最初は何者かよくわからないたね屋さんの店主。ただ、監督との会話や暮らしから魅力は序盤から伝わってくる。
佐藤さんのやってることがだんだんわかってきて、震災の記録をなぜ外国語で書いているのか、日本語で…
画面に写されるものはすなわち作者の目線であり、写された人が向ける目線は作者に対してである。でもカメラで撮影された映像を観るとその視線は我々に向けられている。セルフドキュメンタリーでもないのに、まるで…
>>続きを読む佐藤さん含む陸前高田の人たちは皆生き生きしていて輝いていた。カメラを向けているのにあんなに自然体の姿を撮ることができるのは監督の力量だと思う。
序盤では佐藤さんの元気さも相まってあの種屋はずっとある…
『息の跡』撮影者の小森はるか監督と、被写体の種屋佐藤さんが、いずれ嵩上げされる陸前高田の更地に新生した種屋で出会い、同じ場所で同じ時間を過ごしたからこそ生まれた、必然の奇跡で満ちている。生きることと…
>>続きを読むドキュメンタリー、撮影者と被写体の距離感が心地よい。佐藤さんは我々の目に強かな人にうつるが、震災手記に「英語で書けば恐ろしさが消えるかと思った」旨の記述があったように、ほんとうはどこにでもいるような…
>>続きを読む聞き手の声が誰だか説明のないまま映画が進む。聞き手は映らない。事前情報を得ていないと何のことだかさっぱりだと思う。そのやりとりから店主との仲が垣間見える。もう、近所の知り合いレベルである。観る方はこ…
>>続きを読む細いホースのさきからちょろちょろと水が流れ、見えてはいないポンプの音がそれにかぶさるとき、これが音響の映画だと人は忽然と理解する。不穏な津波の音に代わって、即席の井戸がいっときの生を謳歌するが、最後…
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