こねこの作品情報・感想・評価

「こねこ」に投稿された感想・評価

Aki

Akiの感想・評価

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可愛い。子猫チグラーシャの旅。
行き着く先行き着く先にいろんなことがありチグラーシャがどうなるかヒヤヒヤしてました。たくさんの猫と暮らしているフェージンと猫の愛情が泣ける。
また猫がすごい可愛い、猫が大丈夫かなと思うところもあったけど愛らしい映画。
私は大の猫派なので楽しく感動して観れました。子供向けでもあるし大人向けでもあります。
文字

文字の感想・評価

4.5
 余談だが、かつてガブリエル・ガルシア=マルケスは1957年にソ連を訪れた。1957年というと、フルシチョフがいわゆるスターリン批判を行なった翌年のことである。(なおも《la mustache》は安らかに眠っていたようだが)雪どけ期におけるソ連の人々の暮らしが外国人の視点から具に記されている。その時に彼はソ連を「世界の六分の一に当たる二千二百四十万平方キロメートルの領土にコカ・コーラの看板がひとつも見当たらない」国と形容している(『ガルシア=マルケス「東欧」を行く』)。
 1996年製作のこの映画を観ていてまず思い浮かんだのはガルシア=マルケスのルポルタージュにある上記の表現だった。あの寝そべった巨人の心臓、世界でもっとも大きい村だったモスクワの街には、コカ・コーラの看板がいくつもあった。身勝手な話かもしれないがтоскаを感じた。そして今やこの情景すら遠い過去のものである。泥土へのノスタルジーは気分ではなく、存在の状態だろう。
 1991年のクーデター失敗に連なる様々な社会的変動・資本主義社会への移行が、当時のロシア社会に大きな影響をもたらしたことは言うまでもない。皮相的かもしれないが、当時の混沌がこの作品にも随所に表れていた。新しい自由が到来したことは疑いようのないことだが、同時に暴力と犯罪ももたらされた。旧ノーメンクラトゥーラ層のオリガルヒや、ロシアンマフィアなどの台頭から犯罪が増加し、経済格差は拡大した。この映画の舞台はそんな時代のことであり、モスクワの冬の厳しさも相まって困難な時代であったことを強く意識させられる。
 前置きが長くなったが、ロシア発のねこ映画である。猫文主義に基づきねこ中心に話が展開する。当然ねこは人間の言葉を喋らないし、CGなども一切使われていない。当然ねこの目線を意識したカメラワークが随所に散りばめられている。ねこに制作者の意図が伝わり、ねこが演技しているかはわからない。だからネコメンタリーとも言えるかもしれない。しかしそんなことはどうでもいい些事である。そんなことよりねこがただただかわいい。特に主猫公のチグラーシャのかわいさは尋常ではない。
 なぜチグラーシャ、そしてねこはかわいいのだろうか。それはチグラーシャが飼い主の言うことを聞かないからだろう。しかし、ただ言うことを聞かないのではなく、レケチールなどの暴力に対しては毅然として抗う。反抗的・反権力的な姿勢が素晴らしい。鑑ですよ。ある意味60年代っぽい。全員見習うべき。何をするか予想することができない。チグラーシャは当時のロシアより自由だった。皮肉な話だが飼い主のチグラーシャを操作可能な対象として把捉している人間中心主義的態度がチグラーシャのかわいさを際立たせる。人間(とついでに犬)の様々な暴力性とねこのかわいさを同時に見せつけられると、世界にはにゃんこさえいればいいんじゃないかと思ってしまう。いやほんとに。在ることがつらい。
 どこかの老女の言葉が思い出される。ねこに顔はあるのだろうか(そしてこの問いは、「サタン・タンゴ」を見てる最中にも想起された!)。レヴィナスによると私たちが他者とまっすぐ向き合うとき、私たちが自らの人間性を否定することにならない限り、あえて避けることができない訴えというものがある。それは倫理以前の、もっと原初的な訴えであり、それは顔(visage)から発せられる。
 しかしここで問題としたいのは、ねこに顔はあるのかということだ。他者によってわれわれがどのように問いの対象とされるかを語る同じ人たちが、動物によって対象となる存在のことを語りたがらないことは往往にしてある。否定することができない訴えというものを、ねこの眼の中に見いだすことはできないのだろうか。私はできると思うし、おそらくイワン・ポポフもそう答えただろう。
 でも一度立ち止まって考えてみると、ねこの訴えを私たちが拒否するとき、私たちが否定するものとはなんなのだろうか。自問が尽きることはない。私たちに伝わってくるという、’否定することができない訴え’とは正確にはなんなのだろうか。私たちに共通する動物性というものを否定しているのだろうか。動物性という、奇妙な抽象概念はどのような倫理的位置にあるのか。そもそも実際に応答しているのか。応答しているとするならば、それはなぜなのか。
 彼はいう。動物の目は顔のない、単に無表情な光学的器具にすぎない、と。あるいは身体なき器官。もしそうなら、動物の目の中に見えると私たちが考えるものは、実際には私たちが見たいものに他ならないのかもしれない。曰く、動物は’本来’の目を持たない、動物は’本来’の唇を持たない、動物は’本来’の顔を持たない。
 しかし、もしそうだとして、彼らが’本来’の顔をもたないなら、’本来’の顔をもつとされる私たちは、どうやって自らを彼らの中に認識するのだろうか。それはつまり、道徳とかいうものの根拠、その戒律に疑問を投げかけるということを意味している。きわめて慎重に、しかし絶え間なく考え続ければならないだろう。ニンゲンとはなにか。ニンゲンはどうあるべきか。答えはまだない。
 あるいは吻という字。久しぶりに米原万里の文章を読みたくなった。
癒やしを求めて動物映画を鑑賞(笑)。

