旅路の果ての作品情報・感想・評価

「旅路の果て」に投稿された感想・評価

KAYUPAN

KAYUPANの感想・評価

4.0
名実有無関係なく元演劇役者が行き着き集まる老人ホームが廃止になりそうなドタバタ。老いと生き様と死と詩劇がテーマ。
しう

しうの感想・評価

4.5

このレビューはネタバレを含みます

みんな当たり前に狂ってて先がまったく読めず目が離せない。
演出からはずれて修正できぬままに終演へ突き進む芝居のような老俳優たちの奇矯な生を喜劇にも悲劇にもしない暖かさと冷たさ。
ヴィクトルフランサン (マルニィ)
ルイジューヴェ (サンクレール)
ミシェルシモン (ガブリザード)
の3人が素晴らしい映画。
それぞれの過去に囚われて老人になることができなかった老人達の成れの果てを描く

俳優という虚構の世界だからこそ存在している繊細な現実と理想の見せ方が面白かった。
Jeffrey

Jeffreyの感想・評価

3.0
‪「旅路の果て」‬
‪J.デュヴィヴィエの傑作とされる39年作の本作を初鑑。徹底したリアリズムを追求した本作は養老院を舞台に老いた俳優らの日常を描いたもので、全体的に暗鬱で(病室を見ているかの様な)悲劇的であるが役者らの芝居が個性的で、更に長回しの台詞やラストシーンは心にグッとくる名作だ。‬
堕ちていくミシェル・シモンと、その生気を吸い取って気が違ったように自惚れてハイになるルイ・ジューヴェの山場。先が見えずに死んでゆくご老体の哀れさ。
倉本聰の「やすらぎの郷」では、芸能人専用の老人ホームが舞台で話題を呼んだドラマだが、ずっと以前、戦前のフランスで似たようなシチュエーションの映画作られている。

ジュリアン・デュヴィヴィエ監督による本作は、俳優専門の老人ホームを舞台に、三人の元役者たちを中心に描いた人間ドラマである。

ひとりは“過去”の栄光に溺れてしまい、ひとりは“過去”のトラウマからいつまでも立ち直れず、もうひとりは“過去”がないことを悔やみ、それぞれの残りの人生を過ごしている。

ルイ・ジューヴェ、ヴィクトル・フランセン、ミシェル・シモンの三者三様の演技…いや彼らが演じた人物そのものに引き込まれる。

終末に向けて、ひとはどうやってそれぞれの過去を総括していくのか、本作は老役者たちの目を通して観客にうったえかけているようである。
「旅路の果ては俳優(舞台)専門の老人ホーム」

過去の栄光という虚構の中で生きる彼らは滑稽にも見えるし悲しくも見える。最後まで救いの見えない映画だけどいかにも現実的。
そんな映画なのに落ち込まないで見れるのはカブリサードというピエロのような彼のおかげだと思った。
ルイ・ジューヴェの存在を抜きにしては語ることのできない映画 … 「女だけの都(1935年)」の生臭司祭、「フロウ氏の犯罪(1936年)」の怪盗、「犯罪河岸(1947年)」と「恋路(1951年)」の刑事、「どん底(1936年)」の男爵、「二つの顔(1947年)」の悪と善の二役、ヴェルレーヌを朗唱する「舞踏会の手帖(1937年)」、「北ホテル(1938年)」でみせる男の哀愁 ― あくが強く強烈な個性、気障で大仰な身振り、独特な台詞回し、ギョロ目のルイ・ジューヴェ(あのギョロ目で見つめられたらご婦人は何と思うだろう)、そして映画俳優としてではなく、演劇人としてのルイ・ジューヴェ … 南仏にある、平穏な「俳優のための養老院」に落ちぶれた俳優サンクレールがやってくる。それでもなお、ご婦人方の注目を惹きたい、それが根っからの役者というものだろうか。悲劇の起こらないはずがない。老人とは厄介なものである。沢山の過去を持っているから。まして、役者なら、いくつの過去を持っているのだろう。いくつの人生を演じてきたのだろう。いったい何人の婦人を泣かせてきたのだろう?これは悲劇か?いや、悲劇の中の喜劇か?喜劇の中の悲劇か?
嗚呼、叶わないながら一度でいい!巴里の劇場で、役者ルイ・ジューヴェの舞台を観たかった!