人々の生をよく描いている
集合写真でフィルムが切れるシーンはユーモラス
ちらっと映る曲がった指が、楽しそうなシーンとの対比で際立つ
川で生を実現してきた人々が、回復を遂げる
夕日でシルエットになる阿…
遠藤さんの目が澄んでいた、手指は逞しいのにどこかさびしい佇まいで。村を私たちの歩んできた道とするのなら病の発症はほんの一部にも満たない。カメラに敵意を持たれるのがごく自然であると思っていたから、対に…
>>続きを読む実家が同じ河で米作ってるのにほとんど知らなかった。訛りも含め文化的にもだいぶ近い気がする。田植えは本当にきつい。ドキュメンタリーであることを疑うくらい立派な撮影はそれだけのフッテージがあるということ…
>>続きを読む2021年10月 アテネフランセで
・水俣の話なのは事前に知っていたので、公害についての話なのかと思っていたが、どちらかというと川から海にかけての、ひとつの水源の中で暮らす人々の話というのがメイン…
阿賀野川流域に暮らす彼らは撮影を意識しているが常に自然体で、カメラが彼らの生活を切り取るというよりも、彼らが積極的にカメラに教えているという印象があった。被写体が受け身でなく、能動的に作品製作に関…
>>続きを読む間違いなく日本映画史に残る圧倒的な3年間の記録。撮影隊と阿賀野川流域の人々は時に祖父母と孫のように、時に先生と生徒のように、あるときは物見遊山の観光客とそれを受け入れる地元民のように、決められた関係…
>>続きを読む©1992 阿賀に生きる製作委員会