こねこのチグラーシャが迷子になり、家に戻ってくるまでのお話。
ストーリーはあってないようなものだけど、ひたすら猫がかわいい。そして賢い!

猫屋敷のおじさんが猫にパフォーマンスをさせるシーン、あんな風に縄跳びしてくれる子がいるなんて感動。
DVDに収録されてた解説によると、あのおじさんは実は俳優ではなく、猫の調教師の第一人者だそう。なるほど。

また、作品自体は監督の卒業製作で、父親が脚本、母親が録音、妻が美術、幼い娘と息子はメインで出演...つまり家族総出で作ったという、裏話までほっこりさせられる作品でしたw

このレビューはネタバレを含みます

ネコ男の円形窓の部屋、深々の一人用ソファ
ろうそく、シャンパン、男、ミルク、ネコ
素敵なクリスマス
どう見てもソビエト時代の70年前半風。 

音楽なんて、もういつの時代の映画だかわからん勢いがあって力が抜ける。
予告編をみて、古い映画と思い込んでいた。

どっこい、制作は96年。
ノスタルジックな作り込みにしては、ずいぶん手が込んでるな。
ロシア流昭和の香り!

ソビエト崩壊後、熱帯魚、コカコーラ等の外来文化が押し寄せたロシアでのお話。
まるでメッセージのように、西側の商標が、目に飛び込む。 
せちがらい世の中の到来なんだな、と。

こねこちゃんの冒険ではあるが、
ねこ使いのおっさん(本物!)と、
ネコ軍団が本当の主役かも。

芸達者のジンジン(ネコ)が
ショボくて、かわいい。

何から何まで想定外の攻めに終始頬が緩みっぱなし。

ナゾの中毒性があるよ。 
nekoneko

nekonekoの感想・評価

4.0
フォロワーさんのレビューを見てから…やっと!
猫ちゃん達🐈に出会うことができました💓

裕福な音楽一家にやってきたキジトラの子猫…「チグラーシャ」(子トラ)
家の窓からトラック🚚の上に落ちてしまい生後3ヶ月にして大冒険が始まる!

