドラマ恋愛伝記

『マゼラン』に投稿された感想・評価

KUBO
3.6
侵略っていうのは、宗教の名の下に行われてきたのだなぁ。

「神の使いが来た!」って喜んでる人々を皆殺しにして「キリスト教徒が最も最果ての地に来た」と胸を張る。

「汝殺すなかれ」なんて、白人のキリスト教徒の中だけの話であって、異教徒や異民族は殺して、奴隷にして平気だってのがびっくりする。

まあ、日本人だって第二次世界大戦の頃にはそんなもんだったのだろうけど、だからこそ、グローバルだの、異文化理解だのっていうのが歴史で見ればつい最近のことだってのが再認識される。

マゼランって言えば、大航海時代の偉人って感じで教科書に載ってた気がするけど、やってきたことを淡々と描くこのラヴ・ディアスの作品からは、そんな偉人然とした姿は見られない。

原住民は殺すし、逆らう者は殺すし、キリスト教と国王のためという大義名分の元、自分の名誉と権力欲で動いていたようにしか見えない。

マゼランって、こんな風にして死んだのか。最後まで見ると、因果応報って感じかな。

カメラは固定カメラ。パンすらしない。ワンカット、ワンカットが長い。約160分という長尺だが、ひとつのカットを普通の長さで切れば2時間に収まるんじゃないかな。

この台詞もない、風景だけののんびりしたカットがラヴ・ディアスなのかもしれないけど、好き好きでしょう。

マゼランたちが通り過ぎた後、ビーチに転がる無数の全裸死体の山が、目に焼き付いて離れない。
Omizu
3.7
【第78回カンヌ映画祭 カンヌ・プレミア部門出品】
『立ち去った女』ラヴ・ディアス監督の新作。カンヌ映画祭カンヌ・プレミア部門に出品、ガエル・ガルシア・ベルナルを主演に迎えた世界進出作となっている。

もうワンカット目から「いつものラヴ・ディアスだ!」と嬉しくなった。自国語以外の映画になるとテイストが変わったりしてしまう監督が多い中、ディアスはいつも通りだった。

探検家として有名なマゼランの半生をいつもの長回しでじっくりと撮った作品。原住民との交流とその決裂、船員との関係を描いていく。

モノクロではなくカラーということでいつもとは違うが、ディアスらしい人間性の発露が面白い一作になっていた。
4.4
【歴史的史実たちを解体して露呈される物語を広めたいエゴと支配欲】【東京国際映画祭】
■あらすじ
16世紀、大航海時代の偉人として知られるポルトガル出身の探検家フェルディナンド・マゼランの生涯を、マゼランが没した地であるフィリピンの巨匠ラヴ・ディアスが映画化した作品。マゼランの若き日の野望、スペイン王との交渉、航海中に次々と起こる困難、先住民との対立、そして最後の遠征と死が、ラヴ・ディアスの特徴でもあるスロー・シネマ的な手法で描かれている。マゼランの内的な葛藤に焦点が当てられており、いわゆる偉人伝とは一線を画した作りになっている。マゼランを演じるのはメキシコを代表する俳優ガエル・ガルシア・ベルナル。スペインの映画作家アルベルト・セラがプロデューサーを務めている。カンヌ映画祭カンヌ・プレミア部門で上映。

■みどころ
大傑作!!
東京国際映画祭といえばラヴ・ディアス、ラヴ・ディアスといえば東京国際映画祭なくらいなじみ深い監督ではあるが彼の作品を観たのは『波が去るとき』のみでした。
昨年の作品は見れていなかったものの、予告編や尺が短いこと・カラー映画にしたということで気になり始めて観た次第。
そんな軽い気持ちで観たが、これが想像以上に凄い映画で辟易している。

映画は1部:マゼランが大航海するまでの時制、2部:大航海中の彼の職務、3部:セブ島に着いて現地人との接触の3部構成で進む。
マゼランは史実上ではセブ島近くのマクタン島にて現地人によって殺されてしまう。もっといえば現地の首長ラプ=ラプによって殺されるが、その経緯を描いた映画になっている。

1部、2部ではマゼランが大航海に至る前の姿、大航海中のマゼランが描かれるがハッキリ言って残虐な行為を平気で行っている。
航海中に同性愛行為をした男2人に恋人の目の前で首を切り落としたり、同席していた神父に仲間の告発がないか懺悔の場で聞き取ろうとして聞き取れないと分かったら神父を島に置き去りにしてまったり、裏切り行為をした同僚に対して自分の手で同僚を殺す事を強要したりと残虐な行為を平然と行う。

そしてそれは大航海して現地人と接触した3部でも同様である。
3部では現地人と友好的に接する。その中で現地人の敗血症に対してキリスト教の教えや薬の投薬で助けて、首長と親しくなる。
そして現地人にキリスト教を広めて、現地人が元々信仰していた偶像を見つけるや捨てる畜生も行う。
やがてマゼランの耳にラプ=ラプがマゼランの教えを受容れない話を聞くが…

映画ではマゼランの史実に沿った話が進行し、マゼランの強権的な姿勢が垣間見える。
その根幹にあるのはキリスト教の存在がある。

キリスト教を広めるが、キリスト教を広めるのではなくマゼランにとっての物語の正当性のためにキリスト教を教える背景が存在する。
つまり本作はマゼランの史実そのものを描くのではなく、マゼランの史実を解体して彼の物語を語りたい・物語を広がらせていきたいという強欲で支配的な側面が存在する。
そしてその物語を広がらせていきたい考えは実は現地人側にも存在する。ラプ=ラプに関するエピソードが存在するが、その史実的な部分の怪しさを逆に取り入れるトリッキーさも封入されているのが興味深い映画でした。

そういった意味ではマゼランの史実をマゼラン側の神話、現地人側の神話の2軸で語る映画で、自分で描いた物語を広めたい承認欲求の目線で語る事で史実の背景にある強欲な支配欲のグロさと、そのグロさは物語を守りたい人それぞれに宿る怖さを浮彫にする映画だと言える。

カラーになったと言えども、『波が去るとき』にあった暴力性は健在で、立場や人物を変えて正義を押し付ける支配欲やブラックボックスの不気味さが本作の怖さに効いている。
その描きと話の帰結がラヴ・ディアスらしい作品でメジャーで予算が潤沢にあったとしても芯がブれていなくて凄いなと言える。

ラプ=ラプ神話の史実の確度の不安定さそのものを物語の帰結や物語の根幹にある物語を伝えたいエゴの2面性にクリティカルに効く姿が強烈にグロテスクで圧倒されました。