なんかこのあらすじ…ちょっと「ルドルフとイッパイアッテナ」に似てる
というか こちらが先なんだけれど笑

資本主義社会へ移行したばかりの混乱期のモスクワの冬景色が寒々しい
猫達と暮らすフェージンが貧しくも心豊かな人物で準主役ですね…

文句ナシに猫好きにはサイコーの作品でした! 
猫の次に可愛かったのは 音楽一家のサーニャとマーニャの2人👫💓

追記
  ボス猫 ワーシャがカッコイイ🌟
  オープニングクレジットも動物好きに
  はたまりませーーん笑
  
  関連はないけど 今夜作った「バター
  チキン」がメチャ上手く出来て そん 
  なんで1人でニヤついてました笑
CG一切無し。ロシアがまだソヴィエト時代だった頃の映像。動物、特に猫好き必見。
ストーリーはボリショイ楽団でフルートを吹く父と芸術家の母に子供2人というブルジョア家庭に飼われた子猫が窓からトラックの屋根に落ちて遠くに運ばれいくつかの危険をくぐり抜け猫使いの元サーカス団員である清掃員に拾われるという内容。
貧困層と富裕層の格差問題を猫の視点を通して訴えかけてくる。
猫主観だけではなく猫が不在になって家庭用崩壊しかけている飼い主たちもリアル。
りか

りかの感想・評価

4.0
何気ないストーリーにもかかわらず、心地良い余韻が残る。登場人物(マフィア以外)の優しさにも癒される。
そして何と言っても猫たちがとっても自然なこと!
どうすればこんな作品が撮れるのだろう。
監督もきっと優しい人だったに違いない。
永久保存間違いなしのかわいすぎる作品。
メル

メルの感想・評価

3.9
モスクワのある家に飼われることになった生後3ヵ月の子猫のチグラーシャ(トラ猫のトラちゃん)の冒険。

ソ連崩壊から間もない1996年のロシア映画。
ロシア聖教会のシンボルの金色玉ねぎが遠くに見えたり、それがイルミネーションで飾られる夜景には異国情緒を感じる。

寒い広場で飼い主のコートの胸元から顔を出していた子犬や子猫は売られるために並んでいたんですね。

猫は基本的には家飼いされるべき生き物なので、寒い雪の日に外を歩く猫というのはちょっと不憫でした。

チグラーシャの試練と同時に暴力的な地上げ屋や大道芸人のチップを盗む者など、当時のロシア社会の経済的な不安もしっかり描かれている。

それにしてもあの猫おじさん本当に猫とのコミュニケーションの取り方素晴らしい。

ラストは少々ムリムリな展開だけどチグラーシャとその他の個性的な猫たちの可愛さと、ハラハラドキドキの詰まった80分。

チグラーシャの影武者が4匹もいたとは...観ている時は全く気付きませんでした。
僅か53歳の若さでこの世を去ったイワン・ポポフ監督が描いた猫映画の傑作。

美術大学卒業後グラフィック・デザイナー、イラストレーターとして活躍していたポポフのセンスと才能は、映像でも通用することを見事に証明した。

まるでオモチャ箱を引っくり返したような楽しさと心温まる物語、そして元サーカス団員で猫の調教師でもある“猫おじさんことフェージン”を演じたクズネツォフが手懐けた主役の猫たちは、どこまでが演技なのか、全てが愛くるしい。

一方、どんなに“コカ・コーラのロゴ”が街に広まろうと当時のロシアはまだ資本主義社会へ移行したばかりの暗い時代ということも忘れてはならない。

“逃げた猫を探す人、無事に帰宅する猫”

この至ってシンプルな物語の背景には、フェージンが地上げ屋マフィアに受けたような悲惨な仕打ちが現実にあり、一見夢のような物語の中から、実は深刻な社会問題を静かに発信している。

ともあれ、主役であるチグラーシャ、ジンジン、ワーシャ、イザウラ、シャフ、ペルシク、プショークに癒されることは間違いないだろう。

谷崎潤一郎の代表作「猫と庄造と二人のをんな」を堂々と頂戴している筆者のプロフィールも示しているように、愛猫家にとっては猫映画の決定版として永久保存したい名作である。

122 2020
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